地方の最近のブログ記事


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夏から携わらせてもらっている会津若松のプロジェクトも、いよいよ大詰めに差し掛かっている。

そんな中、本当に感動するニュースがあった。

以前、志を立てるということ(会津の教え四)という記事に書いた米農家の新田義則さんが、静岡県で毎年開催される「お米日本一コンテスト2008」で優秀賞に選ばれたそう。(この大会は最終審査をトーナメントで行うので、優秀賞は「第二位」を意味します。)えり子さんという方のブログに、結果が載っていました。 →誘惑に弱いリポーター通信:お米日本一コンテスト2008結果


記事では詳しく取り上げなかったが、新田さんは「日本のお米は、世界を救う」という志を持って、その志を実現するためには何が必要かを考えて、本当に行動しちゃっている米農家。その一つとして開発しているものが「米粉(ライスパウダー)」。米を粉にしたもので、元々団子など和菓子作りに使われるものらしいが、近年では小麦粉の代用品として期待されている。

新田さんが考えているのは、米粉でパンなどを作ろうというもの。そして、それを「食糧支援」として発展途上国への支援に使えないかと考えている。そうすれば本当に食料を必要としている人にたくさんの栄養素を含む米を届けられるし、減反政策でダメになった日本農業の活性化にもつながる。この考えの背景には日本のODA政策に対する疑問や、米農家として何ができるかという新田さんの視点と気づきがある。


米粉でパンやピザを作ることは様々なところで試されているらしいが、現在の技術では米だけでは小麦粉の代用ができないので、米に様々な添加物を加えて米粉が作られている。その結果、米粉の中での米の配合率は、40%ほどにしかなっていないらしい。しかし新田さんは、研究の末、添加物に対して米の配合率を 70%にもした米粉を開発した。これを少しずつ市場に出していきたいと話していた。そんな中、新田さんは初めて出したコンテストでこの賞を受賞した。味に高い評価をもらったということになるが、僕は何より志を立てて全ての物事に真摯に取り組む新田さんの人柄が出た結果だなあと、思った。

知り合いのところに米を送ってくれたそうです。食べに行かなくては。


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以前訪問したとき、「新田米粉」で作ったピザを食べさせてもらいました。完全に小麦粉の代わりというわけではなく、ちょっとモチモチしたピザでした。ただ生地に米の甘みもあり、おいしい。生地だけでいけます。今思い返せば、日本二位の味でした(笑)



時が経つのは本当に早いものだ。僕が別府の町から帰ってきてから、もう一週間になる。あの時の印象を記しておく時間がなかったからずるずると来てしまっていたが、ここでしっかりと整理しておきたいと思う。別府のモスクに行った時のことである。


モスクと言って、想像されるのはどのようなものだろう?これは僕がトルコに行った時に撮ってきたブルーモスク。

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しかし、大分県別府市のモスクは、これ。

mosuku1.JPGちょっとイメージが違うけど、これが立派な別府のモスク。モスクとはそもそも「ひざまずく場所」の意味なのだそう。このモスクができるまでには、すごいストーリーがある。ここは使われていない廃ビルだったそうなのだが、以前まで礼拝をする場所がなかったイスラム教の留学生が、なんとこのビルを買い取ったのだという。今まで週2でしていたアルバイトを週5に増やし、少しずつ貯めて買い取ったのだと胸を張って教えてくれた。ビルを買い取るという発想とその行動力・・・。イスラム・コミュニティの底力はすごい。


僕が別府に滞在しているときに、別府の兄の同居人であるタムラ君が、「最近別府にモスクができた。」と教えてくれた。なんでもイスラム教の国から来ている留学生が、自分たちでお金を出し合ってビルを買い取り、そこをモスクにしたのだとか。是非行きたいというと、そのモスクに出入りをしている友人に連絡を取ってもらい、連れて行ってもらった。


モスクとは言ったものの、本当に普通のビル。だが場所は国道沿いの結構いいところ。

若干緊張しながら中に入ってみると、そこには一人の日本人もおらず、イスラム教の留学生が20人ほどいた。彼らは色々な国から来ており、共通点はイスラム教徒だというだけで、母国語が一緒ではない。なので、会話を英語でしていたりする。僕から見ると雰囲気から同じ国出身に見えるのだが(日本人と韓国人の違いみたいなもの)、それが違う。それを見ても新鮮だったし、宗教のために国を超えて団結を図れるというのはすごいなと、改めてこのコミュニティの力強さを感じた。


