の最近のブログ記事

連ちゃん

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気難しい人間を演出してるつもりらしい。


昨日は大学の親友である連(むらじ)君と、熱い議論をしてきました。

連君はバリバリの建築家。建築一家に生まれ、弱冠22歳ながら世界に名の知られる建築家らにもその才能を認めさせているすごいやつ。現在は社会学の考え方を取り入れた建築デザインアウトプット手法「アーキコモンズ」を作り、現在無印良品とのプロジェクトでその手法の実効性を試したりしています。新進気鋭の建築家と議論になった際も、自分の理論の優位性を煌々と語っちゃう。(そのせいでその人にうざがられているらしいが笑)小粒なのに、大粒なやつなんです。(なぜ小粒かは、彼を見てみれば分かります笑)

僕らももう社会に出る年頃ですから、それぞれの夢を現実化するにはどうするかという話になる。
彼みたいに建築やデザインという表現にずっと携わっていた人と、僕みたいに社会構造とか経済とかに興味を持っている人間だと、共同で携わっているプロジェクトでも重視する点が違う。それを話し合っていると、自然と「お前がこの先ね、・・・」と互いにそれぞれの視点から将来みたいなのを語るようにな り、そこからそれぞれがどこに重点を置いているかを語るようになり、、と、話が飛んで行くのですが、非常に面白い。勉強になることばかりなんです。

最近めっきりお酒に弱くなった僕ですが、昨日は美味しく充実した時間を、お酒と一緒にいただきました。刺激を受けました。頑張ろうと思います。

▼LINK-----
連 勇太朗(むらじ ゆうたろう)のブログ。よく読ませてもらってます。
>>つれづれん

僕と連ちゃんで一緒にやってるプロジェクト。最近そっち方面のメディアによく露出してます。よろしくお願いします。
>>木造賃貸アパート再生ワークショップ



新田の米が、世界を救う。

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夏から携わらせてもらっている会津若松のプロジェクトも、いよいよ大詰めに差し掛かっている。

そんな中、本当に感動するニュースがあった。

以前、志を立てるということ(会津の教え四)という記事に書いた米農家の新田義則さんが、静岡県で毎年開催される「お米日本一コンテスト2008」で優秀賞に選ばれたそう。(この大会は最終審査をトーナメントで行うので、優秀賞は「第二位」を意味します。)えり子さんという方のブログに、結果が載っていました。 →誘惑に弱いリポーター通信:お米日本一コンテスト2008結果


記事では詳しく取り上げなかったが、新田さんは「日本のお米は、世界を救う」という志を持って、その志を実現するためには何が必要かを考えて、本当に行動しちゃっている米農家。その一つとして開発しているものが「米粉(ライスパウダー)」。米を粉にしたもので、元々団子など和菓子作りに使われるものらしいが、近年では小麦粉の代用品として期待されている。

新田さんが考えているのは、米粉でパンなどを作ろうというもの。そして、それを「食糧支援」として発展途上国への支援に使えないかと考えている。そうすれば本当に食料を必要としている人にたくさんの栄養素を含む米を届けられるし、減反政策でダメになった日本農業の活性化にもつながる。この考えの背景には日本のODA政策に対する疑問や、米農家として何ができるかという新田さんの視点と気づきがある。


米粉でパンやピザを作ることは様々なところで試されているらしいが、現在の技術では米だけでは小麦粉の代用ができないので、米に様々な添加物を加えて米粉が作られている。その結果、米粉の中での米の配合率は、40%ほどにしかなっていないらしい。しかし新田さんは、研究の末、添加物に対して米の配合率を 70%にもした米粉を開発した。これを少しずつ市場に出していきたいと話していた。そんな中、新田さんは初めて出したコンテストでこの賞を受賞した。味に高い評価をもらったということになるが、僕は何より志を立てて全ての物事に真摯に取り組む新田さんの人柄が出た結果だなあと、思った。

知り合いのところに米を送ってくれたそうです。食べに行かなくては。


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以前訪問したとき、「新田米粉」で作ったピザを食べさせてもらいました。完全に小麦粉の代わりというわけではなく、ちょっとモチモチしたピザでした。ただ生地に米の甘みもあり、おいしい。生地だけでいけます。今思い返せば、日本二位の味でした(笑)



