貧困の最近のブログ記事
今日はアフガニスタン大使館に行ってきました。この訪問の目的は、アフガニスタンという国の歴史と現状を勉強するためです。
6月16日(火)、17日(水)に、アフガニスタン大使館の主催でThe CROSSROADS COUNTRYというアフガニスタンの演劇が行われます。僕はその演劇のPRのお手伝いをすることになり、「そもそもアフガニスタンとはどんな国なの?タリバン?」という知識しかない僕はまず勉強が必要だということで、学生10人ほどでアフガニスタン大使館を訪問し、広報の方や演劇のプロデューサーの方と一緒に勉強をしてきました。アフガニスタン大使館の職員て、アメリカ人ばかりなんですよ。
⇒The CROSSROADS COUNTRY公式HP
歴史を学ぶ前にまず文化を学ぼうということで、いろいろな芸術を見せてもらったりしましたが、いやはや、きれいなものですな。メディア戦略なのか国のイメージなのかは分からないが、僕としてはアフガニスタンとは何か暗いイメージがしていました。そんな中、アフガニスタンの王朝時代の宮殿をモチーフにした大使館や、そこに飾られているアーティストの絵を見てみると、とてもさわやかな印象が残りました。
勉強してきたことをまとめると、まずアフガニスタンの近代史のスタートとなるのは、1979年にソ連軍がアフガニスタンに侵攻してきたことだそうです。(ちなみに、The CROSSROADS COUNTRYはこの頃から現代にかけてのアフガニスタンの歴史を2時間にまとめたものです。)その後、ソ連のチェルネンコやゴルバチョフ、アメリカのカーターなどが介入し、やり取りを経て、1988年5月15日に、ソ連軍が撤兵を開始する。ここから、アフガニスタンの戦国時代が始まるわけです。つまり、支配者であったソ連が撤退したことで、国内の実力者が国とりを始めることになります。1992年には国連職員が首都脱出を始め、いよいよ内戦が激化してくる。この頃から出現し始めるのが、「タリバン」でした。このタリバンとは、元は学生の集まりで、流通経路に現れる盗賊を取り締まる自警団のような存在でした。その彼らが急成長を遂げ、ついに1996年に政権政府の樹立を宣言することになります。また、タリバンに対抗する形で表れたのが「北部同盟」という組織で、これ以降、アフガニスタンの内戦は「タリバンvs北部同盟」の図式を持つことになります。ここから世界各国とのやり取りが行われ、アメリカとのいさかいが起き、2001年の9.11につながることになります。
なるほどと思ったのは、「タリバンがなぜ成長したか」ということでした。
元々タリバンはアフガニスタンとパキスタンの国境周辺にあった学生組織なのですが、そこで彼らは自分たちを「神徒」だとする思想を持ち、アフガニスタンの内戦に参加していきます。その中で彼らの成長要因となったのは、①武器があったこと②パキスタン貧困層の教育③貧困層の必然参加 でした。
①の武器があったことというのは、これは一つ大きな要因です。つまり、日本やアメリカにもある急進派とタリバンの違いは何かということですが、これは「武器を大量に持っている」ということだそうです。中東アジアは昔から内戦や紛争の多い地域で、武器の入手はそこまで難しいところではないそうです。また、ソ連が撤兵した際には自動小銃から戦車まで置いていってしまったこともあるそうで、彼らが自分たちの思想を主張するための手段としての「暴力」を、容易に手に入れてしまったことが、成長要因になりました。
②のパキスタン貧困層の教育ということについては、先日大学の研究会に前世界銀行副総裁の西水美恵子さんが来たときに、同じお話をされました。これは「貧困が生み出す暴力」ということです。パキスタンでは、貧困層の子供は学校に行けません。教育が受けられないと仕事ができず、結果その子が親になっても貧困から抜け出せないという構造が続く。それを何とかしたいと思っている親が多いわけです。世界各国の政府やNGOなどがその状況を何とかしようと支援を続けていますが、状況が改善されないまま続いています。その中で、教育を受けさせてあげるのが「タリバン」のような過激派組織なのです。彼らは教育の中で、自分たちの思想も植え付けていく。比較対象がなくそれを受け入れるしかない子供たちは、結果としてタリバンの兵士に育っていきます。