僕が行った時はラマダン月で、彼らは日の出から日没まで食事はできなかった。僕らが行った時間はちょうど食事が解禁となる日没の時間で、一緒に食べようと誘ってくれた。この時の料理はバングラディシュの料理だそう。各国の留学生が、国々の料理を当番制で作るのだそうだ。

mosuku7.JPGmosuku4.JPGこれらは手で食べる。カレーはネバネバしているので、少し気持ちが悪かった。結構辛い。


このモスクのいいところは、彼らが日本語を流暢にしゃべることだ。彼らは僕の抱いていた勝手なイメージと違って、イスラム教信者ではない僕らにとてもウェルカムな対応で接してくれた。イスラム教は日本では怖いイメージが持たれるが、それもメディアを通して知った情報で判断していること。彼らの国の人間性は、むしろ日本人より人間味があって温かいのではないだろうか。

ラマダンの最中は、祈りを何回か繰り返すらしく、この日も食後に祈りを行った。

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正直なところ、僕は彼らが祈っている姿を撮ることに少しビクビクしていた。信者ではない僕らが来て、一緒にご飯を食べているときやお祈りの場に参加することに対して、「のんびり見てて」と言ってくれたものの、彼らの神聖な祈りに対してカメラを向けたり写真を撮ったりすることは、良くないのではないかと思ったりした。しかし、写真を撮ってもいいか聞いてみると、「全然いいよ!」と笑っていた。彼らの神に対する考えと、僕らが持つものとは少し違うのだろうか。考えというよりも、神との付き合い方と言った方が適切かもしれない。僕らが考えているものより、もっと身近であるのかのように感じた。


祈りの後に、イスラム教について話す場を設けてくれた。この場で主に話してくれた人(名前を聞き忘れてしまった)は、ヒンドゥー教から改宗してイスラム教徒になったのだそうだ。彼は、宗教が言う正しいものとは何かに疑問を抱き、ヒンドゥー教からキリスト教、仏教などの聖典を研究した末、イスラム教にたどり着いたのだそうだ。

彼は、「宗教は大切なところはイスラム教でもキリスト教でも仏教でも皆同じ。大切なのは、神の存在を信じ、受け入れること。それができれば、どの宗教でも同じ。言っていることは同じだから。」と言う。僕はこの彼の見解が僕にはないことであり、非常に強い印象を受けた。

僕は宗教や神というものをあまり真剣に考えたことがない。僕の家にはマリア像やキリストの絵などが飾ってあるので、自然と「神」というものの存在を受け入れていた。しかし、それは「何か自分には関与の出来ない大きな力が存在する」という点でなんとなく受け入れており、それは「神」という個人ではなく、どちらかというと「万物全て」という抽象的な大きな枠組みのものにあると考えている。この「大きな力」というものを「神」という単体と捉えるか否かの違いだけではないかとも思うが、そう考えるようになるだいぶかけ離れた経緯から来ていると思う。


そういうことを考えるきっかけとなっただけでも、大変貴重な経験だった。また、彼らと実際に話をしてみて、僕の中でイスラム教に対する見方が変わった。この視点をもらうきっかけとなったこととしても、大きな経験だった。今度東京にあるモスクにも、行ってみようと思う。


ちなみにこのモスクは、いつでも誰でもどの宗教の信者でも、歓迎だそうだ。興味がある方は、是非。5年後とかには、名所になってたりしたらいいな。



mosuku2.JPGお祈りの後、イスラム教について話をした。

mosuku3.JPGコーラン。初めて見た。正式な日本名は「聖クルアーン」という。



9月21日から24日にかけて、兄の住む大分県別府市に行ってきた。

beppt.JPG一番右の部屋が兄の職場

兄はこの地で、アートを通した様々な地域活動や地域興しに携わっている。具体的な方法としては別府に世界的にも有名なアーティストを招へいしてイベントを行ったり、市内で廃屋となってしまった場所を借りてリノベーションを行い、作品展示の場所にしたり、市民が交流できる多目的スペースを作ったりしている。
BEPPU PROJECTホームページ


別府で有名なものと言えば、温泉。かの有名な一遍上人がこの地に温泉を開いたとかなんとかで、「上人」という地名もある。町の至るところで煙が噴き出していて、東京じゃ見れない異様な光景になっている。一昔前までは国内外の多くの人が温泉に入ろうと訪れた町であったそうだが、今ではそれも衰退し始めているそうだ。それでも市は、まだまだ「温泉の町」として別府のイメージを打ち出し続けている。その中で、僕は今回の小旅行で、「今の別府にとって、温泉文化も一つの別府を表す側面にすぎない。今の別府は、「文化のるつぼ」である」ということを感じた。


まず、この別府という町は日本でも有数の「国際交流の豊かな町」なんです。この別府には、立命館アジア太平洋大学(APU)という大学があり、その大学はなんと学生の半分が留学生という国際色の強い大学になっている。それにより、この小さな町はAPUに通う留学生で溢れている。コンビニでバングラディッシュ人が「いらっしゃいませ。」と言っているのは当たり前。マクドナルドで「スマイル0円」をくれるのがリトアニア人だったとしても不思議じゃないわけです。