すげー営業マン

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さっき、家のブザーが鳴った。

「おはようございます~!」

めっちゃでかい声。


ドアを開けると、ニカッと笑うおじちゃんが立ってた。

おじちゃん「おう!お兄ちゃん!おはよ~!いい天気だね~!」
kenji「どうも。おはようございます。」
おじちゃん「オレ、○○新聞の売り込みなんだけどさ、今何新聞とってる?」
kenji「新聞ですか?ああ、ウチは新聞いらないんで。」
おじちゃん「まあまあ、もう少し話してよ。こんな仕事してるとつまらないんだよ。なんで新聞いらないのさ?今の時代はものすごく必要だと思うよ。大変だぜ今。」
kenji「大学にあるんですよ。ウチお金ないから節約中なんです。僕は大学、親は会社で読みたいときに勝手に読んでもらいます。前にあったけど、毎日はなかなか読まないですからね。」
おじちゃん「そうなんか?オレなんか新聞屋だから毎日読み放題よ。しかも他のもしっかり読むから情報通よ(笑) もう政治にしたって経済にしたって。情報の使い道はないけど(笑)」
kenji「ははは(笑)」
おじちゃん「例えば麻生さんにしたってさ・・・・」





このまま30分くらい話した。最後に「ねえ、新聞3か月だけとってくれないかな~~~?」と子供のように言われたが、「無理ですね~。本当にお金ないんです。」と断固拒否した。

めっちゃいい空気感持ってる、昭和のおじちゃんという感じの人。あれは「新聞なんかいらないわ!!」って気持ちでいたとしても、心を揺らされるなあ。「バカ野郎!」とガチャンッと、ドアを閉めたくても、閉められるような嫌な人じゃないし。

営業って意味でも、結構色んな情報を持ってかれちゃったかなとも思う。でも昔は「界隈の情報屋さん」みたいな人は、あんな感じでいろんな人から情報を集めていたんだろうな。その人が営業って職に就いたという感じ。話の最後の「新聞3か月だけ、とってくれないかな~。」で、とっちゃう人も多いだろうな。


こういう年の取り方をするのも悪くないなと感じた、kenjiでございました。



ソフトウェアが「農業」を救う

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自分に新しい知見をもたらす出会いがあった。


今日は、11月に企画している就職活動イベントに企業経営者として出演していただきたいという御願いで、株式会社ユーズウェアの小川名剛彦社長にお会いさせていただいた。ユーズウェアは横浜にある企業で、様々な業務をサポートするアプリケーションを開発・運営を行う企業である。
株式会社ユーズウェアWebsite


話をしている中で、小川名さんが農業に興味を持たれているという話になった。

小川名さんのご実家は、横浜で専業農家をされているらしい。横浜では多くが兼業農家として空いた時間で農業をやられる方が多い中で、小川名さんのご実家では専業農家として、ご両親が農家に誇りを持って取り組まれてきたそうだ。小川名さんは大学卒業後ソフトウェア製作の道に進み、現職に至られているが、両親が誇りを持って取り組まれている農業を、「自分が引き継いで次の世代に伝えていきたい」と考えられている。

僕も最近会津などで農業に触れる機会が多いので、とても話が盛り上がった。その話の中で特に興味を持ったことが、小川名さんは「自分の分野」で農業に貢献しようとされていることだった。それはつまり、「ソフトウェアを使って、農業に貢献していく」ということ。

それは単に「ソフトウェアで事業を効率化して云々」という話ではなく、「ソフトウェアの介入によって農業の問題の根本を解決していく」というレベルでの取り組み。現在行われているのは、アメリカ産の小麦・とうもろこしの価格が上昇し、家畜への飼料価格が高騰している中で、ソフトウェアの力によってそれを解決してやろうという取り組みで、もうすぐ試作品としてソフトが完成するそうだ(詳細は秘密。公開されたら情報をアップします)。


今日、家でテレビをつけたら、たまたまNHKスペシャルで「世界同時食糧危機(1)アメリカ頼みの"食"が破綻する」という番組がやっていた。今日小川名さんの話を聞いてきて、この番組がやっているという偶然に驚いた。番組は「なぜ、今食糧危機に陥ったのか」をクローズアップしたものだったが、食糧危機は具体的に日本に住む僕たちにも大きな問題として立ちはだかっていることを、改めて認識した。その上で、小川名さんの取り組みを改めてすごいなと思った。