③の貧困層の必然参加も同じ構図で、内戦や紛争で土地を破壊され仕事が無くなった人(アフガニスタンは農業国)は、自分の生活を立て直すためにも日銭を稼がなくてはならない。そこに仕事を紹介してあげるのが、タリバンのような武装組織なのだそうです。その人が武装組織の思想に賛同していなかったとしても、仕事を得るために加担しなければならない。タリバンの中で思想に忠実になって活動している人は、半分もいないのではないかと大使館の人は言っていました。
テレビでは暗いニュースばかり流れるアフガニスタンも、少しずつ復興が進んでいるそうです。電話・インターネットを足した情報ネットワークの利用者数は国民の7割以上となり、携帯電話を使ったりする人も多いのだとか。この辺りは少しイメージとは違いました。
また、今政府が頭を悩ませているのが、「文化の消滅がすごいスピードで進んでいること」だそうです。アフガニスタンがタリバン政権であった時、タリバンはあらゆるエンターテイメントを行うことを犯罪としました。アフガニスタン人の平均寿命は53歳だそうで、結果として現在伝統芸術に従事できる人がどんどん減っているのだそうです。政府はこのように文化が失われていくことに大きな危機感を抱いており、かろうじてその技術を持っている人に後継者を当てて育てようとしているそうです。この辺りは、日本も同じだと思う。
と、このような感じで勉強会をしてきました。僕の世界にはテレビの中でしか存在してこなかったアフガニスタンという国を少し長期的な視点から見てみて、ほんの少しでもその国の「血の通った事情」を知ることができてよかった。大切なのは、今後のプロジェクトにどうつなげていくか。とりあえず、もっと知ってみよう。ネットがつながっていると言っていたので、ネット会議でもしてみようかと思う。
広報の人は、「国の困った状況」を伝えてくれた。それを知った今、何かしないとなあ。
The CROSSROADS COUNTRYを見てくれることは、アフガニスタン大使館のファンドレイジングにつながります。国の事情が事情なだけに、お金にも困っているようです。時間があれば、見てみてください。興味がなくても、見終わったときには興味を持っているはずなので。
6月16日(火)、17日(水)に、アフガニスタン大使館の主催でThe CROSSROADS COUNTRYというアフガニスタンの演劇が行われます。僕はその演劇のPRのお手伝いをすることになり、「そもそもアフガニスタンとはどんな国なの?タリバン?」という知識しかない僕はまず勉強が必要だということで、学生10人ほどでアフガニスタン大使館を訪問し、広報の方や演劇のプロデューサーの方と一緒に勉強をしてきました。アフガニスタン大使館の職員て、アメリカ人ばかりなんですよ。
⇒The CROSSROADS COUNTRY公式HP
歴史を学ぶ前にまず文化を学ぼうということで、いろいろな芸術を見せてもらったりしましたが、いやはや、きれいなものですな。メディア戦略なのか国のイメージなのかは分からないが、僕としてはアフガニスタンとは何か暗いイメージがしていました。そんな中、アフガニスタンの王朝時代の宮殿をモチーフにした大使館や、そこに飾られているアーティストの絵を見てみると、とてもさわやかな印象が残りました。
勉強してきたことをまとめると、まずアフガニスタンの近代史のスタートとなるのは、1979年にソ連軍がアフガニスタンに侵攻してきたことだそうです。(ちなみに、The CROSSROADS COUNTRYはこの頃から現代にかけてのアフガニスタンの歴史を2時間にまとめたものです。)その後、ソ連のチェルネンコやゴルバチョフ、アメリカのカーターなどが介入し、やり取りを経て、1988年5月15日に、ソ連軍が撤兵を開始する。ここから、アフガニスタンの戦国時代が始まるわけです。つまり、支配者であったソ連が撤退したことで、国内の実力者が国とりを始めることになります。1992年には国連職員が首都脱出を始め、いよいよ内戦が激化してくる。この頃から出現し始めるのが、「タリバン」でした。このタリバンとは、元は学生の集まりで、流通経路に現れる盗賊を取り締まる自警団のような存在でした。その彼らが急成長を遂げ、ついに1996年に政権政府の樹立を宣言することになります。また、タリバンに対抗する形で表れたのが「北部同盟」という組織で、これ以降、アフガニスタンの内戦は「タリバンvs北部同盟」の図式を持つことになります。ここから世界各国とのやり取りが行われ、アメリカとのいさかいが起き、2001年の9.11につながることになります。
なるほどと思ったのは、「タリバンがなぜ成長したか」ということでした。