そんな町だから、外国人との交流の機会が非常に多い。またそれに対する市民の受け入れ方も優しい。兄の同居人が僕を飲み屋へ連れて行ってくれた時、たまたま銭湯から来日ていたフランス人が出てきた。兄の同居人が気軽に英語で話しかけると、そこでわっと盛り上がり、一緒に飲み屋に行くことになった。店に入ると80過ぎのおばあちゃんが、フランス人に英語で質問を投げかける。一時の「ノリ」で連れてこられたフランス人も、最初はとまどいながらも非常に気を楽にすることができ、盛り上がる。こんな感じはごくごく日常。この町の日常は、非常に「外国人」と「日本人」の区別をほとんど意識しない。


また、色々な国の人が入ってきているということは、文化があるのと同時に、色々な宗教もある。先日はイスラム教のモスクに連れて行ってもらった。これについては別記事で触れるが、彼らは別府に祈りを捧げる場所がないので、「じゃあモスクを作ろう!」ということで、バイトして貯めたお金でビルを買い取ってしまい、それをモスクにしてしまったのだとか。まだモスクができて間もないということで、訪れた時にはイスラム教徒の留学生しかいなかったが、彼らは非常に温かく出迎えてくれた。イスラム教徒でなくても訪れることは、全然OKなのだそうだ。9・11後、少し怖いイメージで語られるイスラム教ではあるが、こうして顔を突き合わせて話をしてみると、普通の優しい人であるし、その真摯な信仰と自分に対する戒めの考え方には、むしろ僕らも学ぶべきところがあると感じた。(この時のことを書いた記事はこちら → イスラム・コミュニティ


今回別府を訪れてみて、別府の文化の新しい一面を感じた。それは「世界と交流できる場所」としての機能を持つ一面や、様々なアート表現の拠点としての一面。

それを通して、「文化というものは、「決まったもの」ではないんだな」ということを感じた。

そこの町の文化とは何かと考えると、古くからのことを考えがちである。「昔ながらのお祭り」みたいに。しかし、人の行為は常に何かを生み出しているし、人の交流もまた何かを生み出す。昔は「温泉文化」しかなかった町も、多くの留学生が「彼らの文化」を背負って入ってきて、その彼らとこの土地に昔から住んでいる人が交わることで、そこに新たな文化の種が生まれる。これらが何を生み出すかはまだまだわからないが、これらは時を重ねるごとに段々とそこに根付き、後ろを振り返った時には「文化」として残るようになる。これから50年後、100年後には、今とは違った別府の顔を見ることになるんだろうなあと、そう感じる小旅行でした。


beppu2.JPG釣りするおばあちゃん


beppu3.JPG駅前高等温泉。長い歴史を持つ温泉だそう。


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たまたま会ったフランス人アーティストKOUZ。実はその先週来日し別府に来ていた有名現代アーティストの知り合いだったことが判明。その話で大盛り上がりだった。



8月23日から24日にかけて、また会津を訪問した。今回の訪問では、「東京に必要な会津の精神性」をキーワードに、何かに「懸命な人」にインタビューをしてきた。ここでもまた、本当に素敵な考え方、ものの見方をいただくことができた。


今回は二日で5人の方々にインタビューをさせていただいた。その中の一人で、今回唯一の農家さんであったのが、米農家をやられている新田義則さん。 → 新田さんについて

新田さんは、「日本のコメが、日本を救う。世界を救う。」と主張する。これだけを聞くと、「まあ、米農家だからね。そういう意気込みで作るよね。」とか思わ れるだろう。僕もそう思った。ところがどっこい。新田さんのすごいところは、「なぜ」を探求し、その解決策を思案し、実行に移す農家さんであるというこ と。

新田さんが「日本のコメが世界を救う。」という観点から取り組まれていることについてはひとまずは置いておいて、新田さんのインタビューの中から、特に僕が感動し、「やばい!オレどうしよう!!!」と思ったことを一つ紹介。

それは、「志を立てる」ということ。


論語の中に、「我、十有五にして学に志す」という言葉があるそうです。孔子は15歳の時に、学問で生きていこうと決心したということらしい。その中で、孔子 の教えを藩校で教えていた会津藩は、子供が15歳になった時に、自分の今後の人生を決めるという意味合いで「志を立たせる」ということで、「立志式」を行った。(その式の名前を「元服」という。)子供には立志式を行う前までに、「自分は何のために生まれ、今後の人生で何をなすべきか」を繰り返し自問し、一つの答えを導き出すことが求められていた。昔は世襲制だったので仕事は決まっていた。そのため、その仕事には一生関わっていかなければならないので、その仕事を通して何をなすべきかという ことは、非常に大切なことだったのだろう。それは今でも変わらないのではないか。

