葛藤

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心の中に、葛藤がある。


目の前のことに集中しようと努めているものの、その葛藤の占める心の割合が大きすぎる。結果、その葛藤による心の騒ぎで手が止まる。

この葛藤を通して思うことは、「悩みこそ人生を豊かにする」ということ。誰かの名言にありそうですが、これいい点を突いていると思う。だって、葛藤をしている心は、「イマ・ココ」にあって、何をしようにもその心に邪魔される僕の意識は、「イマ・ココ」の時間に縛られることになっているわけです。


人間の想像力は、時間も場所も飛び越えて、さまざまなところやモノに意識を旅させることができますね。また、ネットでつながった現代社会では、想像ではなく実際に自分(の意識)を旅させることができるようにもなりました。すなわちネットサーフィンや友達とのチャットやメール、オンラインゲームなどでしょうか。よく大学でネットの発達によって「体はココにあるけど、心がココにない」状態というのが日常化しており、それが問題だとか問題でないだとかいう論議を耳にしました。

しかし、心の葛藤があると、心はどこにも行かせてもらえずにココにつなぎとめられてしまう。「その葛藤に向かって意識が行っているじゃないか!」という反論がありそうですが、そういう感覚ではなく、何か胸が騒々しいのだけど、なぜ騒々しいのかがよくわからない感じ。結果、ただ手を止めて、ぼーっとしてしまうような。

これが誰かと共同作業をしているときには、その作業に心をおけてないことで「イマ・ココ」にいれているとはならないのかもしれないが、今この記事を一人打っている僕のような状況では、何かをやろうにも・考えようにも、何ともならない。ただ呆然として、心が騒いでいるのを時間が過ぎていくのと共に感じているだけような、そんな感覚でいます。


全然気持ちのいい状態ではないですが、何をしようにもはかどらないので、とりあえずは庭で鳴いてる鈴虫の声と心の葛藤している声に耳を傾けてみることにしました。


(しかし「聞いている」ことも動作ですよね。そうすると、これも一つ物事に取り組んでいることになりますよね。そうすると「何も手がつかない・・」というのはおかしいのか??)



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プロフィール
  • name/林 賢司
  • birth/1986/04/18
  • belong/KO大学4年
  • theme/自分のために、他人を幸せにする
  • "My Accept"/自分の経験から目を背けずに、「その時の自分なりに」受け止めていくこと。
  • purpose/「その時の自分なり」の解釈・観察・感情の蓄積。
  • contact/kenji[at]monoraltype.com

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このページは、kenjiが2008年9月 8日 00:43に書いたブログ記事です。

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