先日、久しぶりに怒られた。先輩にマジギレされた。理由は、僕の報告の怠慢。どんどん雑になっていることに、気がつかなかった。
いつもはニコニコしている先輩が、ブチ切れた。その先輩のすごいところは、ブチ切れ、怒鳴った後、少しするともうニコニコしている。しかし、この「気にしてないよ~。」という空気が、僕に自省を強く促す。
「いつものこと」をこなすって、すごく難しいことだと気がついた。知っていたけど、強く心に刻みつけられたイメージ。最初は「最終的な目的があって、今自分がやっていることがある」ということに気がついていて、次のステップの邪魔にならないように、もしくはより円滑に進むように、気をつけていたはずだった。しかし気がつくと、自分のしていることの目的は「それをこなすこと」になっていた。また慣れた作業だと、何を意識しなくても行える。ミスも起こりやすくなる。そこに気づいていなかった。結果、ミス発生。
「なんでここが抜けてんの?」
「あ、すいません。ついウッカリ。」
「ウッカリじゃぁねえだろうがああああああああ!!!」
(文字だと迫力でないのですが、こんな感じ。)
ビックリしました。久々に怒られた時の、「やべぇ」という感情を味わった。(余談になりますが、この「精神的な痛み」っていうのはどこでするのだろう?と考え、「やべぇ」という感覚の中、痛みの発生箇所を探っていた。やっぱり心臓のあたりが痛くなりますね。これが「心がハートで、心臓(付近)にある」と思われる所以だろうか。僕は前野隆司さんの考え方が一番しっくりきているので、心はこんなとこにはないと思っているが。心臓に血液がどんどん行ったりするのかな?するのだろうね。余談でした。)たぶん、僕の怠慢を薄々感じていたんだと思う。だって、しっかり最終的な目的を考えた上で自分の行為を行えていたら、日々の積み重ねで、当初よりは少しは進歩していたりしていたはずだし。経験が蓄積した分、「こうしたらもっと次がやりやすくなるんじゃないかな?俺も楽だし。」とか、そういう発想が生まれたはずだろう。でも、僕はただこなしていた。
しかし、今考えると、めっちゃいい経験になった。本当に、先輩に感謝。
あそこで怒られなかったら、こんなに気にしなかっただろう。「ウッカリじゃないよ~~(ニコニコ)」なんて言われてたら、ただミスしたところを直しておしまいだった。この怒られたことというのは、どこでもやりかねないことだし、今後やっちゃう可能性が多いにある。僕の場合なんて特に。その中で、どれだけ「気をつけよう」と意識する感覚が続くか分からないが、今は日常一つの行動にもしっかり気をつけるようにしている。このまま習慣になってしまえばいいなあ。
中学や高校で部活をやっていた頃、先生によく怒られた。しかし、その怒られたときの受け止め方が今とは全然違った。叱られるっていうマイナスなことから、相手が何のためを思って叱ってくれたか、それを今後にどう生かすかを考えられるようになった。僕も少しは、「肯定的叱られ」を身につけてきているのかな。(これというのを若いうちから身につけておけば、その分その子は色々要素の吸収力を身につけることになる。これというのは、どうしたら教えられるものだろう?これも余談。)
いい経験をしたし、これを忘れたくないので、将来の自分へメッセージを記しておこう。
kenjiへ
【日常の行動すべてに最終的な目的があり、その目的の身近な達成ゴールとして、今取っている行動のゴールがある。その最終的な目的をしっかり意識して、日常の行動・ルーティンワークなどを行うこと。その最終的な目的に少しでも寄与するような改善を、しっかり考えながら行動していくこと。】
最近は「ほめること」に注目が集まっている気がしているが、上手い叱り方であればこれも非常に効果を上げるものになる。このバランスが大切になるわけですな。
でもやっぱり、叱られるって良くないね。たまに、理不尽に叱られることだってあるしね。
いつもはニコニコしている先輩が、ブチ切れた。その先輩のすごいところは、ブチ切れ、怒鳴った後、少しするともうニコニコしている。しかし、この「気にしてないよ~。」という空気が、僕に自省を強く促す。
「いつものこと」をこなすって、すごく難しいことだと気がついた。知っていたけど、強く心に刻みつけられたイメージ。最初は「最終的な目的があって、今自分がやっていることがある」ということに気がついていて、次のステップの邪魔にならないように、もしくはより円滑に進むように、気をつけていたはずだった。しかし気がつくと、自分のしていることの目的は「それをこなすこと」になっていた。また慣れた作業だと、何を意識しなくても行える。ミスも起こりやすくなる。そこに気づいていなかった。結果、ミス発生。
「なんでここが抜けてんの?」
「あ、すいません。ついウッカリ。」
「ウッカリじゃぁねえだろうがああああああああ!!!」
(文字だと迫力でないのですが、こんな感じ。)
ビックリしました。久々に怒られた時の、「やべぇ」という感情を味わった。(余談になりますが、この「精神的な痛み」っていうのはどこでするのだろう?と考え、「やべぇ」という感覚の中、痛みの発生箇所を探っていた。やっぱり心臓のあたりが痛くなりますね。これが「心がハートで、心臓(付近)にある」と思われる所以だろうか。僕は前野隆司さんの考え方が一番しっくりきているので、心はこんなとこにはないと思っているが。心臓に血液がどんどん行ったりするのかな?するのだろうね。余談でした。)たぶん、僕の怠慢を薄々感じていたんだと思う。だって、しっかり最終的な目的を考えた上で自分の行為を行えていたら、日々の積み重ねで、当初よりは少しは進歩していたりしていたはずだし。経験が蓄積した分、「こうしたらもっと次がやりやすくなるんじゃないかな?俺も楽だし。」とか、そういう発想が生まれたはずだろう。でも、僕はただこなしていた。
しかし、今考えると、めっちゃいい経験になった。本当に、先輩に感謝。
あそこで怒られなかったら、こんなに気にしなかっただろう。「ウッカリじゃないよ~~(ニコニコ)」なんて言われてたら、ただミスしたところを直しておしまいだった。この怒られたことというのは、どこでもやりかねないことだし、今後やっちゃう可能性が多いにある。僕の場合なんて特に。その中で、どれだけ「気をつけよう」と意識する感覚が続くか分からないが、今は日常一つの行動にもしっかり気をつけるようにしている。このまま習慣になってしまえばいいなあ。
中学や高校で部活をやっていた頃、先生によく怒られた。しかし、その怒られたときの受け止め方が今とは全然違った。叱られるっていうマイナスなことから、相手が何のためを思って叱ってくれたか、それを今後にどう生かすかを考えられるようになった。僕も少しは、「肯定的叱られ」を身につけてきているのかな。(これというのを若いうちから身につけておけば、その分その子は色々要素の吸収力を身につけることになる。これというのは、どうしたら教えられるものだろう?これも余談。)
いい経験をしたし、これを忘れたくないので、将来の自分へメッセージを記しておこう。
kenjiへ
【日常の行動すべてに最終的な目的があり、その目的の身近な達成ゴールとして、今取っている行動のゴールがある。その最終的な目的をしっかり意識して、日常の行動・ルーティンワークなどを行うこと。その最終的な目的に少しでも寄与するような改善を、しっかり考えながら行動していくこと。】
最近は「ほめること」に注目が集まっている気がしているが、上手い叱り方であればこれも非常に効果を上げるものになる。このバランスが大切になるわけですな。
でもやっぱり、叱られるって良くないね。たまに、理不尽に叱られることだってあるしね。


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