そしてその志を一度立てると、後はそれを懸命に貫き通すことが大切であった。新田さん曰く、以前の記事に書いた会津の「什の教え」の中の「ならぬものはならぬ」という言葉の中には、「一度決めたことを覆すこと」は「ならぬ」という意味も含まれていたという。「自分で掲げた志を覆すことは絶対にならぬ。ならぬものは、ならぬことだ。」という、否定を否定する肯定的な意味も含んでいたのだそうだ。


もちろん現代社会は世襲制ではないので、自分がすることを一度決めたら覆してはいけないなんてことは、どだい無理な考えだと思う。今の時代にとって様々な経験を通して、自分に必要なことや大事に思うことを模索することは、とても重要なことだ。しかし、この話を通して僕が「やばい!」と思ったの は、昔と同じだけの「自問自答を行えているか」ということである。


当時の会津の人は(他の藩の人は知らない。ここで「武士は」と言わないところがミソ。これについては別記事で。)、それだけ自分の人生について、一生懸命考えていた。孔子が15歳で人生を決めてしまったとばっちりを受けてか、会津の子供たちも自分の人生の大筋を15歳までに決めなくてはならないことになった。しかし、それまでに一生懸命自分にとって大切なことを考える。人であるために大切なことを考えた上で、それでは自分が何をなせるかを考えた。では今の時代の、15よりも7つも上の僕は、「自分の人生の今後」について 一生懸命に考えられているだろうか。


今の社会は変化が光速だし、志を明確にしてしまうには選択肢や考えるべき立場がたくさんあるし、自分のやりたいことや達成したい目標なんてのは二転三転するし、、、などと色々な当時との違いが思いつくが、大切なのは「その考えるプロセスから逃げないこと」であると思う。色々な検討材料はあるけれども、とりあえず自分が生まれた理由は何か。自分が成し遂げたいことは何か。それを考える。また、人間 にとって大切なことは何か。自分にとって大切で、他人にとって大切なことは何か。そういったことも少しずつ含めながら、考える。それを考えていく上で考慮 しなければならないことに出会ったら、それを含めた上でまた考え直す。そのプロセスをふむ重要性は、昔も今も変わらないと思う。


じゃあなぜ志を立てることの意味は何か。自分なりに考えてみた。

今の僕の答えは、志を立てるにあたり、自問して考えるプロセスを踏むことで、「自分だけの目標」を見出すことができる。目標が見いだせれば、人生に意味が生まれ、日々が楽しくなる。だから、志を立てる。これです。


「志」 という言葉は知っていたけど、それを立てることがこんなに大切なことであったとは、初めて知った。僕の場合、「自分を幸せにするために、他人を幸せにする」と言うけれど、それは具体的にどんなことをイメージしているのか、何をしたらそれが達成できると思っているのか。それを通した社会を、僕はどう想像し ているのか。色々考えることあるな~。

少しずつ答えを磨いていこう。とりあえず今は、寝よかな。



会津藩の教えの中に、「ならぬものは、ならぬ」という精神がある。

これは、田中玄宰の「天明の改革」以降に6歳~10歳までの会津藩の子供に教え込まれた会津藩士の心得の一つである。会津藩には、会津藩家老田中玄宰の進言で作られた有名な藩校「日新館」があり、そこには10歳から入学することが義務付けられている。その入学の前段階で、近所の子供たちがグループになり(このグループのことを「什(じゅう)」と呼ぶ)、グループの中で会津藩士として大切な心得を学ぶ。これが、藤原正彦氏が著書『国家の品格』の中で触れたことで有名な「什(じゅう)の教え」である。以下。


一 年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二 年長者にはお辞儀をしなけれはばなりませぬ
三 虚言を言うことはなりませぬ
四 卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五 弱い者をいぢめてはなりませぬ
六 戸外で物を食べてはなりませぬ
七 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです。


これが現在「什の教え」として知られているものだが、聞くところによると「什の教え」というのに決まったルールはなく、その子供のグループ(什)ごとで教えが違ったそうだ。グループで心得を学ぶこと自体は義務付けたらしいが、その内容設定にはある程度グループで考えさせて、決めさせたらしい。やっぱり自分たちで決めたルールなら、守らざるを得ないもんね。その辺り、良く決めましたね。(それにより各グループ(什)で心得の理解の仕方に差が出たのかは不明。出る気はするが。)


