2008年7月アーカイブ

少し前のニュースで気になった記事があった。


「敷金・礼金・仲介手数料ゼロ」 その裏に潜むとんでもない事態

東 京・西新宿にある不動産会社スマイルサービスは「敷金・礼金・仲介手数料・リフォーム費用0円」をうたっているが、同社が家賃を滞納した際に無断で鍵を交 換し、「生存確認出張料」などと称した違約金を支払わされたとして、同社の物件に入居する男性らから提訴されることが2008年7月16日に明らかになっ た。~~~自分の家に帰って来たらいつの間にか鍵が交換され、荷物が部屋にあるのにネットカフェで過ごすことを余儀なくされたり、就寝中に突然部屋に侵入 してきて違約金を請求されるなどのケースがあった。一日でも滞納すると「生存確認出張料」と称した1万500円に加え、違約金として家賃の10%を請求さ れるという。(J-CASTニュース, 2008/7/17, 記事一部引用)


このスマイルサービスという不動産会社では「敷金・礼金・仲介料などはいただきません」を売りに住宅を提供をしているが、一日でも家賃を滞納すると、無断で鍵を変えられたり、「生存確認出張料」(すごい名前!)+家賃の10%分の違約金を払わされたりするらしい。

記 事の中の弁護士さんが、「契約を結んでいる人の多くは、把握している限りでは、若い人で収入が安定していない人、非正規雇用の人だ」と言っていた。このビ ジネスのターゲットは、お金を持っていない人、いわゆる「貧困層」である。考えてみれば、こういう条件に引き寄せられる人というのは、そこに払うお金を惜 しく思っている人、またはそこに払うお金がない人になると思う。このターゲット層に絞って展開するビジネスを『貧困ビジネス』と呼ばれるそうだ。

こ のサービスで問題として挙げられているのは、たった1日家賃を滞納しただけで上記のお金を取られるということである。この違約金の部分で利益を出そうとし ているんだろうか。まるでレンタルビデオ屋のビジネスモデルを連想させる。たとえ家賃が5万円だとしても、一日遅れれば5000円、二日遅れれば 10000円。そもそもこういうところで部屋を借りようとしているんだから、このお金が非常に貴重な人であることは間違いない。


このサービスに対しては、意見が大きく分けて二つあると思う。

一つは、この記事が述べているように、「こうした契約は違法だからやめろ!」という意見(訴えたくらいだから)
一つは、「家賃を期限内に返せば問題ないだろ?」という意見。

こ れに関してネットで色々と見てみたところ、結構「期限内に返せば問題ないだろ」という意見が多いように思えた。その理由としては、「そもそも敷金・礼金を 取っていない上に家賃も満足に払われないのは、家主側に負担が大きい」というものや、「家賃をしっかり払えば、いい条件で家を貸しているビジネス」という ものがあった。しかし、これらの意見に関して気になることは、全て問題は「自己の責任にある」と言っているところ。しかもこれは、お金と「溜め」がある人 には、気づかないところ。

ちょっと話がずれるかもしれないが、少し前に『貧困襲来』という本を読んだ。その中で著者の湯浅誠氏は、この「溜め」ということについてと、自己責任論で物事を片付けようとすることへの疑問を投げかけていた。

家 賃をしっかり返している人から見て、家賃をしっかり返していないことは、確かにその人がしっかり自分をマネジメント出来ていないからだと見えがちである。 しかし、問題の本質はそこにはないときもある。つまり、「ただ怠惰でマネジメント出来ていない」という状態ではなく、「そもそもマネジメント出来ない」状 態にあるというとき。湯浅さんはこの状態を「溜めがない」と表現している。この「溜め」というものを、湯浅さんは「金銭の溜め」「人間関係の溜め」「精神 の溜め」という三つに分類しているが、要はこれらが手元に十分にあることが、人間の精神状態を安定させたり、やる気を出させたりするということにつながる んだそうだ。貯蓄が全くなく、頼れる人がいなく、「自分はもうダメだ」とずっと思っている人が、ギリギリ日雇いのバイトで生活していたとする。そういう人 が何かのきっかけでお金が必要になってお金が手元に無くなったとき、その人はどう家賃を払えばいいのか。それを「自己責任だ」と言われてしまうのは、酷す ぎるのではないか。

また、「溜め」が全くない人ではなかったとしても、弁護士さんが言っている非正規雇用で働いている人で、怪我をしてい きなり仕事を休まなくちゃならなくなった!誰かにお金を借りようにも、時間がない!!ってときでも違約金を没収されてしまうんだろうか。もしそうだとした ら、企業経営の住宅とはいえ、その信頼関係のなさが寂しいですよね。「家賃は払うだろうから、待ってあげる」「待っててもらっているから、すぐに家賃は払 い、次は絶対に期限内に払う」っていう相互の信頼関係がない。(仮に遅れてもらうことで利益を上げようとしているのならば、そんなのあるはずがありません が。)


