2009年3月アーカイブ
更新をご無沙汰していました。
春休みもついに終わりです。
近頃、日常自分でも使っている言葉にも、ハッとさせられることが多いです。
例えば、「一生懸命が、自分の道を切り開く」という言葉。
今日、これからお世話になっていくだろう先生からいただきました。
僕はこれまで、この当たり前の言葉から、どれほどの意味を捉えられていただろうか。
そして、今はどうだろう?
自分の体験の蓄積から、何となく言葉のイメージがつかめるようになってきた今日この頃。そのイメージには、今まで自分が感じたこともないようなことも含まれていたり。こういったことが、成長といわれるものなのかな。
明日から、大学4年生。
あと一年。最高の年にする。
春休みもついに終わりです。
近頃、日常自分でも使っている言葉にも、ハッとさせられることが多いです。
例えば、「一生懸命が、自分の道を切り開く」という言葉。
今日、これからお世話になっていくだろう先生からいただきました。
僕はこれまで、この当たり前の言葉から、どれほどの意味を捉えられていただろうか。
そして、今はどうだろう?
自分の体験の蓄積から、何となく言葉のイメージがつかめるようになってきた今日この頃。そのイメージには、今まで自分が感じたこともないようなことも含まれていたり。こういったことが、成長といわれるものなのかな。
明日から、大学4年生。
あと一年。最高の年にする。
昨日家に帰ると、2週間前から家出をしていた愛猫「ラッキー」が帰ってきていた。
雨や雪が降っていたし、近所は車の交通も多いので、正直あきらめてもいた。
ガリガリに痩せていながらも、どこも怪我している様子はなく、ほっとした。
またエサを食べる際、エサを横取りしようとする兄弟ネコ「サン」に対して、今までは尻尾を巻いて逃げていたのが、うなり声を上げて威嚇するなど、少し強くなって帰ってきていた。
あきらめていた「吉」が戻るとは、色んな意味でいいニュースでした。
雨や雪が降っていたし、近所は車の交通も多いので、正直あきらめてもいた。
ガリガリに痩せていながらも、どこも怪我している様子はなく、ほっとした。
またエサを食べる際、エサを横取りしようとする兄弟ネコ「サン」に対して、今までは尻尾を巻いて逃げていたのが、うなり声を上げて威嚇するなど、少し強くなって帰ってきていた。
あきらめていた「吉」が戻るとは、色んな意味でいいニュースでした。
先日、友達から「フラワーアレンジメントを見に行こう」と誘われた。
「フラワーアレンジメント?いいよ。行こう行こう。」と、僕は何気なく答えて高島屋の展示会場に行った。それがどんなものかも知らずに・・・・。
展示会場が見えてくると、壁の色が僕好みだったんですよ。「お、これはなんか期待できそう。」と思ったのも束の間、
眼に飛び込んできた一つ目の作品に、僕は圧倒されました。
「すんげえ・・・」
という感想です。あのですね、すんごいんです。
この展示会は、ダニエル・オストというフラワーアーティストの展示会でした。今日知人に話して知ったのですが、結構世界的に有名なアーティストらしい。彼は草木・花を使って空間をデザインするのですが、彼の作品の存在感といい、その空間やモノ(今回は『食卓』がテーマだったので、テーブルや食器、テーブルクロス等)との調和といい、圧倒的なわけです。"美しい"んです。
何より、草木は生きているので、香りや水分が展示室の中に充満しており、まさに「部屋全体を感じる」ように、展示物を見ることができる。そらもう、すごかった。あまりに感動して、帰りに彼の作品集を買って、本人が来ていたのでサインをもらってしまいました笑
作品を見た帰り、つくづく、改めて思ったことは、「表現を突き詰めると、万人に影響を与えるんだな」ということでした。というか、感性に訴えるものは、自分の趣味趣向・考えを突き抜けて「すごい」と思わせる力がある。それを改めて感じました。今日は秋川雅史さんの「千の風になって」を生で聞くことができたが、秋川さんの歌声にも心を揺さぶる力がありました。