元々タリバンはアフガニスタンとパキスタンの国境周辺にあった学生組織なのですが、そこで彼らは自分たちを「神徒」だとする思想を持ち、アフガニスタンの内戦に参加していきます。その中で彼らの成長要因となったのは、①武器があったこと②パキスタン貧困層の教育③貧困層の必然参加 でした。
①の武器があったことというのは、これは一つ大きな要因です。つまり、日本やアメリカにもある急進派とタリバンの違いは何かということですが、これは「武器を大量に持っている」ということだそうです。中東アジアは昔から内戦や紛争の多い地域で、武器の入手はそこまで難しいところではないそうです。また、ソ連が撤兵した際には自動小銃から戦車まで置いていってしまったこともあるそうで、彼らが自分たちの思想を主張するための手段としての「暴力」を、容易に手に入れてしまったことが、成長要因になりました。
②のパキスタン貧困層の教育ということについては、先日大学の研究会に前世界銀行副総裁の西水美恵子さんが来たときに、同じお話をされました。これは「貧困が生み出す暴力」ということです。パキスタンでは、貧困層の子供は学校に行けません。教育が受けられないと仕事ができず、結果その子が親になっても貧困から抜け出せないという構造が続く。それを何とかしたいと思っている親が多いわけです。世界各国の政府やNGOなどがその状況を何とかしようと支援を続けていますが、状況が改善されないまま続いています。その中で、教育を受けさせてあげるのが「タリバン」のような過激派組織なのです。彼らは教育の中で、自分たちの思想も植え付けていく。比較対象がなくそれを受け入れるしかない子供たちは、結果としてタリバンの兵士に育っていきます。
③の貧困層の必然参加も同じ構図で、内戦や紛争で土地を破壊され仕事が無くなった人(アフガニスタンは農業国)は、自分の生活を立て直すためにも日銭を稼がなくてはならない。そこに仕事を紹介してあげるのが、タリバンのような武装組織なのだそうです。その人が武装組織の思想に賛同していなかったとしても、仕事を得るために加担しなければならない。タリバンの中で思想に忠実になって活動している人は、半分もいないのではないかと大使館の人は言っていました。
テレビでは暗いニュースばかり流れるアフガニスタンも、少しずつ復興が進んでいるそうです。電話・インターネットを足した情報ネットワークの利用者数は国民の7割以上となり、携帯電話を使ったりする人も多いのだとか。この辺りは少しイメージとは違いました。
また、今政府が頭を悩ませているのが、「文化の消滅がすごいスピードで進んでいること」だそうです。アフガニスタンがタリバン政権であった時、タリバンはあらゆるエンターテイメントを行うことを犯罪としました。アフガニスタン人の平均寿命は53歳だそうで、結果として現在伝統芸術に従事できる人がどんどん減っているのだそうです。政府はこのように文化が失われていくことに大きな危機感を抱いており、かろうじてその技術を持っている人に後継者を当てて育てようとしているそうです。この辺りは、日本も同じだと思う。
と、このような感じで勉強会をしてきました。僕の世界にはテレビの中でしか存在してこなかったアフガニスタンという国を少し長期的な視点から見てみて、ほんの少しでもその国の「血の通った事情」を知ることができてよかった。大切なのは、今後のプロジェクトにどうつなげていくか。とりあえず、もっと知ってみよう。ネットがつながっていると言っていたので、ネット会議でもしてみようかと思う。
広報の人は、「国の困った状況」を伝えてくれた。それを知った今、何かしないとなあ。
The CROSSROADS COUNTRYを見てくれることは、アフガニスタン大使館のファンドレイジングにつながります。国の事情が事情なだけに、お金にも困っているようです。時間があれば、見てみてください。興味がなくても、見終わったときには興味を持っているはずなので。
先日、明治大学リバティホールで、ビッグイシュー日本版100号記念&5周年記念イベントが行われた。僕はホームレスサッカー・ワールドカップに関わっていることもあり、行ってきた。
→ビッグイシュー日本公式HP
このイベントでは、「若者とビッグイシューの未来を考える」をテーマとして、一部では脳科学者の茂木健一郎氏が講演し、二部で精神科医の香山リカ氏と新聞記者の大津和夫氏が対談をした。