このサービスには利用しやすいという長所も、確かにある。実際大学の近くに部屋を探していて、敷金・礼金がない物件を一番 に探したりした。しかし、同時に短所もあるわけで、その短所に苦しむ人が溜めのある僕らと同じ感覚・状態で話ができない人であれば、その人たちの苦しみに 目を向けてあげる必要があるのではないか。「じゃあ同じ状況に陥ってみよう」と行動することは出来ないけれど、自分の出来る範囲でサポートをしてあげる。 そういう行動の積み重ねが、社会を良くしていく気がする。


『スマイルサービス』



blog脳

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最近、梅田望夫さんの『ウェブ進化論』(ちくま新書)を読んだ。とても有名な本ですね。前から持ってたけど、なかなか手が伸びなかったが、先輩と話しているときに話題に出たので、勢いつけて一気に読んでみた。

面白かったです。分かりやすいし、2年も前に書かれた本なので、今となって読んでみると、今当然として認知されている流れがそのまま書いてあり、しっかりと時代の流れを説明している本なんだなーと思いました。読んでいない人は、読んでみるといいと思います。

一つ気になったのは、環境問題を始めとした社会問題を勉強している僕にとって、Webの世界を「あちらの世界」とした場合、どうも「あちらの世界」だけに浸っているわけにはいかないんじゃないかということ。「あちらの世界」に情報を蓄積したり、そこから新しい技術やビジネスが生まれていくことは社会全体にとってもいいことだと思うが、「こちらの世界(現実世界)」の不都合・ゆがみに対して目を向けないわけにはいかないんじゃないかと感じる。「あちらの世界」が素晴しい発展を遂げていても、「こちらの世界」が悲惨なことになってしまっては、「あちらの世界」の発展の意味がなくなってしまう。「あちらの世界」の情報や技術をいかに、「こちらの世界」に落とし込むか、現在の状況を考えると、いかに素早くか、というのは大切になってくるように感じた。


その中で、やってみよう!!と思ったことがあります。というか、今までもやってたけど、より意識的に。それは、「ブログを自分の経験・体験・勉強内容の蓄積場所として使う。しかもそれをオープンにしてしまう。」ということ。梅田氏は本の中で、「ブログこそ、自分にとって究極の『知的生産の道具』かもしれないと感じ始めている」と述べていた。(2年前の話なので、もしかしたらもう変わってるかも(笑))

ただ、今の僕にとっては、これは目から鱗であった。自分の経験したことや体験したことなどを、どんどんこの場所に書き溜めていこうと思う。文字情報ならほぼ無限大にサーバーに蓄積することが可能だし、曲がりなりにも公開するわけだから、言葉を選んだり、どうしたら相手に伝わるかを考えるし。何より、自分でしか見られないような日記をつけるよりも、見た目や書いている内容で「遊んでみよう!」という遊び心が生まれる。これって結構大切だと思っていて、この遊び心から色々イジッたりしてみて、なんとなくいいモノができたり、新しい発想が生まれたりするんだと思う。自分しか見ない日記じゃ、めんどうだからそんなことはしなくなるし。


ということで、このブログを自分の外部の記憶装置として、自分が感じたことや体験したことを、どんどん書きためていこうと思う。時が経つにつれて自分がどのように感じていたのかを見られるようになるのは、貴重なことになるに違いない。そういう意味でもいいものだ。


ちなみに、My Acceptには、「自分が経験するあらゆる出来事に対して、そこから目を背けずに、「自分なり」に受け止めていく」という意味を込めた。将来の自分は、今の自分の出来事の受け止め方を、どう思うだろう。



昨日、なりけんのバンドを見に行った。

なりけんは、24時間リレーマラソンで、僕らが5時間以上遅れた中で、その間一人で走ってくれていた人。彼がいたから他のチームと競争できるという段階にまでいられることができたし、何よりモチベーションを高めてくれた。その根性や人間性が本当に尊敬できる人。

そのなりけんが音楽をやっているということが判明したので、彼のライブがあった昨日、彼の勇士を見に行ったわけです。


めっちゃ、感動でした。


彼のグループ、天国民(TENGOKUMIN)は、ゴスペルを演奏する。ここのリーダーのMarreという人が、結構変わった経歴を持っていて、牧師やら作家やらと様々な顔を持つ人らしい。
Marre Official Site


昨日の最後の曲は、おなじみの「Amazing Grace」。その曲ができた背景から、Marreさんはこんなことを言っていた。

「Grace。全ての人にそそぐ神の恵みですよね。大切なのは、この恵みは分け隔てなく、全ての人に注がれているということです。宗教家であろうとなかろうと、何かを信じていようと信じていなかろうと、この恵みは全ての人に、あなたにそそがれているわけです。じゃあこの恵みとは何かというと、空気や水、太陽。土とか木もそうです。つまり、あなたが生きる為に、必要とされているもの。これらは当たり前のようにあなたが生まれる前から存在しているけれども、あなたはこれらによって支えられているということに気づいてほしい。」

確かにそうだと思った。僕が生き続けるためには空気や水、太陽の光など僕の力ではどうしようもないものによって、支えられている。これが存在することは今まで当たり前だと思っていたけど、実はそうでもない。自分にはどうしようもないものが勝手に滅んでくれたら、僕も一緒になって滅ぶんだな。そう思うと、それが神の恵みかどうかは人それぞれ考えればいいが、「それ自体」には、本当に感謝すべきことじゃないか。