これから僕の進む道は、彼らのような芸術の道ではないけれど、「感覚・感性」に訴える力を持つことは大事。これ極意と見た。
▼LINK-----
ダニエル・オストのウェブサイトです。
→DANIEL OST JAPAN
秋川雅史さんのウェブサイトです。
→秋川雅史オフィシャルWEBサイト
「フラワーアレンジメント?いいよ。行こう行こう。」と、僕は何気なく答えて高島屋の展示会場に行った。それがどんなものかも知らずに・・・・。
展示会場が見えてくると、壁の色が僕好みだったんですよ。「お、これはなんか期待できそう。」と思ったのも束の間、
眼に飛び込んできた一つ目の作品に、僕は圧倒されました。
「すんげえ・・・」
という感想です。あのですね、すんごいんです。
この展示会は、ダニエル・オストというフラワーアーティストの展示会でした。今日知人に話して知ったのですが、結構世界的に有名なアーティストらしい。彼は草木・花を使って空間をデザインするのですが、彼の作品の存在感といい、その空間やモノ(今回は『食卓』がテーマだったので、テーブルや食器、テーブルクロス等)との調和といい、圧倒的なわけです。"美しい"んです。
何より、草木は生きているので、香りや水分が展示室の中に充満しており、まさに「部屋全体を感じる」ように、展示物を見ることができる。そらもう、すごかった。あまりに感動して、帰りに彼の作品集を買って、本人が来ていたのでサインをもらってしまいました笑
作品を見た帰り、つくづく、改めて思ったことは、「表現を突き詰めると、万人に影響を与えるんだな」ということでした。というか、感性に訴えるものは、自分の趣味趣向・考えを突き抜けて「すごい」と思わせる力がある。それを改めて感じました。今日は秋川雅史さんの「千の風になって」を生で聞くことができたが、秋川さんの歌声にも心を揺さぶる力がありました。
これから僕の進む道は、彼らのような芸術の道ではないけれど、「感覚・感性」に訴える力を持つことは大事。これ極意と見た。
▼LINK-----
ダニエル・オストのウェブサイトです。
→DANIEL OST JAPAN
秋川雅史さんのウェブサイトです。
→秋川雅史オフィシャルWEBサイト
近頃会津に出入りすることが多い。それなのに会津の歴史を全く知らないのもおかしいし、そもそも僕は日本史に疎いので「せっかくなので勉強しよう」と思ってちらほら読んでみたりしてます。
今大河ドラマで「直江兼続」がやっていますね。直江兼続は今の鶴ヶ城を見て、「この場所では都合(攻められてきたときに弱い)が悪い」などして、戦術的に優れた場所に城を移そうとしたのだとか。徳川との関係から計画は流れたそうですが。
会津でツアーの打ち合わせをしていたとき、会津藩校日新館の仮名さんに「直江兼続流行ってますね~。会津もそこら中で『天地人』ですね」と話を振ってみると、「会津は領主が次々に変わった土地だった。兼続が仕えた上杉景勝もそうだったし、蒲生氏郷もいる。伊達正宗も少しの間そうだった。ただ、その中でも名君といえば、保科正之だろうね。」と言われた。何でも玉川上水の開削をしたり、江戸城が燃えた後に、江戸城を「作らせなかった」人なのだそうだ。
「すごい人なんだろうな」と思って話を聞いて、帰りに駅前の本屋に入ってみると、「保科正之」の本が目に止まった。縁だと思って買って読んでみたわけです。
→中村彰彦著『保科正之』/中公文庫(2006/5)
この保科正之という人は、二代目将軍徳川秀忠と世話人との間に生まれた人で、嫉妬深い大奥正室の目を逃れるようにして、武田信玄の娘に育てられ、高遠藩主保科正光の養子として預けられて育つという、稀有な経歴を持つ人。後年には三代目将軍家光から「徳川」姓、もしくは一門の姓である「松平」を名乗るよう言われるものの、養父正光への終生の義理立てから断り続けたという。その恩義に報いようとする姿勢や正直な人柄から、三代目将軍家光に信頼され、家光没後は幼かった四代目家綱の後見人になった。
