福沢諭吉展を見に、上野の東京国立博物館に行ってきた。
途中、古本市などに気を取られたりしている間に時間は過ぎ、閉館1時間前に会場に着いた。
すごい混み様だった。
福沢先生の遺品や書物が展示されていた。様々な年代の方が、思い思いに展示品を見つめていた。
あの人数が慶應大学の関係者だとしたら、すごい。福沢諭吉の作った学びの舎は、こんなにものつながりを作ったのかと思った。
僕ももう4年。自分の岐路に頭を悩ませる。「独立自尊」の先生の言葉が、心に染み入る。
今日は高校の時の友達の、仕事辞め祝いをしました。労働基準法とか全然無視したすげー厳しい環境の中で、周りが「体壊すから辞めろ」という中で、自分が納得のいくまで続けてきた友人。今回いろいろな事情が重なって、今回辞めることを決意したのだが、これはいい決断だったと思います。現在3年で3割5分の退職者が出ているという話を近頃しているが、そいつに限って言えば会社側の責任も大きいと思う。そいつみたく優秀な人材が放出してしまうことに対しては、もっと危機感を持った方がいい気もするなあ。別にいいけど。
そんなのはともかくとして、久しぶりに飲みました。昨日あんま寝てなかったので、すぐに頭痛くなってしまいましたが。やはり付き合いの長い友人ていいですね。なんというか互いの役割分担が出来ている気がしていて、なんとなくの付き合い方で非常に気楽にいられるし、どんな悩みやグチでも互いに肯定的に支え合える。日頃はあまり出てこない僕の顔が出てきたような気がしました。(自分のチームの中では出ている顔だけど)
久しぶりにプリクラも撮ったりしてしまいました。プリクラ熱は一時期下火になったそうだが、今もたくさんの若者がパシャパシャと撮っていたり。もはや日本文化の象徴となっているのでしょうか。そういやゲーセンて観光客いないですよね。プリクラは日本文化の紹介のガイドとかにも載せてもいいのではないかと思いました。
だらだらとした関係だけど、大切にしていきたい。
お知り合いの旦那さんが、「ヘコみ」を共有するサイトを開設されたそうです。
リグレト - みんなで「ヘコむ」を楽しもう!いわゆる、愚痴を言い合う場ですね。このサイトの面白いところが、フォントがだらだらしているので、なんかだらだらと言いたくなるこの感覚!!!真剣に悩みや愚痴を書いていても、どこかだらだらしてしまうとこが面白く感じます。フォントの力はすごい。また、「一言、言ってもいいですか」というスタンスで、非常に投稿がしやすい。登録しなくても書けるから、何か一言言ってやろうかなってなるし。
また、ふとした一言「プロジェクトが終わらない」ということに対して、「オレもだ!!」「一緒に頑張ろうぜ!!」といった気軽な一言アドバイスがガンガン流れているのが、素敵でした。(あと、少しFlashにかじっている部分があるので、作るの大変そうだなーと思ってみたり。)
何か一言でも、「言ってやりたい!!!」ってことありますよね。それをポンと表したときに、誰かから共感をもらえると、すごく嬉しくなります。また誰かの愚痴にアドバイスをしたとき、「ありがとう」って言ってもらえたら、これまた嬉しくなる。
確かに、「ヘコむ」を楽しめるかもね。
今日大学に行こうとして、最寄り駅を降りてバス停に向かって歩いていた(夏休み中はあまり多く大学には行かないので、駐輪場代を浮かすために自転車は別のところに置いており、バスで行くこと多し。)。バス停にはバスが止まっており、僕の前の人がそれに乗ろうと走り出した。僕も彼に続いて小走りになる。前から同い年くらいの茶髪の二人組が向かって歩いてきて、その隣におじいちゃんがヨロヨロと歩いていたら、そのまま茶髪二人組に話しかけた。何気なく見ると、おじいちゃんの顔から大量の血が流れている。
びっくりした。たぶん二人組もびっくりしただろう。とりあえず僕も駆け寄った。おじいちゃんはパニックになっているのか、何かをつぶやいているが何を言っているのかわからない。ふらふらしてそのまま座り込んだ。
二人組が、
「これヤバいですよね。ちょっと、救急車呼んできます。」
といって、近くのお店に駆けて行った。僕は道の真ん中で座り込んでいるおじいちゃんを、とりあえず日陰に連れて行った。どうやら前のめりに転んでしまったらしい。血も大量に出ているが、皮がめくれて出ている感じ。おじいちゃんもちょっと動揺はしているものの、大きな問題だということではなさそう。
救急車が来て、二人組と彼らが連れてきたお店の人と一緒に、どんな状況だったかを聞かれた。話をして、そのまま「では、ごきげんよう」といった流れで別れた。
おじいちゃんには失礼だが、こういった出来事に関わった場合には、見知らぬ人とでも強い団結力を発揮するものだなと感じた。茶髪二人組の行動は非常にテキパキして、おじいちゃんが血を流しているのを見てから救急車が来るまでは、ほんの5分やそこらだった。