今日は良い天気だった。歩いていたら昨日の話を思い出したので、ふと空を見た。

人工物で構成される僕の町は、いつでも変わらない町を見せている。けれども一度空を気にしてみたら、それを含めた町の姿は、凝り固まったいつもの町とは違う姿を見せていた。空は雨を降らしたり太陽光をもたらすので「恵み」だと言われるが、こうした部分も恵みの一面になるのかね。


下記のはなんでもない空の写真。でも、今日の僕にはとても良く取れた写真に思えた。明日もそう思っていられたらいいが(笑) なんにせよ、気持ちいい日だ。



CIMG3509.JPGのサムネール画像


大学に向かう電車でのこと。

僕は大学に行くとき、一回乗り換えて大学に向かいます。

今日電車で座ってると、二人の若いママがベビーカーを押しながら乗ってきた。結構若かった。たぶん僕とほとんど変わらないと思う。子供たちはそれぞれの車で、スヤスヤお休み中。
二人のママは誰かと待ち合わせをしているらしく、一人のママがドアから顔を出してキョロキョロ探し、もう一人のママは電話でコール中。

ドアから顔を出していたママが大きく手を振り始めた。待ち合わせ相手を見つけたようだ。ジェスチャーで電車に乗るように指示している。けれども相手は分かっていないのか、リアクションがないようで、ずっとジェスチャーをしている。

ママA「あれ?乗らないね?ドア閉まっちゃうよ。分かんないのかな?」

――プルルルル

ママB「もう発車するよ!まだ乗ってない?分かんないんじゃない?」


すると、そこからがすごかった。

それぞれ、ガツッ!!とベビーカーの足の部分を蹴り、ベビーカーの前輪を上げて電車と駅の隙間を飛び越えさせると、そこからベビーカーを強引に90度転回。足を蹴り上げて、ガンガン加速しながら駆けていった。そのベビーカ―の押し方と言ったら、小学生の頃よくやったスーパーの台車(カゴを2個くらい置けてガラガラ押していけるヤツ。我が家では「ガラガラ」と呼びますが。)競争のごとき押し方。あっという間に僕の視野から消えていった。

何気なくそのやりとりを見ていた僕は、車に乗ってるのが荷物ではなく子供だったので、「おお、すげー。」と意表をつかれた。だが、あのママたちの元気ぶりと言ったらないですよ。人の行きかうホームであのパワフルな激走を見せるわけです。笑ってしまいました。正直迷惑でもあるし、何より寝てる子供に申し訳ないけれども、あれを見てしまうと、こっちもそれ相応に元気が出てしまう。


この暑さにうなだれそうな日に元気をくれた感謝の気持ちと共に、これからの育児における激務の健闘を讃えて、ママたちに「ゴーカートかーさん」の称号を与えます。

Dancing

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これ、マジで感動です。見てると、笑顔になっちゃいますよ。
 

『Where the Hell is Matt?(2008) / mattharding2718 / youtube』


21日は、母親の誕生日だった。母にプレゼントとバースデーカードを渡した。

非常に喜んでくれた。「ありがとう」と何回も言われた。


喜んでくれてすごくうれしかったが、ふと思うところによると、当たり前だが親が子供を産んでから、子供はどんどん大きくなり、逆に親はどんどん年を取っていくわけで、いずれは立場が逆転し、経済的にも精神的にも、子供の方が頼れるものにならなくてはいけない。

でも、一つのプレゼントに対してこれだけ感謝されると、逆に母に対する申し訳なさが出てくる。いつも迷惑かけてんのに、たった一つのプレゼントにこんなも感謝されてしまうと、なんだか僕がお客さんのごとく、プレゼントを渡すのがすごく意外な人間かのごとくに感じる。

それって日頃から感謝の気持ちを表せていないからなんだろう。また、こういうことが普通にできる人だと認知されていないからかもしれない。生まれてこの方、当たり前のごとく母に付き添ってもらって生きている。これがどんなに感謝すべきことか。


そういった精神面が成長していない。成人は迎えたけれど、全然精神的に頼られる人間になれていない。少し気取って工夫を凝らしたプレゼントにしたつもりだったけど、自分の「お子様ぶり」を際立たせられた、ハハ・バースデーになった。



この夏にどんな出来事が訪れるかは分からないけど、このイベントは間違いなくこの夏を「最高の夏だったなあ」と思わせるものになりました。誘ってくれた先輩に、感謝感謝。めっちゃ感謝。