日新館に入ると、様々な学問を学ぶことになるが、この「什の教え」を理解していることは前提となる。それを示すのが、「人でない」「鳥獣以下」という言葉。


「戸外で物を食べてはいけない。」
「なんでですか?別に食べたっていいじゃないですか!」
「ならぬものは、ならん。」
「おかしいでしょう!食べてはいけない理由を説明していない!」
「お前は、鳥獣以下だ。」


こうなります。すごいですよね。少し押しつけてる観もあります。


しかし、この「ならぬものは、ならぬ」の理由を聞いて、僕は非常に感心しました。すげーですよ。


「ならぬものは、ならぬ」。なぜか。『そう簡単に、理解できるものではないから。』、だそうです。


どういうことか。


この教えは、6歳から10歳までの子供に教えられる。しかし、この段階で物事の何を理解できるか。

「なぜ、年長者の言うことに背いてはならないか。」「なぜ、虚言を言ってはいけないか。」ということは、他人から言葉で説明されても、簡単に理解できるものではない。「年長者だからって人は人だろう!基本的人権を尊重すべきだ!年齢間の差別だ!」とかなんとか論理だった主張ができるのかもしれないが、それでも、年長者の言うことには背いてはならない。こればかりは、「自分で将来的に理解すること」になり、その時までは「ならぬものは、ならぬ」として理解させておかなければならない。いつか必ず、「なぜ、ならぬものはならぬとして、教わったか」ということが分かる時が来る。そういう理念の下、それまでは「什の教え」は「ならぬものは、ならぬ」という形で押しつけ、それに逆らうものは「人でない」としてまで、教えを理解させ、守らせる。


もちろん今の時代には、受け入れられない教えがありますよね。「戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ。」とか、言語道断です。「年長者の言うことにそむいてはなりませぬ。」というのも、年長者が正しいということが前提になるんで、こんだけ時代の変化が激しかったり、国際化が進んでいたりすると、日本国内だけで培った考え方や人生観、生活観だけが、正しいかどうかも疑問ですし。

しかし、「子供に自分で気づかせるまでは、あえて押しつけておく」ということは、これは今の時代にも参考にできるものではないかと思います。その理由の一つは、子供が疑問に思うことの答えを言葉で伝えたとしても、それもまた大人の偏見による教えであるということ。もう一つの理由としては、子供がその教えを本当に理解できるとは思えないということがあります。

僕の個人的な経験でも、昔、先生に長々と説教されことが、当時は理不尽に思えたことでも今になると「そういう意味だったのか~。そういうことを伝えたかったんだな。」と思うことが多々あります。それは僕が成長する過程で得た経験などから、自分の言葉や考え方で、その内容を理解できるようになってきたからではないかなと思います。もちろんそれは、間違った理解の仕方かもしれず、先生も「そんなつもりで言ったんじゃない!」と思っておられるかもしれませんが(笑)、先生の教えが絶対的に正しいとも言えませんし、僕の理解の仕方も答えの一面であるとも言えます。


絶対的な正解のある物事というのは、そんなにはないと思います。その中で、何が正しいのかを「自分で」理解できるようになるまでは、子供に対しては「模範的な正解」を押しつけておく。そういったことは、必要なのではないかと思うようになりました。


これと同じ内容を、以前東京大学教授で哲学者の野矢茂樹氏にインタビューをしたときに、氏は「紋切型」という言葉で表現されていたことを思い出しました。改めてインタビューしたものを読んでみると、すげー気づきがありました。当時もまだ、氏の言葉を本当には理解できていなかったんだな。今もまだ理解できていないのかな。いや、今後はきっと、違う見方で氏の言葉を理解できるようになるのかもしれないですね。よければ、読んでみてください。

哲学者野矢茂樹氏インタビュー テーマ:思い込み



会津の食は本当に美味しい。

僕が農業体験をさせていただいたIさんの家ではほぼ自給生活をしているため、新鮮な野菜、というか食べる直前に取ってきた野菜を使って料理をする。そのため、苦労して栄養分をかき集めた力強い野菜の、素材の味が出ており、逆に調味料を使うと味が変に感じるような、そういった野菜料理を出していただいた。

しかし、会津の食の魅力は、新鮮野菜だけではない。定番メニューも、流石の味だった。


僕らは7月30日の夜行バスで会津に向かった。会津若松の駅に着いたのは5時30分。到着時刻を今回のプロジェクトを会津でまとめている人に伝えると、「町を案内するには早い時間だから、『朝ラー』食ってきなよ。」と言う。

『朝ラー』とは、朝ラーメンのことである。会津には朝、ラーメンを食う習慣があるらしい。東京だと、仕事帰りにお酒を飲んで、「ちょっとラーメン食べて帰ろうかな。」となるところが、会津だと、仕事帰り(農作業帰り?)にお酒を飲んで、朝、「仕事前にラーメン食べようかな。」となるらしい(笑)

