人: 2008年7月アーカイブ
大学に向かう電車でのこと。
僕は大学に行くとき、一回乗り換えて大学に向かいます。
今日電車で座ってると、二人の若いママがベビーカーを押しながら乗ってきた。結構若かった。たぶん僕とほとんど変わらないと思う。子供たちはそれぞれの車で、スヤスヤお休み中。
二人のママは誰かと待ち合わせをしているらしく、一人のママがドアから顔を出してキョロキョロ探し、もう一人のママは電話でコール中。
ドアから顔を出していたママが大きく手を振り始めた。待ち合わせ相手を見つけたようだ。ジェスチャーで電車に乗るように指示している。けれども相手は分かっていないのか、リアクションがないようで、ずっとジェスチャーをしている。
ママA「あれ?乗らないね?ドア閉まっちゃうよ。分かんないのかな?」
――プルルルル
ママB「もう発車するよ!まだ乗ってない?分かんないんじゃない?」
すると、そこからがすごかった。
それぞれ、ガツッ!!とベビーカーの足の部分を蹴り、ベビーカーの前輪を上げて電車と駅の隙間を飛び越えさせると、そこからベビーカーを強引に90度転回。足を蹴り上げて、ガンガン加速しながら駆けていった。そのベビーカ―の押し方と言ったら、小学生の頃よくやったスーパーの台車(カゴを2個くらい置けてガラガラ押していけるヤツ。我が家では「ガラガラ」と呼びますが。)競争のごとき押し方。あっという間に僕の視野から消えていった。
何気なくそのやりとりを見ていた僕は、車に乗ってるのが荷物ではなく子供だったので、「おお、すげー。」と意表をつかれた。だが、あのママたちの元気ぶりと言ったらないですよ。人の行きかうホームであのパワフルな激走を見せるわけです。笑ってしまいました。正直迷惑でもあるし、何より寝てる子供に申し訳ないけれども、あれを見てしまうと、こっちもそれ相応に元気が出てしまう。
この暑さにうなだれそうな日に元気をくれた感謝の気持ちと共に、これからの育児における激務の健闘を讃えて、ママたちに「ゴーカートかーさん」の称号を与えます。
僕は大学に行くとき、一回乗り換えて大学に向かいます。
今日電車で座ってると、二人の若いママがベビーカーを押しながら乗ってきた。結構若かった。たぶん僕とほとんど変わらないと思う。子供たちはそれぞれの車で、スヤスヤお休み中。
二人のママは誰かと待ち合わせをしているらしく、一人のママがドアから顔を出してキョロキョロ探し、もう一人のママは電話でコール中。
ドアから顔を出していたママが大きく手を振り始めた。待ち合わせ相手を見つけたようだ。ジェスチャーで電車に乗るように指示している。けれども相手は分かっていないのか、リアクションがないようで、ずっとジェスチャーをしている。
ママA「あれ?乗らないね?ドア閉まっちゃうよ。分かんないのかな?」
――プルルルル
ママB「もう発車するよ!まだ乗ってない?分かんないんじゃない?」
すると、そこからがすごかった。
それぞれ、ガツッ!!とベビーカーの足の部分を蹴り、ベビーカーの前輪を上げて電車と駅の隙間を飛び越えさせると、そこからベビーカーを強引に90度転回。足を蹴り上げて、ガンガン加速しながら駆けていった。そのベビーカ―の押し方と言ったら、小学生の頃よくやったスーパーの台車(カゴを2個くらい置けてガラガラ押していけるヤツ。我が家では「ガラガラ」と呼びますが。)競争のごとき押し方。あっという間に僕の視野から消えていった。
何気なくそのやりとりを見ていた僕は、車に乗ってるのが荷物ではなく子供だったので、「おお、すげー。」と意表をつかれた。だが、あのママたちの元気ぶりと言ったらないですよ。人の行きかうホームであのパワフルな激走を見せるわけです。笑ってしまいました。正直迷惑でもあるし、何より寝てる子供に申し訳ないけれども、あれを見てしまうと、こっちもそれ相応に元気が出てしまう。
この暑さにうなだれそうな日に元気をくれた感謝の気持ちと共に、これからの育児における激務の健闘を讃えて、ママたちに「ゴーカートかーさん」の称号を与えます。
僕はアルバイトで洋服を売っています。そこでの話。