イベント全体を通しては、ビッグイシューが社会に対してどんな貢献をしているかから、今のホームレス事情や若いホームレスがなぜ生まれてくるのか、それが貧困の連鎖からもたらされているのであれば、それらをどうやって断てばいいのかといった話になった。
僕がこのイベントで強く印象に残ったことは、茂木さんの「偶有性」の話と、大津和夫さんの「海外の地方自治体による若者のソーシャル・インクルージョンの方法」の話。
茂木さんはよくテレビに出られる方なので、初めて見たのによく知っている顔だった。
彼は若いころにイギリスに留学しており、そこで日本のホームレスとイギリスのホームレスの違いや、一般人との付き合い方の違いに気づいて、日本のホームレスをなんとかしたいと思っていたそうだ。そんな中でビッグイシューが日本で始まり、多くのホームレスが利益を手にし、さらに一般人との交流を持つ機会も手にしたということで、嬉しく思っているそうだ。
おもしろかったのは、やはり科学者的な意見。茂木さんは「人生には偶有性が前提としてあり、自分が他の人でもあり得たことに気づくことよって、人に優しくなれる。」と話した。
偶有性とは、「他でもあり得たのに、たまたまそれになった」ということらしい。つまり人生の偶有性とは、「他の人生にもなり得たのに、結果としてこういう人生を歩み、現在こういう立場として生きている」ということになる。(人生の偶有性という言葉の使い方が正しいかどうかはわからないが。)茂木さんのお母さんは、1945年8月9日に小倉にいたらしい。お母さんが茂木さんによく言ったのは、「小倉が曇っていなかったら、(原爆が投下されたはずから)あなたはいなかったのよ」ということだったそうだ。つまり、小倉が曇っていたら茂木さんは存在していなかったかもしれないが、小倉は曇っていたので茂木さんは存在している。偶有性ですね。
この偶有性を思うと、ホームレスなど困った状況にいる人に優しくなれるそうだ。なぜなら、自分もその状況になっていてもおかしくないから。(もちろんこれからなる可能性もある。)相手の立場に「共感」していると言えるかもしれないが、僕の中では「相手と自分を同義にする」というイメージ。「相手が自分でもあり得たわけだから、相手は自分だ!」となるのが僕の中での「偶有性を思う」ということ。
その中で茂木さんは、そういったホームレスの人を支援する方法として、ビッグイシューを買えるというのは非常にありがたいと話した。その理由はしっかりビジネスとして成り立っているので、堂々と支援できるからだそうだ。昔は自分の持っている500円玉をホームレスにあげたいなと思った時、わざと靴ひもを結ぶふりをして置いてきたりしたんだとか。しかし今は、販売者から雑誌を買うことで、自分も本を得られるし、販売者にも利益をもたらすことができる。無理でない形で販売者を支援できることが、無理な形でホームレスを支援してきた茂木さんにとってとてもすごいことだと強調していた。
ちなみに、この偶有性の話は突っ込みの意見を受けていた。「「自分がホームレスになり得たかもしれない」を想像すれば、相手を自分のように支援するということだったが、それだけではその人の気持ちを本当に理解することはできないし、相手の立場に完全には立てないじゃないか。」といった意見だった。これはホームレスの人を、ホームレスの立場になって支援している方にとってはもっともな意見だと思うし、ここは僕としても悩ましいところ。
その中で茂木さんは、「確かに偶有性を思うだけでは相手の本当の気持ちを知ることはできないし、本当に相手の立場にはなれないですよね。」とした上で、「それでも、偶有性を思って相手を想像することは大切。また社会は突っ込みの意見の根底としてあった単一の考えではできていなく、もっと複雑なもので脆弱性を抱えたものだ」と言われた。
突っ込みの意見の根底としてあった単一の考えとは、「ホームレスの人を本気で思い、本気で支援しようとするのであれば、まず相手の立場に立ってから支援をすることが大切。それ以外は結局は上から見下ろしていて、本当に相手の立場に立てていない。それでは本気で支援はしていない。」とした考え方(だと僕は解釈しています)。これには、「そう言われてしまえばそうかもしれない」というところがありますよね。「でも、それではダメだし、社会は成り立っていかない。だから偶有性を思うことが大切」というのが茂木さんの意見。なぜなら、多くの人は、みんなビジネスの中で競争をしているから。