このマラソンについては前の記事を見てもらうとして、このマラソンには本当にたくさんのドラマやハプニングがあった。10時開始なのに渋滞に巻き込まれて15時に着いたり、一人でバイクで来て先に着いていた「なりけん」がその4時間ずっと走ってくれていて、なんとか他のチームと競争できる周回数で食らいついていてくれたり(1.6kmのコースを9周。これは間違いなく今回の最長記録だと思う。)、「なりけんに報いる為に」を合言葉に最下位から怒涛の順位上げを見せたり、『エルモの着ぐるみ』をタスキ代わりにして10人でグショグショに濡れたエルモを着まわして走ってみたり、朝4時に飛び起きてそのまま夜通し走っていた仲間からタスキを受け取って走ったり。高速で飛ばしてたら練習中の白バイ軍団に囲まれて肝を冷やしたり、22時閉店のレンタカー屋さんに22時45分まで店開けててもらってなんとか延滞料金なしで返却したり(とてもキレイなお姉さんがブチ切れてたり)。

普段運動していない僕だけど、計27kmも走った。もうダメだと何回も思ったけど、次のランナーを見るともうひと頑張りできた。これは一人じゃできない頑張りだった。

僕は走るのは好きじゃないけど見るのは好きで、正月の駅伝とかはいつも楽しみにしてます。で、駅伝見てると、みんな「タスキをつなぎたい」とか「チームのために」とか言っているので、そこが駅伝の醍醐味だと思っていました。つまり、「チームの一員として、チームのために自分が尽力すること」みたいな。

でも、今回長距離リレー(僕にとって)をしてみて、「チームのために走るというより、チームが走る力をくれる」ということを感じました。なんというか、タスキを渡されると、なぜか次に渡したいという欲求が出るというか、「オレも負けない」と思うというか、とにかく「よっしゃ!」となるんですよ。これは不思議な感覚だった。全然説明できてないけど、この力は間違いなく働いていたと思う。どんなに義務として自分の番が回ってきて「いやだなー」と思っても、タスキを渡されるとなぜか足が前に前にいこうとする。この感覚は体験しなければ知れなかったと思う。

改めてチームスポーツの素晴らしさと楽しさを知りました。また苦楽を共にした仲間もできました。でも今も筋肉痛がヒドイ。また来月あっても絶対にエントリーはしないけど、このつらさを忘れた来年だったら是非エントリーしたい。


『24時間リレーマラソン』



多くの課題も終わり、貝になってしまいたい時期を超え、心に余裕が出てきました。


そんな中、

24時間リレーマラソン

に、出場してきます!!


いやー、こんなこと考える人がいるんですね(笑) 24時間走ってしまおうなんて。しかも企画して実行に移しちゃうだなんて。もちろんリレーですので、一人で走るわけじゃないです。なんでも、

・1周1.6キロの公園を走る。
・たすきリレーはできる場所が決まってて、そこ以外ではランナー交代はできない。
・走れる人は何周でも走ってよし。
・24時間でどれだけ走れたかを競う。

ってものらしいです!ヤベーテンションアガル。

いろいろ仮装して走ってる人もいれば、年齢に似合わない速度で他を圧倒するおじいちゃん軍団もいるらしく、また仲間が旅立っている間にまったりと過ごすお祭り的な空間も楽しいんだとか♪サラニテンションアガル。

今回ウチのチームは20人くらいで行きます!最近運動といえば、隔週日曜のホームレス・サッカーくらいしかしてなくてそんな何周も走れるかどうかはわからんけど、楽しみたいですねー♪ちなみに、参加書類の例では、140周で45位って書いてありました笑 さすが24時間笑

明日晴れるといいなー!!



昨日アーティストやデザイナーがプレゼンをするパーティーみたいなところで、TENORI-ONのプレゼンが行われていた。初めて見たんですが、聞くところによると最近よくメディアに出てるんだとか。

16×16個のLEDで光るボタンがあるんですが、音楽の知識や経験が全くない人が音で遊べるようにということで、直感的に作曲できるインターフェースを目標にして作ったんだそうです。

実演を見てたんですが、最初に鳴らしたい音階のボタンを押しておいて、スタートを押すと、左から右に光ってる列が流れてきて、最初に押してあったボタンのところと重なると、音が鳴るっていう感じです。


TENORI-ON Performance(YouTube)


光の流れがスゴくきれいでした。それだけ見てても、何かの作品になるみたいで楽しかった。また、指定した音を並び替えたり、音階指定を変えたり、ランダムに配置できたりと、色々すごかった。何も分からずにめちゃくちゃ遊んでても、なんとなく曲にしていける!かも。

AYUSE KOZUEさんがmacで曲を作っちゃうから「デスクトップ・アーティスト」なんて呼ばれてるってのを聞いたことがありますが、TENORI-ONだけでも立派な曲が作れるみたいで。こんなんとか格好いい↓


DJ-Ye7ia's '01' on the Yamaha Tenori-On


じゃあパソコンで作るのとどう違うのかっていうと、押してるのが楽しいとかそういうことになるんだろうか。イメージ的にはTENORI-ONという新しい楽器を演奏しながら曲作りをしている感じでした。

会場には「ほしい!」って食いついている人が結構いましたけど、お値段は、12万円。


まあ、楽器だと思えばね・・・。



CNETにこれまた面白い記事があった。gooランキングが発表した「いいアイデアが浮かぶと思う場所ランキング」では、洋式トイレが1位になったという。


1位は「洋式トイレ」--いいアイデアが浮かぶ場所ベスト20


まあこれも面白いんだけど、それより「へー」と思ったのは20位以内に「机の前」が入っていないこと!!「勉強とは机でするもの」と教えられてきた僕には、ちょっと新鮮。「覚える」勉強はともかく、物事を「考える」のに机なんていらないということでしょう。なんてここから学べることは、机で何か発想していて行き詰ったら、「とにかくその場を離れろ!」ということだろうか。

ただよく見ると、アンケートを取ったのは「いいアイデアが浮かぶ『と思う』場所」であり、さらに集計期間はたったの3日間。「経験上、ここならアイデアが浮かびますよ♪」と教えてくださった方は少なかったかもしれないが、それでもみんな、机の前はよろしくないと思ってるのかな??



