今期から、金子郁容という先生の研究会に入った。
研究会での、自分を含めた新規履修生の最初のテーマは、「合理的に考える・伝えること」。
「別に合理的に考えることが人生において最も大切なことはではない」と金子先生は言う。僕もそう思う。しかし、相手に何かを伝えるという点においては、「合理的に考え、合理的に伝える」ということは非常に重要な意味を持つ。なぜなら相手に「自分の思考と同じ経路をたどらせることができるから」であり、それは相手が「分かる伝え方」をすることにつながるからである。(相手を説得するということではないですね。むしろ相手が反論しやすくなる。自分がどういう風に考えてこういう結論を出したということが分かるから。)
研究会で行ったのは、ハーバート・サイモン提唱による「合理的行動」を理解すること。
→ハーバート・サイモン
合理的行動とはすなわち
①その中から一つを選ぶ選択肢の集合が与えられている
②選択の基準が与えられている(一番利潤が高いもの、一番社会的なもの、サイコロ振って決めるなどなど)
③②で決めた基準にそって最も望ましい選択肢を選ぶ
という順序で行われる行動のことを指す。
最初は「なるほど。このステップを踏んで説明すれば、合理的に伝えられるのね。」と軽く考えていた。ただ、ステップを踏んでみて驚いた。自分の日常の思考がいかに(サイモンの言うところでの)合理的でないかを知ることになった。
まず①の「選択肢の集合」というものが難しい。この選択肢とは、「同じレベルのものでなければいけない」というルールが必要になるからだ。
この同じレベルとは、それぞれの選択肢が位置する「階層」とも言えるかもしれない。昨日は社会の話だったので、社会について例を挙げるとすると、
国・地方自治体・民間企業・NPO法人・財団法人・hayashi kenji
という選択肢があったとすると、これらは同じレベルに入るだろうか?という話。
これは入らない。なぜなら、
一人一人が決めることと、組織が決めることは違う
民間が決めることと、国が決めることは違う
国が決めることと、世界が決めることは違う
などなど、それぞれの選択肢が行えることや発することができる影響力が違うので、同じ土俵(レベル)で比較してしまっては混同してしまうからである。
この場合では、
国>民間>NPO>個人
と、選択肢は違うレベルにあることを理解しておく必要があるとのこと。
研究会には日本の高校生を対象に研究を行っている学生がいるが、彼女の研究の場合、合理的に自分の研究対象を説明するには、選択肢の集合は、
Ⅰ北海道から沖縄まで、全ての高校生を対象にする
↓
Ⅱその中で、東京都の公立・私立の高校生を対象にする
↓
Ⅲその中で、私立の高校の男子校・女子校・共学を対象にする
↓
Ⅳその中で、男子校を対象にする
というように①から④まで選択肢の集合のレベルを下げていくことができる。このようにすれば、彼女が「東京都の私立の高校生の男子を対象にした研究」を行っていることが分かりやすい。
さて、ここからが一番難しいところになる。合理的な行動を行うためには、「②選択の基準が与えられている」必要があるのだそうだ。つまり上記の例の場合、
Ⅱでは、1都1道2府43県がある中で、なぜ東京都を選んだのか。選択の基準は?
Ⅲでは、東京都の公立・私立の中で、なぜ私立を選んだのか。選択の基準は?
Ⅳでは、男子校・女子校・共学がある中で、なぜ男子校を選んだのか。選択の基準は?
となっていく。ここで選択の基準が明確であれば、一番基準に沿って好ましいものが選ばれていた場合はそれが「合理的な行動」であることが分かるし、基準に沿って好ましいものでない場合は、それは「合理的でない行動」であることが分かる。
この考え方を、良く世間で行われている行動を観察することに用いてみる。例えば、「貧困をなくそう!」とすること。この方法として、「食糧を送る」という選択肢があるとする。しかし、この行動には数多くのレベルがあることが分かるだろうか。
食料を送る → 「政府」が、政府に送る
食料を送る → 「NPO団体」が、NPO団体に送る
食料を送る → 「個人」が、NGOに送る
などなど。つまり「貧困をなくそう!」と思った時に、「食糧を送る」という選択肢があったとしても、合理的行動に起こすには「どのレベルが、どのレベルに送るか」ということを考える必要があるということになる。またその中で、レベルを決めたなら「食料を送る」という選択肢の他にどんな選択肢が、そのレベルにはあるかを考える。様々な選択肢を用意したなら、ある「基準」を設けた上でその選択肢を観察し、その基準を最も満たす最善なものを選ぶ。そうすると、それは「合理的な判断に基づく行動」になるわけですね。
これを書いている現在、正直よくわかったようなわからないようなです。この考えをいかに応用して物事を観察して捉えていくか。それが大事になるようなのだが、今はまだ何とも言えない。また、認識の間違いがあったら、ご教授いただければ幸いです。
ちなみに金子先生曰く、ソーシャルイノベーションとは、「先ほどの「貧困をなくそう」の中の選択肢に、「今はない仕事を作ろう!」などと、普通には出てこない選択肢を用意すること」だそう。イノベーションには自由な発想がつきものであるし、枠を取っ払った考え方が必要になる。それではまず、枠を作って考えてみる。そういったアプローチの仕方も、イノベーションを起こす上では必要だということでした。