一般的な資本主義の社会があって、それぞれが生産をしていて、そこから社会に利益が生まれて消費されてそれがまた生産を生んで、、と循環をしている。しかしその中では、その循環からこぼれ落ちてしまう人がいる。そこが社会の脆弱性であり、それを補完する形でビッグイシューのような社会企業が生まれてきて、その人たちには救いの手を差し伸べ始める。だけどその中には、その人たちと同じ立場から手を差し伸べられる人もいれば(ビッグイシューに努めたり、ホームレスと一緒に生活しながら支援をしたりする人)、競争をしながら差し伸べる人もいるわけで(一般的な生活の中で少しずつ支援をする人)、逆に言うと全ての人が同じ立場から手を差し伸べては、誰が社会に利益をもたらしていくのか?という話になる。だから全ての人が同じ立場に立って支援の手を差し伸べるのではなくて、全ての人がそれぞれの立場から、「偶有性を思って」くらい弱くて強いような拘束力を持つの考え方をすることで、それぞれの形で支援できる。結果としてそれは一番現実的で効果を上げられる形になる。
またその中でビッグイシューのように「雑誌を買う」という簡単な支援行為と面白い記事という自分にしっかりとした利益がもたらされる形は、さらに気軽な偶有性を思った結果の行為として取組みやすいでしょう、ということ。
僕は大学に行けない人が多くいる中で、大学に通わせてもらっている。僕は多少なりともホームレスの支援に興味はあるが、でも自分の生活は切り捨てられないと思っている。だから、さっきの単一的な考え方は僕の中にもあるので、いつも悩まされている。その中で、自分の偶有性を思いながら、「僕もこうなったかもしれないし、こうなるかもしれないから、自分と思って支援しよう」という考え方は、僕の立場を肯定できもするし、かつ支援の意欲や理由を失わずにいられるので、非常にいいものだと捉えている。また、それが自分の限界かとも思うのです。
そんなところで、茂木さんの話は面白かった。
また、新聞記者の大津和夫氏は自身がイギリスで調査をしたときの自治体による若者支援の形を紹介していた。その形は、若者を社会に取り込んでしまおうというもの。まさに「ソーシャル・インクルージョン(Social Inclusion)」!でも、僕はまだ「Social Inclusion」の定義や内容を詳しくは知らないので、ここでは話されていたことだけを記しておく。
イギリスでは、学校にいる間から若者を社会に取り込んでいこうという活動をしているらしく、コネクション・サービスというのがあって、学校に来なくなった若者の家やたまり場に行って、彼らを積極的に社会に取り込んでいこうとするのだそうだ。この取り込む先は学校ではなくて、社会活動とかそういうことになるんだろうね?だって学校に戻すというのだったら日本の先生だってやっているし。
また、スウェーデンの自治体では、若者が「ロック・コンサートを開きたい!」といった内容にも、お金を出すのだそうだ。それはなぜか?という問いに対しては、「若者は立派な市民の一人であり、どこに彼らの社会への参画を拒否する理由があるのか?」と逆に聞かれるほどだそうだ。日本だと、「ロックなんかに我々の税金を出すなんて何事だ!!」とかになりそうですよね(笑)
上記二つの取り組みは一定の成果を出しているのだそうだ。この二つの共通点は、「有り余った若者の力を、いい方向に持っていかせる土壌を作っている、もしくはある程度出来上がっている」ということなのだろうか。
「日本の若者は元気がない」といったイメージで語られることがよくあるが、そんなことはない。夜遅くまで起きて外を歩いていられる元気だってあるし、性欲だって昔と変わらずあるし。夜の街で力を有り余らせている若者は非常に多いと思う。その力をどういう風な方向で発散させたら社会にいいかを考えて、道筋を作れれば、結構いい結果が出ると思うのだが。もちろん文化的にとか思想的な限界は出てくるだろうけれどもね。
→ビッグイシュー日本公式HP
このイベントでは、「若者とビッグイシューの未来を考える」をテーマとして、一部では脳科学者の茂木健一郎氏が講演し、二部で精神科医の香山リカ氏と新聞記者の大津和夫氏が対談をした。
イベント全体を通しては、ビッグイシューが社会に対してどんな貢献をしているかから、今のホームレス事情や若いホームレスがなぜ生まれてくるのか、それが貧困の連鎖からもたらされているのであれば、それらをどうやって断てばいいのかといった話になった。
僕がこのイベントで強く印象に残ったことは、茂木さんの「偶有性」の話と、大津和夫さんの「海外の地方自治体による若者のソーシャル・インクルージョンの方法」の話。