暑い!7月中旬で35度ですか。「真夏日」と呼んでしまいますか。そろそろ45度くらいになった時の呼び名が必要かもしれませんね。

そんな中!さわやかな検索サイトがあるそうです笑


ユーザー利用が緑化活動につながる検索サイト「Leafbank」


「Leafbank」だそうです。この検索サイトで検索すると、発生した広告収入の20%を緑化活動をしている団体に寄付するんだとか。20%って5分の1ですよね。結構寄付するんだね。

それにしても、こんだけ暑いと検索しただけで向こうで寄付してくれて、緑化につながってそれが少しでも温暖化対策になるんだったら検索してもいいかなって思っちゃいますよね。上手く考えるものだなあ。

でも、これってお金をあげるだけで、木を植えに行くのはNPO団体の人ですよね。その団体は人手は足りてるんだろうか。「お金あげる=木が植わる」ではないってことを自覚しなきゃならんですよね。これが本当に緑化につながるんだったら素敵だけれど。



課題が進まない。諦めて他のことやろうとすると、課題のことで頭がいっぱいになる。

学生にとって、鬱になりたくなるこの時期。

「ぼやきは永遠なり」と言った野球の名将がいたけど、

この時期の学生はいつになってもぼやきつづけるんだろうなー。

あーやだやだ。



本日17時頃、友人と大学の販売店の前で話をしていたときのこと。


一日を過ぎて、朝はあんなにきれいだった販売店前のゴミ箱がゴミで溢れ、辺りはゴミが散乱していた。友人と「これって誰か掃除するのかね。」と他人事のように話していた。

すると、ちょうどそこに清掃員さんが現れる。30代後半~40代前半の男の人だった。

彼は少し疲れた顔をしていた。彼は散らかったゴミを手袋もはめずに片付け始めた。残り汁の入ったラーメンや油が垂れた牛丼の空きパックなどもある。それを見た僕らは何となく責任を感じ、一緒に拾うことにした。清掃員さんが少し奥の方を拾っていたので、ゴミ箱の周りに散らかったゴミを拾っていた。


その時、清掃員さんは僕らに気づいたらしく、「いいよいいよ!」と叫びながら近づいてきた。

そこで気づいたのだが、その清掃員さんは耳が不自由らしく、話し方がぎこちない。さらに、彼は僕らの前で頭を深く下げる。「ありがとう。ありがとう。」と何回も頭を下げる。


僕はとても驚いた。今でもその光景が目に焼き付いているので、結構ショックだったのだろう。その理由は彼が障害者であったことにもあるし、その彼が人知れずゴミを片付けていてくれたおかげできれいな販売店前があったことを知ったことにもある。


しかしそれ以上に僕にとってショックだったのは、清掃員さんとの距離だった。

彼はれっきとした大学の職員である。そして僕らは大学の学生。立場は違えど同じコミュニティの人間なのだから、ゴミを拾ったとしても「ありがとうね!」とか、そんな感じの言葉を交わすだけだと思っていた。しかし、そこで受けたのは「お客様」への対応。もちろん彼が人付き合いが苦手なのかもしれないが、よく考えてみると大学の教室を掃除してくれている清掃員の人に会っても、お客様対応を受けている。これは僕らが学費を払っていて、彼らがお金をもらっているからなのだろうか?


彼からは僕ら学生はどのように映っているのだろうかと考えた時、彼らと僕らの距離を感じた。僕の大学は、新しい領域への挑戦やら世界との交流やらを盛んに謳っているが、まずは自分の通う大学を居心地のいいコミュニティにすることから始めたいと思った。「社会を~」だとか「世界を~」だとかを謳える人間であれば、きっと自分の一番身近なコミュニティも素敵なものにできると思うからだ。


ちなみに昨日大学に泊まった時、そこに来た警備員さんはすごく社交的な人だった。この事もあったから、少し話をした。「テスト前のこの時期は、多くの学生が学校に泊まるよね。君らと触れ合うこの時間が、この仕事をしていてよかったと思う時だよ。」と笑いながら言ってくれた。

やっぱこういうつながりが多いと、気持ちいい。こういう距離でいたいよな。



+Aのブログに面白いサイトの紹介があった。(これもまた違う人から教えてもらったらしい。情報の連鎖って、素敵ですね。)