その中でふと思ったことだが、これが外国人だった場合はどうなのだろう。英語で助けを求められたら?どこかが痛いと言っているのに、理解ができなかったりしたらどうなのだろう。英語はともかく、中国語とかロシア語とかだったらまあ大変。近頃は田舎町である大学周辺にも、ちらほらと外国人を見掛けるようになった。そういったことも起こり得るだろうな。もしそうなったら、日本のコミュニティの温かさと安心できるというところを見せてあげたい。
色々あると、自分が「何のために」目の前のことをやっているのかが、分からなくなる。
「この方面に、こんなメリットを考えて~~」
「こっちのこういう要求を、しっかり踏まえて~~」
「落とし所としては、こんな感じが望ましいって話だから~~」
社会人でもないのに、気使って色々と調整ばっかしていると、「自分は本当にこんなことしたいのか?」と考えてしまう。
そんな状態から引きずり上げてくれるのは、やっぱり仲間。
話をしていると、自分よりずっと芯があることに気づかされる。どんな切り口から、どんな狙いでプロジェクトに参加しようと思ったのかを、思い出させてくれる。目の前のことに捉われすぎる僕。物事の全体が見えてねーのはお前だ、kenji。
社会人の真似事をするのは、社会人になってからでいい。安価な労働力の「学生」として、言い様に使われるのは腹が立つ。
自分が参加したいと思ったのは、何よりも「自分のため」。自分はここで何を得られて、それは今後にどうつながっていくか。「それ」にワクワク感を感じて、参加しよーと思ったんでしょーよ。そのワクワク感を勝手に忘れて、目の前の物事の調整に嫌気をさして、疲れを感じる。なんだそりゃ。
「誰かのために」という大きな目標を見れない僕は、「自分のために」最大のパフォーマンスを積み重ねていって、「結果として」全体に貢献するしか、できない。そこを忘れちゃ、ただのお荷物。
いつの時代も、持つべきものは素敵な仲間。
いやー、本当に、ありがとうね。
これ、マジで感動です。見てると、笑顔になっちゃいますよ。
『Where the Hell is Matt?(2008) / mattharding2718 / youtube』
本日17時頃、友人と大学の販売店の前で話をしていたときのこと。
一日を過ぎて、朝はあんなにきれいだった販売店前のゴミ箱がゴミで溢れ、辺りはゴミが散乱していた。友人と「これって誰か掃除するのかね。」と他人事のように話していた。
すると、ちょうどそこに清掃員さんが現れる。30代後半~40代前半の男の人だった。
彼は少し疲れた顔をしていた。彼は散らかったゴミを手袋もはめずに片付け始めた。残り汁の入ったラーメンや油が垂れた牛丼の空きパックなどもある。それを見た僕らは何となく責任を感じ、一緒に拾うことにした。清掃員さんが少し奥の方を拾っていたので、ゴミ箱の周りに散らかったゴミを拾っていた。
その時、清掃員さんは僕らに気づいたらしく、「いいよいいよ!」と叫びながら近づいてきた。
そこで気づいたのだが、その清掃員さんは耳が不自由らしく、話し方がぎこちない。さらに、彼は僕らの前で頭を深く下げる。「ありがとう。ありがとう。」と何回も頭を下げる。
僕はとても驚いた。今でもその光景が目に焼き付いているので、結構ショックだったのだろう。その理由は彼が障害者であったことにもあるし、その彼が人知れずゴミを片付けていてくれたおかげできれいな販売店前があったことを知ったことにもある。
しかしそれ以上に僕にとってショックだったのは、清掃員さんとの距離だった。
彼はれっきとした大学の職員である。そして僕らは大学の学生。立場は違えど同じコミュニティの人間なのだから、ゴミを拾ったとしても「ありがとうね!」とか、そんな感じの言葉を交わすだけだと思っていた。しかし、そこで受けたのは「お客様」への対応。もちろん彼が人付き合いが苦手なのかもしれないが、よく考えてみると大学の教室を掃除してくれている清掃員の人に会っても、お客様対応を受けている。これは僕らが学費を払っていて、彼らがお金をもらっているからなのだろうか?
彼からは僕ら学生はどのように映っているのだろうかと考えた時、彼らと僕らの距離を感じた。僕の大学は、新しい領域への挑戦やら世界との交流やらを盛んに謳っているが、まずは自分の通う大学を居心地のいいコミュニティにすることから始めたいと思った。「社会を~」だとか「世界を~」だとかを謳える人間であれば、きっと自分の一番身近なコミュニティも素敵なものにできると思うからだ。
ちなみに昨日大学に泊まった時、そこに来た警備員さんはすごく社交的な人だった。この事もあったから、少し話をした。「テスト前のこの時期は、多くの学生が学校に泊まるよね。君らと触れ合うこの時間が、この仕事をしていてよかったと思う時だよ。」と笑いながら言ってくれた。
やっぱこういうつながりが多いと、気持ちいい。こういう距離でいたいよな。