本: 2008年12月アーカイブ

昨日、高校の友達20人弱くらいで忘年会をした。とても楽しかった。

人ってどんどん成長していくものなので、中学・高校・大学と、その時々の自分の成熟度によって作るコミュニティとか人間関係というのは変わってくると思うんです。だから自然と、中学・高校・大学では、「ノリ」が違ってくる。

また、その時の友達と会うと、当時の自分が戻ってくる(内面から浮き上がってくる?)感じがする。別にその自分を押し殺しているわけではないんだけど、勝手に自分が成長しちゃってるので忘れてしまっているのかもしれない。でも、その時々に自分がいたコミュニティの環境に囲まれると、その時の自分が戻ってくる。高校時代の友達との人間関係の中では、高校の時のノリの自分が表面化してくるので、大学生の自分の普通とは少し違ってくるわけです。普段とは別の楽しみがそこにあり、非常に楽しみました。友達っていいなって思いました。


当時の自分を振り返り、留学を経て大学に入って、今に至る。僕は現在社会起業だとかに興味を持つようになったけど、その「社会」って何を指すんだ?と考えたとき、やっぱりこうした友達だとか自分の周りを指していたい。その延長線、つまり「友達の友達」とか、「知人の知人」といったつながりで存在してくるものが、大きな意味での社会になるのだと思う。「社会のため」「他人のため」という言葉はマクロなものに見てしまいがちだけど、ただ友達との関係を自分が大切にしていきたいと思った時に、自分だけでなく他人のためも含めた生き方・働き方というものが、自分の選択するべきものになってきて、それが「社会起業」とか呼ばれるものになってくるのかなと思います。


今、ピーターセンゲが書いている『出現する未来』という本を読んでいる。内容は「物事を分断して考える既存の考え方から脱却して、『自分と他人』『自分と世界』を融合させて考えられるようになろう」みたいな感じなんだけど(まとめられるほど理解していないんです。。。)、ここでセンゲが言う『自分と他人を融合させた考え』というのが、まさに昨日感じたことなのかなと思いました。つまり、自分が大切だと思うもの(友達)があって、それを大切にしたいと思うと色々なこと(友達が大切だと思う事とか、コミュニティ環境のように、自分には直接関係なさそうな要因)を大切にしなければいけない。でもそれらを大切にすることは、結局は自分のためである、みたいに。これは簡単に言うと「みんなのため」ということになるんだろうけど、それをわざわざ自分との対比における「みんな」としないで、全てのものを融合させて考えようというのが、センゲの言いたいことなのかなあと思ったりしました。まとまりがなくてすみません。
『出現する未来』/ピーターセンゲ、C・オットー・シャーマー、ジョセフ・ジャウォースキー、ベティー・スー・フラワーズ著 野中郁次郎監訳 高遠裕子訳/講談社BIZ


今回の忘年会は、女性人が突っ走ってくれて盛り上げてくれたので、「次は僕が」という気持ちに溢れています。負けらんない。
またやりたいな。



プロフィール
  • name/林 賢司
  • birth/1986/04/18
  • belong/KO大学4年
  • theme/自分のために、他人を幸せにする
  • "My Accept"/自分の経験から目を背けずに、「その時の自分なりに」受け止めていくこと。
  • purpose/「その時の自分なり」の解釈・観察・感情の蓄積。
  • contact/kenji[at]monoraltype.com

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