とりあえず、朝ラーメンとはどんなものかを食べに行った。行先はラーメンで有名な「喜多方」。元々は「蔵の町」として観光客を集めていたが、地元民が好きだったラーメンを観光客にふるまい始めると、あっという間にラーメンの方が有名になってしまったとか。


喜多方駅で待ち合わせをし、地元のプロジェクト関係者の方に迎えに来てもらった。これから農作業ということで、作業着を着て登場。朝ラーで有名なお店に連れて行ってもらった。
   
CIMG3538.JPGこれがこの日食べた朝ラー。「典型的な朝ラーください。」と頼むと、「朝、ラーメン食べることが朝ラーだから、全部そうだよ。」と言われる(笑) 「朝食べれば、朝ラーなの??」と違和感を隠しきれなかったが、間違いなくちじれ太麺に濃厚なスープととろけるチャーシューは美味。「朝、ラーメン食べるのも悪くない!」と思わせてもらった。(ただ、朝こってりしたものを食べることに慣れていなく、夜行バスであまり寝れなかった僕は、その後ちょっと眠くなった。)


その後、町を案内してもらった。昼時になると、「最近名物になってきた『ソースかつ』を食べよう。地元民の間では有名なお店に連れてくよ。」と、なんともうれしいことを言ってくれた。

案内をしてくれていた方は、「ソースかつは会津の名物か?」という問いに対しては「最近だね。」と言っていた。wikipediaで調べてみると、ソースかつ丼の起源説は到る所にあるようで、どこが発祥の地とは言えないらしいが、少なくとも会津じゃなさそう。しかし、地元では地元名物として親しまれている。

で、これが『ソースかつ』。でらウマです。

CIMG3599.JPGこれ大盛りなんですけどね、この重量感!!びっくりしました。また、この甘辛のタレと歯がいらないくらいふわふわサクサクの豚が絶品なんですよ~~。なんでも会津は味噌が美味しいそうで、味噌汁もこっちのとはちょっと違う感じだったのですが、ソースかつの印象が強すぎて、良く覚えていません。とにかく、豚肉をかんだ時に口いっぱいに広がるこの甘辛のタレが、最高でした。しかし、この甘さがおなかいっぱいになってくると大きく響きまして、残り3切れとかそういう状態の時に、少し憎らしくも思えてきたのを覚えていますが、今写真見るとまた食べたくなる。


今回感じたことは、美味いものがあることを羨ましいと同時に、自分の地元には全然目を向けてこなかったなーいうこと。都会にいると、どうしてもチェーンのお店やフランチャイズのお店が多くなり、外食する時もそういったお店を利用しがちになる。安いし、便利だし、味が保障されているし。しかし、自分の地元にも感動するような味を提供する店があるはず。そういった味には触れずに、全国どこでも一緒の味に日常から触れてしまうのは、もったいない気がする。

どうせだったらこれを機に、色んな地元の味に目を向けて、生活に食を楽しむ要素を取り入れてみような。



CIMG3530.JPGのサムネール画像
30日の夜から1日にかけて、福島県の会津に行ってきた。ここには、あるプロジェクトの一次の調査という位置づけで行ってきた。このプロジェクトに関しては追々書こうと思う。

今回、会津で経験できたことは、特に今の自分にとって、非常に意味のある知見と考え方をもたらした。その中で、今回得たものを要素に分けて、記しておく。


近年高い食の安全性が求められている。その中で、現在人気沸騰中の「有機野菜」を育てている農家のIさん宅に泊めさせてもらい、その生産過程の一部を見させていただいた。

会 津は非常に肥沃な土地らしい。会津という土地は盆地のため、昔大雨が降った時には、山から高い栄養分を含む粘土が流れてきて、ここに堆積したのだそうだ。 このため会津は豊作と凶作にほとんど差がないことで知られており、1993年の冷夏の時も、会津を残した福島全域は大きな被害を受けたのに対し、会津では 逆に豊作であったそうだ。さらに、会津は災害の少ない地域で、南方にある日本アルプスのおかげで、台風が来ない。そのため水害も少なく、農業を営むには最 適の土地だと言う。(この辺りは良く分からないので、調べて追記しておこう。)