IT技術を使って様々なサービスが出てきているが、既存の問題解決に対してITが役立てるという話はあまり聞いたことがない。食料危機の問題に絞って言えば、「自給率を高めてアメリカ依存から抜け出そう!」という話は耳にするが、「ITで解決しよう!」という話は聞いたことがない。そんな中で、「農業を自分の分野で、次の世代に伝えていく」という使命を持って取り組まれている小川名さんの姿に、非常に感銘を受けた。すごいと思いましたよ。


近頃、社会起業家についての本を読んだりします。そこで主に紹介されている方々というのは、皆が共通して問題だと思うこと(貧困・病気・環境)に対して、それをビジネスにしてしまって、結果、「社会構造を変えた」人たちというケースが多い。それは疑いなく素晴らしいことだし、「誰も改善出来なかったから放置されていた問題」に対してビジネスで改善してしまったという点で、まさしく「社会起業家」であるわけです。でも別に皆が問題だと思っていなくても(小川名さんが取り組まれていることは問題だと思われているけど)、何か目的を持って行動して、ビジネスを通して「社会を良い方向に変える」ことにつながるのであれば、それもまた「社会起業」であって、その人は「社会起業家」と呼ばれるべきなんじゃないかと思うのです。


ともあれ今日は、違うところ目的からとても興味のある取り組みをされている方と出会うことができた。
良い刺激と考える機会をいただけたし、この「出会い」を今後の何かの形につなげていきたいと思った。



スリルとリスクと創造性

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少し前の話になるが、大学の友人二人と飲んだ。

僕ら三人に共通していることは、「自分たちの働きで、社会を良いものにしよう」としていること。それぞれが頭に描いている「良くする」の定義や方法は違うが、その分それぞれの切り口から取り組んでいることを話すから、「こういう話があってさ~~、」と広がっていくのがとても面白い。何より「負けらんねー!」と思えることが、飲み会をしての一番の収穫になる。

その中の一人は、おもちゃの研究をしているtatsuwat。前にイマ・ココの「遊び」という記事で書いた友達。あの時は彼に初めて会ったので、「おもちゃを研究している人なんだな。しかも面白い考察でおもちゃを見てるんだな」くらいの認識だった。しかし今回話を詳しく聞いてみて、彼がどういういきさつでおもちゃに興味を持つようになり、そこからいかに「遊びの中のおもちゃ」を考えるようになっていったのかということを知って、より彼の考えに興味を持つようになった。
(話は変わりますが、前の時も今回も、彼自身が何をしているのかは知っていた。しかし今回彼の背景を知ることで、非常に深い興味を彼自身や彼の考え方に持つようになった。やはり過去の背景から自分を語るというのは、自分を印象付ける上では必要なことと言えそうですね。 →自分を語ることについて書いた記事「過去体験から、今の自分を話せる?」)


彼がおもちゃに興味を持つようになったのは、母親がふと買ってきた西洋おもちゃの本だったそうだ。色んな目的を持つおもちゃや変わった形をしたおもちゃ、とてもきれいなおもちゃなどが載っており、おもちゃに興味を惹かれて一時はデザイナーを志したという。しかし、ある時に手に入れた「世界の子供たちの遊ぶ様子」が載っている写真集には、彼の考えを一変させた写真が載っていた。それは、一本のゴムひもで遊び、これ以上ない笑顔で笑っている少女の写真と、その場所からすぐ隣のゴミ山で遊ぶ少女の写真。彼は「この笑顔を作るのにおもちゃが本当に必要なのか。むしろこのゴミ山を作る要因になるだけではないか。」と考えたという。

彼が気づいたところでは、彼がもともと目指していたのは、「おもちゃ自体」を作ることではなく、「子供が楽しく生き生きと遊ぶこと」だったそうだ。それならば、「楽しく生き生きと遊ぶこと」に本当に必要なことは何かを考え、そのための環境なり、社会システムを作る方がいい。少なくとも、「おもちゃ」はその内の一つの解答でしかない。そこから彼はそもそもの「遊び」について考え始めたのだそうだ。


お酒を飲んでいる中で、彼がカンボジアを訪れた時の写真を見せてもらった。その中に、小さな女の子が池を橋代わりに渡してある丸太の上で、一人で遊んでいる写真があった。日本であれば絶対に立入禁止であろう場所。でも、ここは子供たちにとってはとても魅力的な場所。