仕事はどれもそうだと思いますが、洋服屋というのもハプニングやクレームがよく発生します。服が汚れていたり破れていたりとこちらの不備がほとんどですが、「サイズが合わないんで、取り替えてください」と去年の春シーズンの服を出されたり、「配送でお願いします」と言われて配送の書類まで書いてもらったのに、自分で取りに来て服がないことに怒られたりもします。でも、そういうのは上司が対応してくれるので、僕はニコニコ笑って任せます。
問題なのは、怖い人への接客。
セール期間中のある日でした。いつもはパラパラ客が来る時間帯だけど、セールとなると色んな人が来ます。いつもはお店の前を横切られる方も、ちょっと見てみようかと寄ってくれます。いつもはヒマな時間でも結構忙しかったりします。
そんなとき、一人の男性客が来ました。
身長180前後、スキンヘッド、柄物のシャツ、猫背、首に入れ墨、サングラスにボブサップみたいな体つき、自分の肩幅の1.5倍くらい幅を取る歩き方。
第六感と言わず、全ての神経や感覚が僕に「離れろ!」と伝えてました。恥ずかしながら店員といっても人間ですので。何気なく商品をたたんでいると見せかけて、彼と絶妙の距離を保っていました。心の中では「何も気に入っていただけませんように」と考える。
でもそんなときに限って、ですよね。店の端から端まで届くような声で、「すいません!」と聞こえる。僕を呼ぶ声だ。
顔を上げると彼が手を挙げて僕を見ている。しょうがないというか、どうしようもないというか。覚悟も何もないまま、ビビりながら近づく。僕は身長は高い方だが、確実に彼の方が「大きい」。
しかししかし、「いかがいたしましたか。」と声をかけると、とても丁寧な言葉で、「これ試着したいんです。あと、このシャツの一番大きいサイズを探してるんですけど、ここになくて。在庫とかありませんかね?」
これにはびっくりですよ。というか、肩透かしを食らった感じで、余計に心臓の鼓動が聞こえる。なんか言葉が出ず、少しどもりながら「ただいま在庫を確認いたします。ご試着はこちらのお部屋をお使いください。」と案内する。彼は「はい。お願いします。」と一声かけてくれながら、部屋に入る。
「商品を確認しましたら、またお声をおかけいたします。その他で御用がありましたら、お呼びください。」
「はい。ありがとうございます。」
まだドキドキしながら商品を探す。もうセール期間なので在庫はほとんどなく、そのシャツも例外ではなかった。
さらに、この商品がないというのが、問題なのだ!普段であれば、商品が自店にない時は他店の在庫状況を確認し、商品があれば在庫を自店に送ってもらうというステップを踏む。しかしセール中はそれができないため、在庫を調べて他店にある場合でも、そのお店まで買いに行ってもらわなければならない。それを伝えると怒る客もいる。
これを伝えるのって結構気が重いんです。どこかのお店で似たようなことを言われたら、寛大な心で了解してあげてください。このときも僕は気が重かった。
しかしそれを伝えると彼は、「そうですか。それはしょうがないですね。機会がなかったということですね。」と言う。在庫の確認をするかと聞くと、「いえ、今度違うお店に行った時に、あれば買いますので。」と言う。
その後、シャツのサイズなどについて話したが、彼の言葉づかいは終始丁寧だった。会計を済ませ、「またお待ちしております」と言ったときの僕の言葉に偽りはなく、本当に「また来てくださいね」という気持ちがこもっていた。
長くなってしまったが、ここで言いたいことは彼がいい人であったということでなく、「見かけ」についてである。
よく、「人は見かけが大切」だとか、「第一印象で人は決まってしまう」だとか言う。たとえば就職活動生などは皆同じような恰好をしているが、きれいな恰好で悪い印象などは受けない。逆に金髪やアフロなどを見ると、気にしていなくてもどうしても自分の中でその人にイメージをつけてしまう。
実のところ、今までの僕の意見は「外見は主観で決めるべき」だった。外見は自分の内面を表す唯一の方法であるので、他人の目とか関係なく「主観」で決めるべきだと思っていたのである。つまり自分の印象を積極的に伝える格好・外観こそがいいということ。実際に反対派が多数を占めながらも、自分がある程度納得がいくまで髪の毛を伸ばしたりもした。