今回僕らが行ったのは、トマトの収穫と、じゃがいもの選別だった。

Iさんは、農薬を一切使わない有機農法で 野菜を作っている。Iさんは、「有機農法と化学肥料を使った農法とどう違うのか。その違いは一点だけ。『野菜に苦労をさせるか否か。』だけ。」と言う。化 学肥料は人工的に作られた肥料だが、この肥料の長所でもあり短所でもあるところは、野菜に栄養素を送ってあげることなんだとか。そのため、野菜は根をそこ まで張らずとも栄養をたっぷり吸い取ることができきる。この野菜はある程度大きく育つは育つが、味もある程度までしか育たない。「それに「加えて」、健康 に良くないとかそういう話なんだよね。」とIさんは言っていた。しかし、有機農法で用いる肥料では、野菜にとって必要な栄養素が簡単には吸収できない。野 菜は受け身では栄養を吸収できないため、根を張って吸収できる面を広げながら、自ら栄養素を吸収していかなくてはならない。それには自然の成り行きだけで は難しく、途中でダウンして死んでしまう野菜もあるので管理をしっかりしなければならないが、その末大きくなった野菜の味は、化学肥料のものとは比べ物にならないそうだ。

「こっちの方がウマい。だから僕はこっちのやり方で野菜を育てる。化学肥料を使うと健康に良くないとかなんとか言われてるけど、この味を知ってしまったら、まず化学肥料は使えないんだよね。」

I さんの野菜は、どれも新鮮な、かつ食欲のそそる匂いをガンガン放っている。その匂いに誘われてくる虫は後を絶たない。その虫とうまく付き合っていきなが ら、必要な分を収穫し、出荷したり地元の人たちに持って行ったりする。地元の人はお返しにと、Iさんに収穫物やらもらったものやら、少し多めに買ったもの など、様々なものを持ってくる。その話をしているIさんは非常に楽しそうだった。


ここまではいい話。Iさんの野菜は本当に美味しい。本当に。みな、食べたくなるだろう。では、そのプロセスはどうか。

Iさんに連れられてトマトを育てているビニールハウスに行った。Iさんは様々な野菜を、必要な分だけ育てているので、ビニールハウス自体はそこまで大きくなかった。しかし、そこの暑さと○○の多さが半端じゃない。

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ト マトが広がる。顔を赤らめこっちを見てるやつから、青白い顔して興味なさそうにしたを向いているやつがいる。Iさんは完熟したトマトを出荷しているので、 うっすら顔を赤らめているやつではダメ。日焼けして顔を真っ赤にしているやつでもダメ。大恥かいて、顔から火が出そうなやつ。こいつを収穫する。

こ の収穫を困難にするもの。暑さ。なんせ暑い!!!直射日光がガンガン降り注ぎ、ビニールがその光を吸収し、だけど逃がさない。地球温暖化の恐怖を感じなが らの収穫(ウソ)。僕らは3人で収穫をしていたからいいものの、これがIさんとIさんの奥さんだけなら大変だ。収穫時期を見逃すと、「ゴチになります」と 言わんばかりに虫が寄ってくる。彼らに先を越されてからでは遅い。


さらに収穫を困難に、というか、いやにするもの。

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そ うです。蜘蛛です。彼らが本当に、心を折ろうとしてくる。写真には3匹しか写ってないけど、あり得ないくらいいた。何年も放置されているのか、ビニール シートの屋根の下に、蜘蛛の巣でできた屋根がある。そこには無数の蜘蛛と、間違えて遊びに来てしまって帰れなくなってしまった虫が住み着いている。

また、当たり前だけど苗と苗の間にも巣を作る。いい色をしたトマトがあるので手を伸ばすと、蜘蛛の巣にぶち当たる。そこいら一帯の蜘蛛が一斉に動き出し、巣 にかかった(壊した?)獲物の方に向かってくる。「うわっ!」となって手を振りはらって立ち上がると、今度は頭で巣を破る。メガネに巣がついたり、髪の毛 に蜘蛛が住んだり。

別に蜘蛛はきらいではないんですが、好きじゃないです。こんなことで地元の人に「都会っ子」と笑われたくはなかったので、我慢です。もっとも、だんだん慣れてくると、そこまで気にならなくなる。でも、顔とかで蜘蛛の巣に突っ込むと、マジで萎えた。

さらにさらに、少し悲しくなったことですが、下記の写真を見てください。これ、片方は売りに出せない商品。どっちが売りに出せない商品でしょうか。両方とも完熟。

CIMG3671.JPG正解は、左ですね。左が売りに出せない商品。理由は、ケツのところ。

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ちょ こっとです。ちょこっとヒビが入ってしまったので、売り物にはならなくなったのだそうです。「これ売れないんだ~~」と思うと、悲しくなりますよ。あの暑い中、蜘蛛と闘いながら一生懸命もいで、でもこんなんで売れないんですから。テレビで食糧危機を騒いでいるのを思い出すと、馬鹿じゃないかと思ってしまう。食べていいと言われたので、食ってやりました。僕トマト大好きなんですが、マジで美味しかった。ガツガツ食って、ヘタはそこらにポイする。完熟なのに 意外と皮が堅くて噛み心地があり、かつフルーツのごとく甘い。最高でした。なんて種類だろう?聞かなかったな。