彼が言うには、「この橋はとても危険で、こんな小さな子が池に落ちたら本当に危ないかもしれない。それでも彼女たちはこういうところに行く。なぜか。「面白いから」。」

ある調査によると、公園で遊んでいる子供たちに、「この公園で危険な場所はどこか」と尋ねてその場所を地図に記してもらい、その後に「この公園で面白い場所はどこか」と尋ねると、大体が「危険な場所」と一致するのだそうだ。つまり、子供にとってはリスクがある場所ほど面白いのである。


カンボジアの子供たちはある程度のリスクは承知で、やりたいことをやりまくるそうだ。この少女の他にも、一本の電信柱にどちらが早く登れるかの競争をしている写真なんかもあった。足滑らせて落ちたら大変だろうにと思った。ただ彼らはリスクを踏まえたあらゆることの中で、創造性を発揮し、全てのものに「楽しみ」を見出し、「遊び方」を見出していく。(松岡正剛氏はこれが「編集の本質」だと言っていた。)道端には先進国からの支援物資のおもちゃが捨てられていた。彼らにとっての「遊び」は無限の可能性の中にあり、「おもちゃを通して遊ぶ」という選択肢も一時の楽しみにしかならない。

一方で日本に目を向けるとどうだろうか。日本では危ない所(リスクのある所)は行かせないようにする。少しでも危険であったら、その危険を排除し、「安全な中」で楽しい遊びをさせるように仕向ける。もちろん生命の安全は何よりも大切であることは言うまでもないが、日本の子供たちの遊びにはカンボジアの子供に比べ、安全が優先されすぎて制限が必要以上にあることもまた事実であるように思える。子供は本来好奇心を旺盛に抱えている。その好奇心ゆえに、少し危なそうなことでも挑戦したがる。それは、リスクがあるほうがスリルがあって楽しいという二者の関係を知っているからである。また同時に、彼らはそういうチャレンジの中で自分のキャパシティを拡げている。失敗や痛い経験を繰り返しながら、「遊び」に様々なルールや新しい遊び方を加えていく。またそこには日常をいかに楽しむかという観察力も身につけているといえると思う。「遊び」によって「創造性」や「観察力」がどれくら
いつくのかは分からないが、制限を受けている遊び方と、無制限に遊べる遊び方では、「子供にとって」はどちらが好ましいかは明確だと思う。
(ちなみに僕がよく覚えているのは、小学生の頃、友達と「冒険」に出掛けた。最寄りの駅までは自転車で行き、そこから思うままに歩いて冒険をした。結末は「迷子になった」。怒られることが分かり切った中で、「車で迎えに来てほしい」と親に伝えることが、怖かったという思い出がある。迎えに来た父親は激怒していた。)


少し穿った見方をすると、おもちゃとは「遊びに制限をつけるためのもの」とも言えなくもない。「ゲームをしててくれると静かで助かる」「おもちゃに夢中でいてくれれば手がかからないし、危険でない」など、大人視点から子供を操作する意味でのおもちゃという見方も生まれてくる。

もちろん、安全であることは大切である。怖いニュースも流れているし(それが昔に比べて増えているのかどうかは分からないけど)、一つの過ちが一生背負わざるを得ないものになるかもしれないし。だから、「安全でなくてもいい」とは決して言えないと思う。

また、どうなのかと思うところは、今の子供に「何で遊ぶのが一番好きですか?」と問いかけた時に、「テレビゲーム」という返答は、結構多いのではないかと思う。また、最近はネットゲームなどでは世界中の人と対戦できたりする。そこでの遊びに自分を没頭させる方が、子供にとっては気持ち良かったり、楽しかったりするかもしれない。子供の気持ちを優先すると、この辺りにはまってしまいそうで、でもここにはまらせないとするならば、それは大人の思惑で・・・。いや、先に子供にゲームの魅力を与えてしまう方がいけないのか・・・??自分が何を書きたいのか、よくわからなくなってきた。


ただ、僕はもともとテレビゲームが好きなので、おもちゃは無くていいとは全く思わない。しかし「おもちゃ」が「どこか」に制限をかけてしまっているのではないかというのも一つの考え方として、おもちゃとの付き合い方を一度考え直してみてもいいかもしれない。