彼は民に非常に目を向けた人であったそうで、「江戸の飲み水が足りない」という問題を解決するため、「江戸の堅牢性が下がる」とわめく幕臣達をしずめながら、玉川上水の開削を行った。また、「明暦の大火」といわれる大火事にて焼け落ちた江戸城も、立て直そうという幕臣に対し、「軍用に大きな利点があったということは聞かないし、ただ町を見下ろすものとして使うだけであるのなら、そこに大きな労力とお金を費やす必要はない。それよりも燃えてしまった町の復旧に力を入れるべきだろう」ということでその意見を退け、結局立て直さなかった。
また、会津藩の藩政においては、「会津藩家訓」を定めたり、「社倉」と呼ばれる「飢饉のときなどに貧民を救うための米貯蔵庫」を作ったりした。この社倉米は無利息で借り受けられたり、利息がついた場合でも2、3年は支払いを待ってもらえたりしたそう。天候に左右されてしまう農作物を扱う上で、こうした制度を作ってくれることは、農民にとっても有難いことだったと思う。
この時代の人について目を向けると、忠孝・恩義といったことにとても誠実だなということを、改めて感じる。今の時代とは大きく違う文化・習慣が、当然としてあった時代。もちろん読んでいて「美化されすぎだろ?」と思ったり、「この時代に生まれないでよかった」と思う点もあったけど、「こういうリーダーの下のこういう文化もいいなあ」と思う点もあった。
当たり前のことだけど、今僕らが当然のこととして考え、当然として親しむ文化も、昔から考えれば「異文化」だし、当然未来から考えても「異文化」になるわけだよなあ。そしたら未来を作っていくとは、すなわち「文化」を作っていくことになるわけで、「未来の担い手」とは「今の文化を過去の文化にできる人」を指すわけか。どんな文化にするかは、未来の担い手次第。
だったら、常に「対応」しているだけでなく、「創造」する側でいたいよなあ。
余談だけど、保科正之は「殉死」を禁止させる法律を早い段階で作った人らしい。殉死とは藩主が死んだらそれを追いかけて死ぬこと。当時はそれが普通に行われていた。
そうしたときって、「ああ、オレこいつのために死にたくないなあ」と思って死ぬ家臣はいたのだろうか。それとも皆、「いつ何時も、この方の供でいたいのだ!!」という気概で死んでいくのだろうか。そこを知りたい!!!って強く思った(笑)
今の時代に殉死を行えるぐらいの関係は、どれくらいあるだろうね。
今大河ドラマで「直江兼続」がやっていますね。直江兼続は今の鶴ヶ城を見て、「この場所では都合(攻められてきたときに弱い)が悪い」などして、戦術的に優れた場所に城を移そうとしたのだとか。徳川との関係から計画は流れたそうですが。
会津でツアーの打ち合わせをしていたとき、会津藩校日新館の仮名さんに「直江兼続流行ってますね~。会津もそこら中で『天地人』ですね」と話を振ってみると、「会津は領主が次々に変わった土地だった。兼続が仕えた上杉景勝もそうだったし、蒲生氏郷もいる。伊達正宗も少しの間そうだった。ただ、その中でも名君といえば、保科正之だろうね。」と言われた。何でも玉川上水の開削をしたり、江戸城が燃えた後に、江戸城を「作らせなかった」人なのだそうだ。
「すごい人なんだろうな」と思って話を聞いて、帰りに駅前の本屋に入ってみると、「保科正之」の本が目に止まった。縁だと思って買って読んでみたわけです。
→中村彰彦著『保科正之』/中公文庫(2006/5)
この保科正之という人は、二代目将軍徳川秀忠と世話人との間に生まれた人で、嫉妬深い大奥正室の目を逃れるようにして、武田信玄の娘に育てられ、高遠藩主保科正光の養子として預けられて育つという、稀有な経歴を持つ人。後年には三代目将軍家光から「徳川」姓、もしくは一門の姓である「松平」を名乗るよう言われるものの、養父正光への終生の義理立てから断り続けたという。その恩義に報いようとする姿勢や正直な人柄から、三代目将軍家光に信頼され、家光没後は幼かった四代目家綱の後見人になった。
