ありがとう: 2008年7月アーカイブ

21日は、母親の誕生日だった。母にプレゼントとバースデーカードを渡した。

非常に喜んでくれた。「ありがとう」と何回も言われた。


喜んでくれてすごくうれしかったが、ふと思うところによると、当たり前だが親が子供を産んでから、子供はどんどん大きくなり、逆に親はどんどん年を取っていくわけで、いずれは立場が逆転し、経済的にも精神的にも、子供の方が頼れるものにならなくてはいけない。

でも、一つのプレゼントに対してこれだけ感謝されると、逆に母に対する申し訳なさが出てくる。いつも迷惑かけてんのに、たった一つのプレゼントにこんなも感謝されてしまうと、なんだか僕がお客さんのごとく、プレゼントを渡すのがすごく意外な人間かのごとくに感じる。

それって日頃から感謝の気持ちを表せていないからなんだろう。また、こういうことが普通にできる人だと認知されていないからかもしれない。生まれてこの方、当たり前のごとく母に付き添ってもらって生きている。これがどんなに感謝すべきことか。


そういった精神面が成長していない。成人は迎えたけれど、全然精神的に頼られる人間になれていない。少し気取って工夫を凝らしたプレゼントにしたつもりだったけど、自分の「お子様ぶり」を際立たせられた、ハハ・バースデーになった。



僕のアルバイト先の店長が、少し前に変わった。

新しい店長は、いつも「ありがとう」と言う。


店長「kenji君、これあそこに閉まってきてくれない?」
僕「わかりました。」
店長「本当、ありがとうね。」


店長「kenji君、あそこのお客さんの接客、お願い。」
僕「了解です。」

~~少しした後

店長「さっきは本当にありがとう。助かりました。」
僕「いやいや、仕事ですし。」
店長「いやー。でも、ありがとうね。」

~~閉店後

店長「じゃあ服をたたんでくれるかな。」
僕「わかりました。」
店長「遅くまでありがとうね。」
僕「いやいや、シフトですよ笑」
店長「それでも手伝ってくれてるわけだから、嬉しいよ~笑」


と、こんな感じです。本当に、いつも言ってます。もちろん気持ちがこもった「ありがとう」です。


店長は意識的に言おうとしてるのだと思いますが、これは結構嬉しいものです。僕が「仕事だから」と割り切って行動していることに対しても、「ありがとう」と言ってくる。そうすると、僕は違和感を感じるわけです。仕事でやってるのに、ありがとう??、となる。

でもそしたら、自然と「仕事以上」のパフォーマンスをしたくなってくるんです。しなきゃいけないわけではなく、したくなってくる。(当然したくならない人もいるとは思いますが)ここが不思議なところです。

それはたぶん、店長から「感謝」をされているからだと思います。仕事にしろ何にしろ、自分のとる行動に対して感謝をされるわけです。それに対して、嫌な気持ちがする人はいないと思います。むしろ嬉しくなります。そしたらその感謝の分、仕事に対してのパフォーマンスを上げようとするんじゃないかと思うんです。この辺りを理論立てて研究している人がいたら、その研究を見てみたいです。


で、僕も「ありがとう」を言うことにしました。「ありがとう」キャンペーンです。素直にありがとうを言おうと思います。これは物事を素直に受け止められるかが大事になってくると思いますので、難しそうですが、取り組みがいがありそうです。



プロフィール
  • name/林 賢司
  • birth/1986/04/18
  • belong/KO大学4年
  • theme/自分のために、他人を幸せにする
  • "My Accept"/自分の経験から目を背けずに、「その時の自分なりに」受け止めていくこと。
  • purpose/「その時の自分なり」の解釈・観察・感情の蓄積。
  • contact/kenji[at]monoraltype.com

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