自分がパパになるまで、よく考えておこうと思う。


下記、tatsuwatのblogと彼が高校2年の時に作った「あそびの王国」というウェブサイト。この「あそびの王国」は大人視点と子供視点から「あそび」について考えられるウェブサイトになっていて、とても面白い。大人視点では、「あそび」についての問題提起や、親がどのように今の「あそび」について思っているかがまとめてあり、子供視点では今昔の「あそびかた」の紹介や、言葉についてなどが載せられている。詩には、谷川俊太郎氏の作品も紹介されている。今のtatsuwatの視点とは異なる部分もあるそうだが、個人的にはとても参考になるサイトだと思う。
blog「おもちゃ論の覚え書き」
あそびの王国


イスラム・コミュニティ

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時が経つのは本当に早いものだ。僕が別府の町から帰ってきてから、もう一週間になる。あの時の印象を記しておく時間がなかったからずるずると来てしまっていたが、ここでしっかりと整理しておきたいと思う。別府のモスクに行った時のことである。


モスクと言って、想像されるのはどのようなものだろう?これは僕がトルコに行った時に撮ってきたブルーモスク。

bluemosuku.JPG
しかし、大分県別府市のモスクは、これ。

mosuku1.JPGちょっとイメージが違うけど、これが立派な別府のモスク。モスクとはそもそも「ひざまずく場所」の意味なのだそう。このモスクができるまでには、すごいストーリーがある。ここは使われていない廃ビルだったそうなのだが、以前まで礼拝をする場所がなかったイスラム教の留学生が、なんとこのビルを買い取ったのだという。今まで週2でしていたアルバイトを週5に増やし、少しずつ貯めて買い取ったのだと胸を張って教えてくれた。ビルを買い取るという発想とその行動力・・・。イスラム・コミュニティの底力はすごい。


僕が別府に滞在しているときに、別府の兄の同居人であるタムラ君が、「最近別府にモスクができた。」と教えてくれた。なんでもイスラム教の国から来ている留学生が、自分たちでお金を出し合ってビルを買い取り、そこをモスクにしたのだとか。是非行きたいというと、そのモスクに出入りをしている友人に連絡を取ってもらい、連れて行ってもらった。


モスクとは言ったものの、本当に普通のビル。だが場所は国道沿いの結構いいところ。

若干緊張しながら中に入ってみると、そこには一人の日本人もおらず、イスラム教の留学生が20人ほどいた。彼らは色々な国から来ており、共通点はイスラム教徒だというだけで、母国語が一緒ではない。なので、会話を英語でしていたりする。僕から見ると雰囲気から同じ国出身に見えるのだが(日本人と韓国人の違いみたいなもの)、それが違う。それを見ても新鮮だったし、宗教のために国を超えて団結を図れるというのはすごいなと、改めてこのコミュニティの力強さを感じた。


僕が行った時はラマダン月で、彼らは日の出から日没まで食事はできなかった。僕らが行った時間はちょうど食事が解禁となる日没の時間で、一緒に食べようと誘ってくれた。この時の料理はバングラディシュの料理だそう。各国の留学生が、国々の料理を当番制で作るのだそうだ。

mosuku7.JPGmosuku4.JPGこれらは手で食べる。カレーはネバネバしているので、少し気持ちが悪かった。結構辛い。


このモスクのいいところは、彼らが日本語を流暢にしゃべることだ。彼らは僕の抱いていた勝手なイメージと違って、イスラム教信者ではない僕らにとてもウェルカムな対応で接してくれた。イスラム教は日本では怖いイメージが持たれるが、それもメディアを通して知った情報で判断していること。彼らの国の人間性は、むしろ日本人より人間味があって温かいのではないだろうか。

ラマダンの最中は、祈りを何回か繰り返すらしく、この日も食後に祈りを行った。

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正直なところ、僕は彼らが祈っている姿を撮ることに少しビクビクしていた。信者ではない僕らが来て、一緒にご飯を食べているときやお祈りの場に参加することに対して、「のんびり見てて」と言ってくれたものの、彼らの神聖な祈りに対してカメラを向けたり写真を撮ったりすることは、良くないのではないかと思ったりした。しかし、写真を撮ってもいいか聞いてみると、「全然いいよ!」と笑っていた。彼らの神に対する考えと、僕らが持つものとは少し違うのだろうか。考えというよりも、神との付き合い方と言った方が適切かもしれない。僕らが考えているものより、もっと身近であるのかのように感じた。