彼は民に非常に目を向けた人であったそうで、「江戸の飲み水が足りない」という問題を解決するため、「江戸の堅牢性が下がる」とわめく幕臣達をしずめながら、玉川上水の開削を行った。また、「明暦の大火」といわれる大火事にて焼け落ちた江戸城も、立て直そうという幕臣に対し、「軍用に大きな利点があったということは聞かないし、ただ町を見下ろすものとして使うだけであるのなら、そこに大きな労力とお金を費やす必要はない。それよりも燃えてしまった町の復旧に力を入れるべきだろう」ということでその意見を退け、結局立て直さなかった。
また、会津藩の藩政においては、「会津藩家訓」を定めたり、「社倉」と呼ばれる「飢饉のときなどに貧民を救うための米貯蔵庫」を作ったりした。この社倉米は無利息で借り受けられたり、利息がついた場合でも2、3年は支払いを待ってもらえたりしたそう。天候に左右されてしまう農作物を扱う上で、こうした制度を作ってくれることは、農民にとっても有難いことだったと思う。
この時代の人について目を向けると、忠孝・恩義といったことにとても誠実だなということを、改めて感じる。今の時代とは大きく違う文化・習慣が、当然としてあった時代。もちろん読んでいて「美化されすぎだろ?」と思ったり、「この時代に生まれないでよかった」と思う点もあったけど、「こういうリーダーの下のこういう文化もいいなあ」と思う点もあった。
当たり前のことだけど、今僕らが当然のこととして考え、当然として親しむ文化も、昔から考えれば「異文化」だし、当然未来から考えても「異文化」になるわけだよなあ。そしたら未来を作っていくとは、すなわち「文化」を作っていくことになるわけで、「未来の担い手」とは「今の文化を過去の文化にできる人」を指すわけか。どんな文化にするかは、未来の担い手次第。
だったら、常に「対応」しているだけでなく、「創造」する側でいたいよなあ。
余談だけど、保科正之は「殉死」を禁止させる法律を早い段階で作った人らしい。殉死とは藩主が死んだらそれを追いかけて死ぬこと。当時はそれが普通に行われていた。
そうしたときって、「ああ、オレこいつのために死にたくないなあ」と思って死ぬ家臣はいたのだろうか。それとも皆、「いつ何時も、この方の供でいたいのだ!!」という気概で死んでいくのだろうか。そこを知りたい!!!って強く思った(笑)
今の時代に殉死を行えるぐらいの関係は、どれくらいあるだろうね。
福沢諭吉展を見に、上野の東京国立博物館に行ってきた。
途中、古本市などに気を取られたりしている間に時間は過ぎ、閉館1時間前に会場に着いた。
すごい混み様だった。
福沢先生の遺品や書物が展示されていた。様々な年代の方が、思い思いに展示品を見つめていた。
あの人数が慶應大学の関係者だとしたら、すごい。福沢諭吉の作った学びの舎は、こんなにものつながりを作ったのかと思った。
僕ももう4年。自分の岐路に頭を悩ませる。「独立自尊」の先生の言葉が、心に染み入る。
途中、古本市などに気を取られたりしている間に時間は過ぎ、閉館1時間前に会場に着いた。
すごい混み様だった。
福沢先生の遺品や書物が展示されていた。様々な年代の方が、思い思いに展示品を見つめていた。
あの人数が慶應大学の関係者だとしたら、すごい。福沢諭吉の作った学びの舎は、こんなにものつながりを作ったのかと思った。
僕ももう4年。自分の岐路に頭を悩ませる。「独立自尊」の先生の言葉が、心に染み入る。
色んなことが瀬戸際。もっと物事に忙殺されている先輩がいるのに。
困難に直面したとき、「自分が成長するいいチャンスが来たな」と思いなさいという教えを、会津でいただいた。また、僕には有能すぎる仲間がたくさんいるんでね。自分のためにも、仲間に頼りまくって気張っていこうと思う。
頑なになって張ってはいけないけれど、気持ちだけは張っていける。気張っていこう。