GARBAGE BAG ART WORK


ゴミのネガティブなイメージを、アートで無くしてしまおうって動きらしい。マジですげー発想&素敵な取り組みだと、関心しまくりです。

世の中には様々な問題があるけれど、自分の好きな取り組みで、そういうのを解決していけたら楽しいと思うんですよね。自分の好きなことができて、問題が解決が出来て、それでさらに食っていけまでしたら、なんて素敵な人生だ!!と、そう思うわけです。


+Aの記事で紹介されている二つ目の活動もすげーです。やってみたいな。



僕のアルバイト先の店長が、少し前に変わった。

新しい店長は、いつも「ありがとう」と言う。


店長「kenji君、これあそこに閉まってきてくれない?」
僕「わかりました。」
店長「本当、ありがとうね。」


店長「kenji君、あそこのお客さんの接客、お願い。」
僕「了解です。」

~~少しした後

店長「さっきは本当にありがとう。助かりました。」
僕「いやいや、仕事ですし。」
店長「いやー。でも、ありがとうね。」

~~閉店後

店長「じゃあ服をたたんでくれるかな。」
僕「わかりました。」
店長「遅くまでありがとうね。」
僕「いやいや、シフトですよ笑」
店長「それでも手伝ってくれてるわけだから、嬉しいよ~笑」


と、こんな感じです。本当に、いつも言ってます。もちろん気持ちがこもった「ありがとう」です。


店長は意識的に言おうとしてるのだと思いますが、これは結構嬉しいものです。僕が「仕事だから」と割り切って行動していることに対しても、「ありがとう」と言ってくる。そうすると、僕は違和感を感じるわけです。仕事でやってるのに、ありがとう??、となる。

でもそしたら、自然と「仕事以上」のパフォーマンスをしたくなってくるんです。しなきゃいけないわけではなく、したくなってくる。(当然したくならない人もいるとは思いますが)ここが不思議なところです。

それはたぶん、店長から「感謝」をされているからだと思います。仕事にしろ何にしろ、自分のとる行動に対して感謝をされるわけです。それに対して、嫌な気持ちがする人はいないと思います。むしろ嬉しくなります。そしたらその感謝の分、仕事に対してのパフォーマンスを上げようとするんじゃないかと思うんです。この辺りを理論立てて研究している人がいたら、その研究を見てみたいです。


で、僕も「ありがとう」を言うことにしました。「ありがとう」キャンペーンです。素直にありがとうを言おうと思います。これは物事を素直に受け止められるかが大事になってくると思いますので、難しそうですが、取り組みがいがありそうです。



面白いですよ。この記事。


米国の若者はテレビを見ない 視聴者平均年齢は50歳


だそうです。この記事の中でテレビを「伝統的な」と表現している調査会社さんの言葉が、新鮮でした。ネットは既存のメディアを超えると言われてきましたが、もはやそれが現実になってきているのかもしれませんねー。



パタゴニアのサイトをふらふらと見ていたら、「環境に投票を」キャンペーンというのをやっているのを見つけた。

パタゴニアはご存じのように環境問題に熱心な企業ですが、環境に興味のない人でもこの「投票」の大切さには納得できる記事かなと思いました。僕らには社会を変えられる大きな武器が与えられているんですね。

ただ、正直今選挙があっても、誰が誰で、何をしようとしてるかなんてわからねえ!!ってこともあると思います。そんなときにこのサイト!(パタゴニアのサイトにリンクがあったものですが)

ザ・選挙 

これは「市民の市民による市民のためのメディアJanJan(Japan Alternative News for Justices and New Cultures)」が運営するサイトだそうで、結構色んな情報が載ってて楽しかったです。

もちろんこれだけを頼りに意思決定をすることは危険ですが、参考にするのにはいいサイトだと思いました。それにしてもインターネット、便利ですねー。



ホームレス・ワールドカップをご存じだろうか。

これはホームレスだけが参加できる、フットサルのワールドカップである。


このホームレス・ワールドカップを開催しようという最初のアイデアは、2001年にケープタウンで開催されたInternational Network of Street Paperの会議の席で生まれた。提唱者はオーストラリアのストリートペーパー『メガフォン』の編集者ヘラルド・シュミッドと『ビッグイシュー・スコットランド』の設立者メル・ヤング。彼らは世界中のホームレスの人々が出会い、互いに体験を共有でき、かつ世界中の人々の「貧困」という問題に対する注目を集める方法として、「サッカーをすること」を考えた。

今年で6回目を迎える今回の大会は、なんと参加国が50を超えるそうで、参加するホームレスの数は500を超す。その中にはプロやセミプロに選ばれる人が出るほか、2006年大会の聞き取り調査では92%の人が生きる意欲を得たと答えた。また、この大会のすごいところはそのサポート体制にもある。NIKEやUEFA(欧州サッカー連盟)が公式スポンサーとして名乗りを挙げる中、イギリス代表のコーチはなんとマンチェスターユナイテッドが務め、スペインはレアル・マドリッド、ポルトガルはベンフィカからの応援を受けている。また著名人ではチェルシーのドログバやビートルズのリンゴ・スターが応援している。


