かゆいところに手が届く

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今日、いつも世話になっている先輩が大学に来たので、帰りに飯をおごってもらった。

前のブログに書いた道州制の話はこの先輩に教えてもらったので、その話をしていた。
道州制になり、企業にとってメリットが大きい場所が東京以外の場所になれば、そこに企業は進出する。そしたらそこに雇用が生まれ、そしたらそこに住む人が出てきて、その土地に需要が生まれる。そしたらその土地の経済は発展する。そしたらすごいですね。と、まあざっくり話をしていたわけです。

それから話がコミュニケーションに移った時に、

「日本のサービスは、パッケージ化しすぎなんじゃないか?」

という話になった。

先日ちょいと海外に行ったときにつくづく思ったのですが、日本のサービスは素晴しい!!例えば牛丼屋に入って、「並。」っていうだけで、牛丼の並盛りが出てくるわけですね。「水。」っていえば、いやな顔一つせずに水を持ってくる。いや、スマイルで来るでしょうね。席を立ちあがれば、お勘定を案内してくれるので、金を払うだけでいい。もちろん外国でもサービスが行き届いているところもあるでしょうが、日本の「かゆいところまで手が届く」サービスはものすごいと思う。

しかし、これだけ相手とのコミュニケーションのあり方が簡略化、パッケージ化されてしまうと、サービスの受け手というのは、必要以上のコミュニケーションをする必要がなくなるから、コミュニケーション不足、もしくはコミュニケーションの苦手な人を生むような気がするわけです。別に「お願いします」とか言わなくても、並盛りは出してくれるし、水も用意してくれるし。「美味しいです!」とか言っても、苦笑いされるくらいだろうし。

まあ、コミュニケーションが苦手な人に溢れたらどうなるの?って聞かれても、「なんかヤダわ」としか言えないけど、「例えいいことでも、別の面でよくない要因を抱えているものなんだな~」と思ったわけでした。


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プロフィール
  • name/林 賢司
  • birth/1986/04/18
  • belong/KO大学4年
  • theme/自分のために、他人を幸せにする
  • "My Accept"/自分の経験から目を背けずに、「その時の自分なりに」受け止めていくこと。
  • purpose/「その時の自分なり」の解釈・観察・感情の蓄積。
  • contact/kenji[at]monoraltype.com

このブログ記事について

このページは、kenjiが2008年4月15日 01:02に書いたブログ記事です。

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