祈りの後に、イスラム教について話す場を設けてくれた。この場で主に話してくれた人(名前を聞き忘れてしまった)は、ヒンドゥー教から改宗してイスラム教徒になったのだそうだ。彼は、宗教が言う正しいものとは何かに疑問を抱き、ヒンドゥー教からキリスト教、仏教などの聖典を研究した末、イスラム教にたどり着いたのだそうだ。

彼は、「宗教は大切なところはイスラム教でもキリスト教でも仏教でも皆同じ。大切なのは、神の存在を信じ、受け入れること。それができれば、どの宗教でも同じ。言っていることは同じだから。」と言う。僕はこの彼の見解が僕にはないことであり、非常に強い印象を受けた。

僕は宗教や神というものをあまり真剣に考えたことがない。僕の家にはマリア像やキリストの絵などが飾ってあるので、自然と「神」というものの存在を受け入れていた。しかし、それは「何か自分には関与の出来ない大きな力が存在する」という点でなんとなく受け入れており、それは「神」という個人ではなく、どちらかというと「万物全て」という抽象的な大きな枠組みのものにあると考えている。この「大きな力」というものを「神」という単体と捉えるか否かの違いだけではないかとも思うが、そう考えるようになるだいぶかけ離れた経緯から来ていると思う。


そういうことを考えるきっかけとなっただけでも、大変貴重な経験だった。また、彼らと実際に話をしてみて、僕の中でイスラム教に対する見方が変わった。この視点をもらうきっかけとなったこととしても、大きな経験だった。今度東京にあるモスクにも、行ってみようと思う。


ちなみにこのモスクは、いつでも誰でもどの宗教の信者でも、歓迎だそうだ。興味がある方は、是非。5年後とかには、名所になってたりしたらいいな。



mosuku2.JPGお祈りの後、イスラム教について話をした。

mosuku3.JPGコーラン。初めて見た。正式な日本名は「聖クルアーン」という。



コーラを着た女性

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少し前の話になるが、駅のホームで「コカ・コーラ」が非常に似合う女性を見かけた。


少しレゲエ風の、長身の美人。髪の毛は金髪で編み込んでいて、顔はほりが深く、眼の大きな人。その彼女の手の中に「コカ・コーラ」があったのを見た時に、なぜか衝撃が自分の中に走った。「こんなにコーラが似合う人がいるのか!!」という衝撃。

あれがペプシ・コーラやスプライトとかであったら幻滅だった。コカ・コーラだったからこそ、ハマったのだと確信を持っている。それぐらい、コーラの似合う女性だった。


この経験は、僕にコーラの新たな一面を見せてくれた。というか、飲み物の新たな一面というべきか。手に持つ飲み物すらもファッションになりうる、ということ。そんなことを考えたことがなかったので、今回感じたこの衝撃に驚きを隠せない。



We can do no great things, only small things with great love.

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これはマザーテレサの言葉。僕はこの言葉が書いてあるカードをしおり代わりに使っている。

マザーテレサはクリスチャンである僕の母親が最も尊敬している人。そんなわけで家の中にはマザーの写真やら本やらがいたるところに置いてある。マリア様の像だとか絵だとかも。小さい頃からそんな環境だし、まあ普通にマザーテレサという人間には親しみを感じていた。ただ、そこまで深い関心があったわけではない。顔を見ると「あ、この人知ってる!」という程度だった。


少し前に、母とマザーテレサのドキュメンタリー映画を見に行った。僕はそこで彼女に対する考え方が変わった。彼女の活動や行動は、常に彼女の目標である「貧しい人を救う」ということに一貫していた。またそのための志の高さ・意志の強さ、そして行動力がすごかった。僕は、彼女はキリスト教の信仰者で、多くの貧しい人を助けてあげた人としか知らなかった。しかし彼女はただ流れに任せて寄付を集めて貧しい人を養っていたわけではない。お金を集めることには創意工夫を凝らす。孤児や病人を世話する施設を作る場所には、各国政府と話をして決して町はずれのような場所に移させないなど、人を助けることにおいてしっかり計画を持って取り組んでいた人であった。僕が強く印象に残っているのは、ある国(アルゼンチンだった気がする)の市場を作ろうと計画していた場所に、施設を作れと主張して作らせたシーン。「この場所に施設を作らないのなら、私たちはこの国での活動を止めます。」と言っていたのを覚えている。平和活動で世界中に名を知られているマザーが、その国でだけ活動を止めたなんてのが知れ渡ったら、どんな批判を浴びるか分からない。反対していた政府側も、「じゃあ作ります。」という流れで、その場所に施設を作ることを決めた。外交的圧力を非常にうまく使っていたのに強く感銘を受けた。(あそこで政府に「意地でも作りません」と言われたら、本当にその国から出てってしまったのかな?とかもふと思ったり。)