その中で、日本チームもこれまで練習を重ねてきたが、本日、日本代表を「野武士ジャパン」と称して12月のメルボルン大会に向けての本格的始動するための決起会を行った。

平均年齢が50歳を超える日本チームが、プロが出てしまうような大会で勝利をおさめることはなかなか難しいが、それでも勝利を目指して練習を重ねている。


中田がサッカーを通じたアクションを起こして話題になったが、それを通じて参加者が楽しめ、かつ周りの人がその問題に注目できるような動きはとてもいいものだと思う。何よりその動きに参加している自分自身が楽しんでいられるのがいい。

まだWebサイトもできていない状態で、成功のために色んな手助けが欲しい状態です。もし興味があたら、参加してみてください。

交通手段を持たない大学生へ、結構アツい情報です。

その名も、「エコチャリ」!!


このサービスは、大学生に放置自転車を卒業まで無料で貸してあげようというサービスです。問題提起としては、駅前や大学構内で溢れている放置自転車に対して、どうしたら解決できるかと考えた時に、買わせるんじゃなくて、貸してあげようと考えたものだそうです。僕の友人でも、一人暮らしで自転車がないって言ってたヤツがいます。今自転車持ってない人も、これから入学する新入生も、これをうまく利用すればわざわざ買う必要ないし、ちょっと出かける時にも便利ですよね。

利用規約を読んでみましたが、大学生向けに分かりやすく作ってあるようです。借りるときはしっかり読んで、守りましょうね。


ちなみに僕は、大学最寄駅から大学まで自転車で通っていますが、買うのがもったいないので自宅から最寄り駅まで乗っていきました。4時間かかりました。今は最寄り駅の近くに駐輪場を借りています。エコチャリしてます。


僕はアルバイトで洋服を売っています。そこでの話。

仕事はどれもそうだと思いますが、洋服屋というのもハプニングやクレームがよく発生します。服が汚れていたり破れていたりとこちらの不備がほとんどですが、「サイズが合わないんで、取り替えてください」と去年の春シーズンの服を出されたり、「配送でお願いします」と言われて配送の書類まで書いてもらったのに、自分で取りに来て服がないことに怒られたりもします。でも、そういうのは上司が対応してくれるので、僕はニコニコ笑って任せます。


問題なのは、怖い人への接客。


セール期間中のある日でした。いつもはパラパラ客が来る時間帯だけど、セールとなると色んな人が来ます。いつもはお店の前を横切られる方も、ちょっと見てみようかと寄ってくれます。いつもはヒマな時間でも結構忙しかったりします。

そんなとき、一人の男性客が来ました。


身長180前後、スキンヘッド、柄物のシャツ、猫背、首に入れ墨、サングラスにボブサップみたいな体つき、自分の肩幅の1.5倍くらい幅を取る歩き方。


第六感と言わず、全ての神経や感覚が僕に「離れろ!」と伝えてました。恥ずかしながら店員といっても人間ですので。何気なく商品をたたんでいると見せかけて、彼と絶妙の距離を保っていました。心の中では「何も気に入っていただけませんように」と考える。

でもそんなときに限って、ですよね。店の端から端まで届くような声で、「すいません!」と聞こえる。僕を呼ぶ声だ。

顔を上げると彼が手を挙げて僕を見ている。しょうがないというか、どうしようもないというか。覚悟も何もないまま、ビビりながら近づく。僕は身長は高い方だが、確実に彼の方が「大きい」。


しかししかし、「いかがいたしましたか。」と声をかけると、とても丁寧な言葉で、「これ試着したいんです。あと、このシャツの一番大きいサイズを探してるんですけど、ここになくて。在庫とかありませんかね?」


これにはびっくりですよ。というか、肩透かしを食らった感じで、余計に心臓の鼓動が聞こえる。なんか言葉が出ず、少しどもりながら「ただいま在庫を確認いたします。ご試着はこちらのお部屋をお使いください。」と案内する。彼は「はい。お願いします。」と一声かけてくれながら、部屋に入る。

「商品を確認しましたら、またお声をおかけいたします。その他で御用がありましたら、お呼びください。」
「はい。ありがとうございます。」

まだドキドキしながら商品を探す。もうセール期間なので在庫はほとんどなく、そのシャツも例外ではなかった。
さらに、この商品がないというのが、問題なのだ!普段であれば、商品が自店にない時は他店の在庫状況を確認し、商品があれば在庫を自店に送ってもらうというステップを踏む。しかしセール中はそれができないため、在庫を調べて他店にある場合でも、そのお店まで買いに行ってもらわなければならない。それを伝えると怒る客もいる。

これを伝えるのって結構気が重いんです。どこかのお店で似たようなことを言われたら、寛大な心で了解してあげてください。このときも僕は気が重かった。

しかしそれを伝えると彼は、「そうですか。それはしょうがないですね。機会がなかったということですね。」と言う。在庫の確認をするかと聞くと、「いえ、今度違うお店に行った時に、あれば買いますので。」と言う。

その後、シャツのサイズなどについて話したが、彼の言葉づかいは終始丁寧だった。会計を済ませ、「またお待ちしております」と言ったときの僕の言葉に偽りはなく、本当に「また来てくださいね」という気持ちがこもっていた。