これにはもちろん答えはないのだが、しかし僕はこの経験を通して、「外見を決めるのは主観だというのも、ある程度のラインが必要なんじゃないか」と感じた。それは、自分が主観で外見を意味を込めて定めたとしても、他人はその意味を汲み取れないからである。例えばこの話の彼の格好に意味があったとしても、僕はその意味を汲み取れず、ただ怖がっただけだった。彼はただ好きでそういった格好をしていただけだったかもしれないが、僕は勝手に威嚇をされていた。振り返ってみると、あんなにいい人を僕は怖がっていたわけだ。外見には相手にこの余計な印象を持たせてしまう力があるのである。ちなみに僕が髪の毛を伸ばしていたのは、髪の毛を伸ばすことで、ジョンレノンのように愛を語れるようになるのではないかという仮説を立て、それを検証していたという理由からだった。これも説明をしないと「なぜ?」となったりした(ジョンの半分もいかない長さで結論付けてしまったが。)
じゃあ「ある程度のライン」は何かというと、僕らが文化的に共有している「普通の格好」との間のラインということになると思う。この「ある程度のライン」を超えた反対側には、典型的な日本の好青年の姿がある。相手に印象を与えない格好、皆が何も思わない格好とも言える。これを気にして格好を整えるのが就職活動生である。その地域の客観が文化的にいい印象だとして共有している格好であれば、相手の自分に対する印象に負担はかけない。しかし、問題としては個性がなくなったり、みんな同じになったりする。というか単純に自分がつまらない。
好きな恰好をしているだけなのに、相手に余計な印象を与えてしまう。かと言って皆が何も思わないような恰好では、「自分らしさ」が表に出ない。自分が楽しくない。そう思うと、外見とは自分が決めるべきなのか、客観視が決めるべきなのか、はたまた他の要因が決めるべきなのか、と迷うわけです。使い分けは大切ですけれどね。
いま読み返すと、何か当然のことを書いているなあ。
それでも心に強く残った気持ちなので、満足いくまで記しておこう。
仕事はどれもそうだと思いますが、洋服屋というのもハプニングやクレームがよく発生します。服が汚れていたり破れていたりとこちらの不備がほとんどですが、「サイズが合わないんで、取り替えてください」と去年の春シーズンの服を出されたり、「配送でお願いします」と言われて配送の書類まで書いてもらったのに、自分で取りに来て服がないことに怒られたりもします。でも、そういうのは上司が対応してくれるので、僕はニコニコ笑って任せます。
問題なのは、怖い人への接客。
セール期間中のある日でした。いつもはパラパラ客が来る時間帯だけど、セールとなると色んな人が来ます。いつもはお店の前を横切られる方も、ちょっと見てみようかと寄ってくれます。いつもはヒマな時間でも結構忙しかったりします。
そんなとき、一人の男性客が来ました。
身長180前後、スキンヘッド、柄物のシャツ、猫背、首に入れ墨、サングラスにボブサップみたいな体つき、自分の肩幅の1.5倍くらい幅を取る歩き方。
第六感と言わず、全ての神経や感覚が僕に「離れろ!」と伝えてました。恥ずかしながら店員といっても人間ですので。何気なく商品をたたんでいると見せかけて、彼と絶妙の距離を保っていました。心の中では「何も気に入っていただけませんように」と考える。
でもそんなときに限って、ですよね。店の端から端まで届くような声で、「すいません!」と聞こえる。僕を呼ぶ声だ。
顔を上げると彼が手を挙げて僕を見ている。しょうがないというか、どうしようもないというか。覚悟も何もないまま、ビビりながら近づく。僕は身長は高い方だが、確実に彼の方が「大きい」。
しかししかし、「いかがいたしましたか。」と声をかけると、とても丁寧な言葉で、「これ試着したいんです。あと、このシャツの一番大きいサイズを探してるんですけど、ここになくて。在庫とかありませんかね?」
これにはびっくりですよ。というか、肩透かしを食らった感じで、余計に心臓の鼓動が聞こえる。なんか言葉が出ず、少しどもりながら「ただいま在庫を確認いたします。ご試着はこちらのお部屋をお使いください。」と案内する。彼は「はい。お願いします。」と一声かけてくれながら、部屋に入る。