映画を通して強く感じたことは、マザーテレサという女性はまさにアントレプレナーだったということ。ただ神のご加護を持って貧しい人たちを助けていたのではなく、自分が何をどうすれば、より多くの人を仲間に巻き込み、そしてより多くの人を救えるかを考えていた。そして彼女は考えていたことを現実化させ、実に多くの人が彼女によって一時の幸せを得ることができた。


その中で、彼女と僕の違いは何かを考えてみる。いろいろ思い当たる節がありすぎるけど、やはり一番は「信仰とそれによる自分と向き合っている時間の長さ」だと思う。彼女は37歳の時、電車の中で「貧しい人を助ける活動をしなさい」という神のお告げを聞いたという。そこから彼女はインドを中心に世界各地の貧しい人を助ける活動を始めた。

ここだけ抜粋して見ると、「やっぱ宗教家はそういうお告げがあるのかー」だとか、「信仰があったから行動に移せたんだな」とか思えるけど、でも彼女は「37歳になるまで」自分の人生を懸命に生きて、「自分は何をなすべきか」を考えたのだと思う。これは、そこに向き合っていたプロセスから逃げなかったために、彼女は神のお告げを得られたのだとも言える。仏陀も全く同じで苦行で自分を追い込み、自問自答を繰り返し続けた果てに、悟りを開いたわけだし。


それ考えると、今学生という立場を利用していろいろなことに興味を持ち、首を突っ込んでいる僕であるが、常に「自分は何をなすべきか・何をなしたいのか」という問いに向き合っていたいと思う。そこから目をそらさずに向き合っていれば、必ず自分の中に答えが芽生えてくると思うし、またそれを模索する日々としての一日一日を、「懸命さと大きな愛」で過ごしていきたいと思う。


ちなみに、マザーを批判する意見もたくさんあります。 
マザーテレサ、スーパー物乞い

ざっとしか読んでいないし僕自身マザーがどんな人だったか全然詳しくないので、反対意見は否定しません。(というかできない(笑))ただ、人生を通して「他人を助ける」という目標を掲げ、それに貢献し、結果を出した人と、その人の人生のプロセスを批判している人。こういう構図で見てしまうと、なんか後者はひがんでるみたいで寂しいですよね。だったら批判されるほど注目の集める前者でいたいと思います。

今日から、また会津に行ってきます。



眼は真実を映しているか?

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この疑問は非常に面白いと思う。答えはイエスであって、イエスでない。(もちろん「一つの答えはないかもしれないし、誰にもわからない」ということを言ってしまえばそれまでの疑問ではあるが。)


デザイナーをやっている友人が、「デッサンは瞑想と同じだ」と言っていた。どういうことかと言うと、「眼は真実を映し出しているが、人の脳はそれを素直に認識せずに思い込みで認識する。だからデッサンを極めたければ無にならなければいけないから、瞑想と同じ」だということ。

絵を描く時に、対象物を逆さにするときれいに絵が描けるということを聞いたことがあるでしょうか。例えば素人が有名画家の絵を模写するときは、模写する絵を逆さにして描いていくときれいに描ける。これは、絵を普通において描いていくと、脳が勝手に「この顔の輪郭はこういう風に描いてあるな」と思い込んで見てしまうため、きれいな線が描けないのだそうです。それを逆さにして描くと、脳はその顔を輪郭として捉えないので、一つの線として描けるのだとか。全部を描いたあとに自分の絵を逆さにしてみると、きれいに描けている。これは描写が上手いとか下手なのではなく、「眼が映しているものを脳が勝手に判断するか判断しないか」の違いであると言えるそうです。