良い春休み。
困難に直面したとき、「自分が成長するいいチャンスが来たな」と思いなさいという教えを、会津でいただいた。また、僕には有能すぎる仲間がたくさんいるんでね。自分のためにも、仲間に頼りまくって気張っていこうと思う。
頑なになって張ってはいけないけれど、気持ちだけは張っていける。気張っていこう。
良い春休み。
僕の2009年特大イベント第二弾(第一弾はドレイトン氏との対談)であった「Aizツアー09春」がひとまず終わった。素晴らしいものになった。同時に初めてのツアー企画を終えて、ホッとしている。
このツアーは2月27日から3月1日の2泊3日で会津を訪問するものであったが、僕と細田、浅見の3人は25日から会津に入っており、26日には会津若松の市長とお会いした。市長のブログにも掲載され、それを見た福島テレビが取材に来たりしてました。
→会津若松市長 かんけ一郎のブログ
今回のツアーは、首都圏の学生27人で、主に僕が雑誌「realiZe」を通して見つけた『会津の魅力』を訪問するというものだった。僕らが会津を訪問し、僕らが「東京の若者の代表」となって、僕らの視点で見て、良いと感じる会津の良さを組立てて、ツアーにしました。
僕から見た会津の魅力は、「人」と「土地」にあります。友人に「ゲニウス・ロキ」という概念を教えてもらったが、まさに会津には精霊とまでは言わないまでも、何かが間違いなくある土地だと思う。
「会津の土地は、人の心に刺激を与える。会津の人は、人の生き方に変化を与える。」
僕の会津の魅力とは、こんな感じのイメージでした。このツアーでは、「この感覚を参加者に感じてほしい。感じてくれたら成功だ。」と思い、準備をしてきました。
ツアーを終えた今、自信を持って言えることは、「ツアーは成功した」ということです。
何より嬉しい。自分の組んだ最初のツアーは、本当に意味のあるものになりました。
これで、「会津の魅力は、「人」と「土地」にあるんだ」と、自信を持って言えるようになりました。
現在、ツアーを振り返ってまとめを行っています。近々ホームページに写真やツアーの詳細をアップします。少し「やり切った感」による脱力症候群が発生していますが、気持ちを切り替えないと。
でもよくやった!!!!!!嬉しい!!
このツアーは2月27日から3月1日の2泊3日で会津を訪問するものであったが、僕と細田、浅見の3人は25日から会津に入っており、26日には会津若松の市長とお会いした。市長のブログにも掲載され、それを見た福島テレビが取材に来たりしてました。
→会津若松市長 かんけ一郎のブログ
今回のツアーは、首都圏の学生27人で、主に僕が雑誌「realiZe」を通して見つけた『会津の魅力』を訪問するというものだった。僕らが会津を訪問し、僕らが「東京の若者の代表」となって、僕らの視点で見て、良いと感じる会津の良さを組立てて、ツアーにしました。
僕から見た会津の魅力は、「人」と「土地」にあります。友人に「ゲニウス・ロキ」という概念を教えてもらったが、まさに会津には精霊とまでは言わないまでも、何かが間違いなくある土地だと思う。
「会津の土地は、人の心に刺激を与える。会津の人は、人の生き方に変化を与える。」
僕の会津の魅力とは、こんな感じのイメージでした。このツアーでは、「この感覚を参加者に感じてほしい。感じてくれたら成功だ。」と思い、準備をしてきました。
ツアーを終えた今、自信を持って言えることは、「ツアーは成功した」ということです。
何より嬉しい。自分の組んだ最初のツアーは、本当に意味のあるものになりました。
これで、「会津の魅力は、「人」と「土地」にあるんだ」と、自信を持って言えるようになりました。
現在、ツアーを振り返ってまとめを行っています。近々ホームページに写真やツアーの詳細をアップします。少し「やり切った感」による脱力症候群が発生していますが、気持ちを切り替えないと。
でもよくやった!!!!!!嬉しい!!