トマトの収穫を終えると、次はじゃがいもの選別。これまでに収穫したじゃがいもから、状態のいいもの、少し削れたりネズミに食われたりしているけど、他の部分は食べられるもの、腐っているものに分ける。この作業が、地味だけど大変。

CIMG3683.JPGのサムネール画像じゃがいもも普通の農家では、農薬を使って腐らない対策をしているそうだ。腐るのは菌が原因なので、その菌を殺す薬をまけば、多少傷ついても腐りはしない。しかし、有機農法だとそんなことはしない。傷んだものは、ガンガン腐る。

さらに迷惑なことに、この腐ったもの(僕らは「お腐りさん」と呼んでいた。以下、お腐りさん。)は、隣の健康なじゃがいもも腐らせる。これにより、一つの ケースに一つでもお腐りさんが入っていると、全部とは言わないまでも、ケース中のじゃがいもが腐っていく。また、匂いも強烈。そんなじゃがいもを出荷するわけにはいかないので、お腐りさんと、そのお腐り液をもらったじゃがいもは分けなければならない。

これが、お腐りさんら。

CIMG3687.JPGのサムネール画像

すげー臭いし、お腐りさんは持つとぶよぶよする。もうこれに触れると萎えちゃう。菌の部分を触る手は、普通に仕分けてる手とは変えて使う必要があるため、できるだけ観察し、お腐りさんを見つけたら反対の手で持ち、捨てる。お腐り液をかかってしまったじゃがいもも天日で殺菌するので、別口にする。他、傷がついていたり、ネズミに食われてないかなどをチェックし、仕分ける。しゃがんだり立ったり、重いじゃがいもケースを運んだりと大変だった。一日やっただけなので、別に疲れも何もないが、農家の方はこういった作業を毎日繰り返す。農薬を使えばこの仕分けはもっと楽になるのに。


この経験を通して思ったこと。

「スーパーにトマトは生えない。美味い野菜の労力に感謝。」

っ てこと。僕らの食卓に当たり前に置かれるトマトとじゃがいもは、本当にプロセスがあるんですよ。僕がやったことなんてほんの一部で、ビニールシートの管理から、苗を植えるところから、きれいに洗って箱詰めするところから、誰かに渡されて運ばれてくるところから、僕らがスーパーで買って食卓に届くわけです。このプロセスを体感することが、人に感謝できるようになる上で、とても大事なことのように感じる。100円200円で買えるトマトに、このプロセスがあるんです。じゃがいもや、他の野菜だって全く一緒。魚だって肉だってお菓子だって。気づかされたなー。

また、農薬使ったものは反対だとか、科学肥料はどうだとかってのは、リアルを知らない人から言われるセリフのような気がする。「健康に気を使って、農薬を使用したものは買わない」だとかってのを良く聞くようになった近年であるが、てか僕もそういうのヤダけど、仕事として農業をやられるのであれば、農薬使っちゃいますよー。面倒だもの!!例えば 今まで農薬を使った農法をしていた人が、使わない農法に変えるとならば、そこには設備投資やら学習やらと非常に大きなコストがかかる。また、上手くいくかどうかも不透明だし、大量生産だってできない。しかも若い人ならともかく、年配の人なら怖いでしょう。そしたら変えないですよね。

Iさんは好きでやってるし、何より自分や自分の子供、自分の地域のためにやっている。それなら楽しくやれるかもしれんが、これを「食の安全のために仕事して、やれ。」とは言えないでしょう!「農薬使ってるところからは、買いません。」とか言いだされても、仕事はいきなりは変えられない。この労力は「金払ってるんだから」とかじゃ変えられないですよ。てか、そもそもどれだけ農家の人にお金を払えているんだろう?(今回はトマトだったので、しかも僕トマト好きなので、 トマトの無農薬の取引が、農薬の取引と比べてどれくらいで行われているのか、調べてみようかな。)


それにしても、いい体験でした。「いい体験」で済ませてしまうのは、Iさんに申し訳ないし、自分にとってももったいない。自分ができることは何か。Iさんから野菜買ったりかな?皆に伝えることもそうか?何かしていかないと。



プロフィール
  • name/林 賢司
  • birth/1986/04/18
  • belong/KO大学4年
  • theme/自分のために、他人を幸せにする
  • "My Accept"/自分の経験から目を背けずに、「その時の自分なりに」受け止めていくこと。
  • purpose/「その時の自分なり」の解釈・観察・感情の蓄積。
  • contact/kenji[at]monoraltype.com

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