ここでは絵を描くことを例えにあげましたが、この「見る」ということが思い込みで映し出しているのは日常生活でも同じだと言えます。それを考えると、例えば自分が嫌いな人の顔は「嫌い」に見えたり、好きな子の顔は「特に可愛く」見えたり、また少しお金を持っている印象がある人は「成金で偉そう」に見えたりすることがあると思いませんか?だって、それらはすべて人間の脳の「思い込み」で判断しているのですから。


そう考えると、嫌いな人がいたら「こいつはオレが嫌いと思っているから、嫌いに映っているんだ」だとか、「この人は全然偉そうじゃない。僕の頭が勝手に判断しているんだ」だとかを思えば、より相手を見つめることができるようになると思うのです。

にしても、本当のところはどうか分かりませんよね。「眼はいろんな情報をキャッチできる」とかも言いますから、眼を通した印象は意外とその人の人間性を表すのかもしれませんし。


どっちにしろ、どうやら「眼」を持つ人間ってのは、ものは映していても、素直にものは見ていそうにないってこと。



見えなくなるまで、続く会話。

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これも大学に向かう途中でのこと。

急行電車に乗り換える為に、ホームで並んでいた。すると、隣に一組の夫婦が並んだ。どうやら旦那さんの耳が聞こえないらしく、手話で会話していた。

面白いことを話しているのだろうか。笑いながらとても楽しそうに、二人とも手慣れた感じで、パッパと手を動かしてコミュニケーションを取っていた。あまり手話を見る機会がないことと、なんでこんなに笑ってるんだと気になったので、何気なく二人を見ていた。

ところが、ここから驚かされた。

電車が来て、ぞろぞろと乗り始めた。奥さんは見送りらしく、電車には乗り込まない。旦那さんだけが乗った。しかし、見てると会話が終わりそうにない。旦那さんは歩きながら手を動かし、メッセージを伝えている。そして、電車に乗り込んでも、ドアが閉まっても・・・・。

そうなんですよ。そこで驚いたのですが、ドアが閉まってもコミュニケーションを取ってたんです。というか、取れるんです。当たり前のことなんですが、手話って「見えれば分かる」んですね。旦那さんがドア越しにメッセージを送る。電車が動き始める中で、奥さんがウンウンとうなずいているのが分かり、そして見えなくなる。そこでコミュニケーションは終わったわけです。普通に話しているだけなら、ドアが閉まった瞬間に終わりますよね。ただ、手話なら「電車が走り出しても、続く。相手が見えなくなるまで、続く。」わけです。

これに驚いた理由として、僕の声が低いことが関係しているかもしれません。よく、「えっ??」て言われます(笑)始末が悪いことに、あまり口を開けてしゃべらないものですから、さらに聞き取りにくいらしい。中学の頃、送辞を読むことになり練習していたと時に、「口を開けて話しなさい!」と怒られたことを思い出します。そんなことで怒られるのかと思いました。その中で、音ではなく目で行うコミュニケーションというものを目の当たりにして、非常に驚いたのだと思います。

また、考えてみると、一般の人のコミュニケーションでも、「ボディーランゲージ」が大切とか言いますね。動きは相手に気持ちや不言のメッセージを伝えるとか。手話がその不言のコミュニケーションに意味づけをした力を持っているとすると、手話のコミュニケーションというのは、意外と想いだとかニュアンスだとかが伝わるんじゃないかとも思いました。何も話していないのに、あれだけ楽しそうにしていたわけですから。その感覚というのはどういうものなんだろう。


もちろん、それが出来ない方がいる中で、言葉のやりとりが出来ることのありがたさは認識しているつもりです。しかし、この言葉のやりとりも、ある局面においては万能ではないということに気づかされました。

「当たり前」って、当たり前でないことに出会った時でしか、気づかないものです。この出来事から言葉の限界と、それを考えた時に自分が話せることに対してのありがたさを、学ばせていただきました。

ありがとうございました。



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プロフィール
  • name/林 賢司
  • birth/1986/04/18
  • belong/KO大学4年
  • theme/自分のために、他人を幸せにする
  • "My Accept"/自分の経験から目を背けずに、「その時の自分なりに」受け止めていくこと。
  • purpose/「その時の自分なり」の解釈・観察・感情の蓄積。
  • contact/kenji[at]monoraltype.com

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