長くなってしまったが、ここで言いたいことは彼がいい人であったということでなく、「見かけ」についてである。

よく、「人は見かけが大切」だとか、「第一印象で人は決まってしまう」だとか言う。たとえば就職活動生などは皆同じような恰好をしているが、きれいな恰好で悪い印象などは受けない。逆に金髪やアフロなどを見ると、気にしていなくてもどうしても自分の中でその人にイメージをつけてしまう。

実のところ、今までの僕の意見は「外見は主観で決めるべき」だった。外見は自分の内面を表す唯一の方法であるので、他人の目とか関係なく「主観」で決めるべきだと思っていたのである。つまり自分の印象を積極的に伝える格好・外観こそがいいということ。実際に反対派が多数を占めながらも、自分がある程度納得がいくまで髪の毛を伸ばしたりもした。

これにはもちろん答えはないのだが、しかし僕はこの経験を通して、「外見を決めるのは主観だというのも、ある程度のラインが必要なんじゃないか」と感じた。それは、自分が主観で外見を意味を込めて定めたとしても、他人はその意味を汲み取れないからである。例えばこの話の彼の格好に意味があったとしても、僕はその意味を汲み取れず、ただ怖がっただけだった。彼はただ好きでそういった格好をしていただけだったかもしれないが、僕は勝手に威嚇をされていた。振り返ってみると、あんなにいい人を僕は怖がっていたわけだ。外見には相手にこの余計な印象を持たせてしまう力があるのである。ちなみに僕が髪の毛を伸ばしていたのは、髪の毛を伸ばすことで、ジョンレノンのように愛を語れるようになるのではないかという仮説を立て、それを検証していたという理由からだった。これも説明をしないと「なぜ?」となったりした(ジョンの半分もいかない長さで結論付けてしまったが。)

じゃあ「ある程度のライン」は何かというと、僕らが文化的に共有している「普通の格好」との間のラインということになると思う。この「ある程度のライン」を超えた反対側には、典型的な日本の好青年の姿がある。相手に印象を与えない格好、皆が何も思わない格好とも言える。これを気にして格好を整えるのが就職活動生である。その地域の客観が文化的にいい印象だとして共有している格好であれば、相手の自分に対する印象に負担はかけない。しかし、問題としては個性がなくなったり、みんな同じになったりする。というか単純に自分がつまらない。


好きな恰好をしているだけなのに、相手に余計な印象を与えてしまう。かと言って皆が何も思わないような恰好では、「自分らしさ」が表に出ない。自分が楽しくない。そう思うと、外見とは自分が決めるべきなのか、客観視が決めるべきなのか、はたまた他の要因が決めるべきなのか、と迷うわけです。使い分けは大切ですけれどね。



いま読み返すと、何か当然のことを書いているなあ。

それでも心に強く残った気持ちなので、満足いくまで記しておこう。

今日、辻有沙さんの歌を聞きに行った。

辻さんはNHKのパフォーという新人アーティストを発掘する番組で、マーティ・フリードマン、寺岡呼人という二人のメジャーアーティストから高い評価を受けた。その番組の関係もあり、今日はなんと寺岡呼人さんのライブにアマチュアながらゲストとして呼ばれるという快挙を達成。彼女の歌を聞きに行ったわけです。

今日聞いて思ったのが、「プロとアマとの差はどこにあるのか」ということ。これは寺岡さんも言っていた。とにかく彼女の歌は上手かった。

プロが「その仕事を職業としている人」という定義であれば、彼女はプロ並みのアマチュアと言える。しかし、プロが「そのことに対して厳しい態度で臨み、かつ第三者がそれを認める行為を実行している人」(wikipediaより)という定義であるならば、彼女は立派なプロだった。


本来プロフェッショナルというものは、その分野の専門家である。であるならば、客観的に見てその人が専門家の資格を持っていたとしても、その分野の専門家足り得る実力がなければ、プロとは呼べないのではないか。また特に感じたことは、プロであるか否かを他人が評価する際に、そこに資格があるかないかは二の次になるということ。その人の物事に取り組む姿勢が、第三者からの評価を「アマチュア」にとどまらせるか「プロ」と見なさせるかを左右することになるんだということを、改めて感じた。やっぱり実力やその物事にいかに取り組んでいるかということは、素人目にこそはっきりとわかってしまうものだと思う。また、第三者がその人をプロだと捉えるようになれば、いずれ形としてもそうなっていくんだろうな。


僕も頑張らなきゃと、そう思ったわけです。自分の取り組む一つ一つの事柄で、自他共が「こいつはプロ」だと捉えられるようになりたい。

プロフィール
  • name/林 賢司
  • birth/1986/04/18
  • belong/KO大学4年
  • theme/自分のために、他人を幸せにする
  • "My Accept"/自分の経験から目を背けずに、「その時の自分なりに」受け止めていくこと。
  • purpose/「その時の自分なり」の解釈・観察・感情の蓄積。
  • contact/kenji[at]monoraltype.com

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