研究会での、自分を含めた新規履修生の最初のテーマは、「合理的に考える・伝えること」。
「別に合理的に考えることが人生において最も大切なことはではない」と金子先生は言う。僕もそう思う。しかし、相手に何かを伝えるという点においては、「合理的に考え、合理的に伝える」ということは非常に重要な意味を持つ。なぜなら相手に「自分の思考と同じ経路をたどらせることができるから」であり、それは相手が「分かる伝え方」をすることにつながるからである。(相手を説得するということではないですね。むしろ相手が反論しやすくなる。自分がどういう風に考えてこういう結論を出したということが分かるから。)
研究会で行ったのは、ハーバート・サイモン提唱による「合理的行動」を理解すること。
→ハーバート・サイモン
合理的行動とはすなわち
①その中から一つを選ぶ選択肢の集合が与えられている
②選択の基準が与えられている(一番利潤が高いもの、一番社会的なもの、サイコロ振って決めるなどなど)
③②で決めた基準にそって最も望ましい選択肢を選ぶ
という順序で行われる行動のことを指す。
最初は「なるほど。このステップを踏んで説明すれば、合理的に伝えられるのね。」と軽く考えていた。ただ、ステップを踏んでみて驚いた。自分の日常の思考がいかに(サイモンの言うところでの)合理的でないかを知ることになった。
まず①の「選択肢の集合」というものが難しい。この選択肢とは、「同じレベルのものでなければいけない」というルールが必要になるからだ。
この同じレベルとは、それぞれの選択肢が位置する「階層」とも言えるかもしれない。昨日は社会の話だったので、社会について例を挙げるとすると、
国・地方自治体・民間企業・NPO法人・財団法人・hayashi kenji
という選択肢があったとすると、これらは同じレベルに入るだろうか?という話。
これは入らない。なぜなら、
一人一人が決めることと、組織が決めることは違う
民間が決めることと、国が決めることは違う
国が決めることと、世界が決めることは違う
などなど、それぞれの選択肢が行えることや発することができる影響力が違うので、同じ土俵(レベル)で比較してしまっては混同してしまうからである。
この場合では、
国>民間>NPO>個人
と、選択肢は違うレベルにあることを理解しておく必要があるとのこと。
研究会には日本の高校生を対象に研究を行っている学生がいるが、彼女の研究の場合、合理的に自分の研究対象を説明するには、選択肢の集合は、
Ⅰ北海道から沖縄まで、全ての高校生を対象にする
↓
Ⅱその中で、東京都の公立・私立の高校生を対象にする
↓
Ⅲその中で、私立の高校の男子校・女子校・共学を対象にする
↓
Ⅳその中で、男子校を対象にする
というように①から④まで選択肢の集合のレベルを下げていくことができる。このようにすれば、彼女が「東京都の私立の高校生の男子を対象にした研究」を行っていることが分かりやすい。
さて、ここからが一番難しいところになる。合理的な行動を行うためには、「②選択の基準が与えられている」必要があるのだそうだ。つまり上記の例の場合、
Ⅱでは、1都1道2府43県がある中で、なぜ東京都を選んだのか。選択の基準は?
Ⅲでは、東京都の公立・私立の中で、なぜ私立を選んだのか。選択の基準は?
Ⅳでは、男子校・女子校・共学がある中で、なぜ男子校を選んだのか。選択の基準は?
となっていく。ここで選択の基準が明確であれば、一番基準に沿って好ましいものが選ばれていた場合はそれが「合理的な行動」であることが分かるし、基準に沿って好ましいものでない場合は、それは「合理的でない行動」であることが分かる。
この考え方を、良く世間で行われている行動を観察することに用いてみる。例えば、「貧困をなくそう!」とすること。この方法として、「食糧を送る」という選択肢があるとする。しかし、この行動には数多くのレベルがあることが分かるだろうか。
食料を送る → 「政府」が、政府に送る
食料を送る → 「NPO団体」が、NPO団体に送る
食料を送る → 「個人」が、NGOに送る
などなど。つまり「貧困をなくそう!」と思った時に、「食糧を送る」という選択肢があったとしても、合理的行動に起こすには「どのレベルが、どのレベルに送るか」ということを考える必要があるということになる。またその中で、レベルを決めたなら「食料を送る」という選択肢の他にどんな選択肢が、そのレベルにはあるかを考える。様々な選択肢を用意したなら、ある「基準」を設けた上でその選択肢を観察し、その基準を最も満たす最善なものを選ぶ。そうすると、それは「合理的な判断に基づく行動」になるわけですね。
これを書いている現在、正直よくわかったようなわからないようなです。この考えをいかに応用して物事を観察して捉えていくか。それが大事になるようなのだが、今はまだ何とも言えない。また、認識の間違いがあったら、ご教授いただければ幸いです。
ちなみに金子先生曰く、ソーシャルイノベーションとは、「先ほどの「貧困をなくそう」の中の選択肢に、「今はない仕事を作ろう!」などと、普通には出てこない選択肢を用意すること」だそう。イノベーションには自由な発想がつきものであるし、枠を取っ払った考え方が必要になる。それではまず、枠を作って考えてみる。そういったアプローチの仕方も、イノベーションを起こす上では必要だということでした。


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