「商品を確認しましたら、またお声をおかけいたします。その他で御用がありましたら、お呼びください。」
「はい。ありがとうございます。」
まだドキドキしながら商品を探す。もうセール期間なので在庫はほとんどなく、そのシャツも例外ではなかった。
さらに、この商品がないというのが、問題なのだ!普段であれば、商品が自店にない時は他店の在庫状況を確認し、商品があれば在庫を自店に送ってもらうというステップを踏む。しかしセール中はそれができないため、在庫を調べて他店にある場合でも、そのお店まで買いに行ってもらわなければならない。それを伝えると怒る客もいる。
これを伝えるのって結構気が重いんです。どこかのお店で似たようなことを言われたら、寛大な心で了解してあげてください。このときも僕は気が重かった。
しかしそれを伝えると彼は、「そうですか。それはしょうがないですね。機会がなかったということですね。」と言う。在庫の確認をするかと聞くと、「いえ、今度違うお店に行った時に、あれば買いますので。」と言う。
その後、シャツのサイズなどについて話したが、彼の言葉づかいは終始丁寧だった。会計を済ませ、「またお待ちしております」と言ったときの僕の言葉に偽りはなく、本当に「また来てくださいね」という気持ちがこもっていた。
長くなってしまったが、ここで言いたいことは彼がいい人であったということでなく、「見かけ」についてである。
よく、「人は見かけが大切」だとか、「第一印象で人は決まってしまう」だとか言う。たとえば就職活動生などは皆同じような恰好をしているが、きれいな恰好で悪い印象などは受けない。逆に金髪やアフロなどを見ると、気にしていなくてもどうしても自分の中でその人にイメージをつけてしまう。
実のところ、今までの僕の意見は「外見は主観で決めるべき」だった。外見は自分の内面を表す唯一の方法であるので、他人の目とか関係なく「主観」で決めるべきだと思っていたのである。つまり自分の印象を積極的に伝える格好・外観こそがいいということ。実際に反対派が多数を占めながらも、自分がある程度納得がいくまで髪の毛を伸ばしたりもした。
これにはもちろん答えはないのだが、しかし僕はこの経験を通して、「外見を決めるのは主観だというのも、ある程度のラインが必要なんじゃないか」と感じた。それは、自分が主観で外見を意味を込めて定めたとしても、他人はその意味を汲み取れないからである。例えばこの話の彼の格好に意味があったとしても、僕はその意味を汲み取れず、ただ怖がっただけだった。彼はただ好きでそういった格好をしていただけだったかもしれないが、僕は勝手に威嚇をされていた。振り返ってみると、あんなにいい人を僕は怖がっていたわけだ。外見には相手にこの余計な印象を持たせてしまう力があるのである。ちなみに僕が髪の毛を伸ばしていたのは、髪の毛を伸ばすことで、ジョンレノンのように愛を語れるようになるのではないかという仮説を立て、それを検証していたという理由からだった。これも説明をしないと「なぜ?」となったりした(ジョンの半分もいかない長さで結論付けてしまったが。)
じゃあ「ある程度のライン」は何かというと、僕らが文化的に共有している「普通の格好」との間のラインということになると思う。この「ある程度のライン」を超えた反対側には、典型的な日本の好青年の姿がある。相手に印象を与えない格好、皆が何も思わない格好とも言える。これを気にして格好を整えるのが就職活動生である。その地域の客観が文化的にいい印象だとして共有している格好であれば、相手の自分に対する印象に負担はかけない。しかし、問題としては個性がなくなったり、みんな同じになったりする。というか単純に自分がつまらない。
好きな恰好をしているだけなのに、相手に余計な印象を与えてしまう。かと言って皆が何も思わないような恰好では、「自分らしさ」が表に出ない。自分が楽しくない。そう思うと、外見とは自分が決めるべきなのか、客観視が決めるべきなのか、はたまた他の要因が決めるべきなのか、と迷うわけです。使い分けは大切ですけれどね。
いま読み返すと、何か当然のことを書いているなあ。
それでも心に強く残った気持ちなので、満足いくまで記しておこう。