茂木さんはよくテレビに出られる方なので、初めて見たのによく知っている顔だった。
彼は若いころにイギリスに留学しており、そこで日本のホームレスとイギリスのホームレスの違いや、一般人との付き合い方の違いに気づいて、日本のホームレスをなんとかしたいと思っていたそうだ。そんな中でビッグイシューが日本で始まり、多くのホームレスが利益を手にし、さらに一般人との交流を持つ機会も手にしたということで、嬉しく思っているそうだ。
おもしろかったのは、やはり科学者的な意見。茂木さんは「人生には偶有性が前提としてあり、自分が他の人でもあり得たことに気づくことよって、人に優しくなれる。」と話した。
偶有性とは、「他でもあり得たのに、たまたまそれになった」ということらしい。つまり人生の偶有性とは、「他の人生にもなり得たのに、結果としてこういう人生を歩み、現在こういう立場として生きている」ということになる。(人生の偶有性という言葉の使い方が正しいかどうかはわからないが。)茂木さんのお母さんは、1945年8月9日に小倉にいたらしい。お母さんが茂木さんによく言ったのは、「小倉が曇っていなかったら、(原爆が投下されたはずから)あなたはいなかったのよ」ということだったそうだ。つまり、小倉が曇っていたら茂木さんは存在していなかったかもしれないが、小倉は曇っていたので茂木さんは存在している。偶有性ですね。
この偶有性を思うと、ホームレスなど困った状況にいる人に優しくなれるそうだ。なぜなら、自分もその状況になっていてもおかしくないから。(もちろんこれからなる可能性もある。)相手の立場に「共感」していると言えるかもしれないが、僕の中では「相手と自分を同義にする」というイメージ。「相手が自分でもあり得たわけだから、相手は自分だ!」となるのが僕の中での「偶有性を思う」ということ。
その中で茂木さんは、そういったホームレスの人を支援する方法として、ビッグイシューを買えるというのは非常にありがたいと話した。その理由はしっかりビジネスとして成り立っているので、堂々と支援できるからだそうだ。昔は自分の持っている500円玉をホームレスにあげたいなと思った時、わざと靴ひもを結ぶふりをして置いてきたりしたんだとか。しかし今は、販売者から雑誌を買うことで、自分も本を得られるし、販売者にも利益をもたらすことができる。無理でない形で販売者を支援できることが、無理な形でホームレスを支援してきた茂木さんにとってとてもすごいことだと強調していた。
ちなみに、この偶有性の話は突っ込みの意見を受けていた。「「自分がホームレスになり得たかもしれない」を想像すれば、相手を自分のように支援するということだったが、それだけではその人の気持ちを本当に理解することはできないし、相手の立場に完全には立てないじゃないか。」といった意見だった。これはホームレスの人を、ホームレスの立場になって支援している方にとってはもっともな意見だと思うし、ここは僕としても悩ましいところ。
その中で茂木さんは、「確かに偶有性を思うだけでは相手の本当の気持ちを知ることはできないし、本当に相手の立場にはなれないですよね。」とした上で、「それでも、偶有性を思って相手を想像することは大切。また社会は突っ込みの意見の根底としてあった単一の考えではできていなく、もっと複雑なもので脆弱性を抱えたものだ」と言われた。
突っ込みの意見の根底としてあった単一の考えとは、「ホームレスの人を本気で思い、本気で支援しようとするのであれば、まず相手の立場に立ってから支援をすることが大切。それ以外は結局は上から見下ろしていて、本当に相手の立場に立てていない。それでは本気で支援はしていない。」とした考え方(だと僕は解釈しています)。これには、「そう言われてしまえばそうかもしれない」というところがありますよね。「でも、それではダメだし、社会は成り立っていかない。だから偶有性を思うことが大切」というのが茂木さんの意見。なぜなら、多くの人は、みんなビジネスの中で競争をしているから。
一般的な資本主義の社会があって、それぞれが生産をしていて、そこから社会に利益が生まれて消費されてそれがまた生産を生んで、、と循環をしている。しかしその中では、その循環からこぼれ落ちてしまう人がいる。そこが社会の脆弱性であり、それを補完する形でビッグイシューのような社会企業が生まれてきて、その人たちには救いの手を差し伸べ始める。だけどその中には、その人たちと同じ立場から手を差し伸べられる人もいれば(ビッグイシューに努めたり、ホームレスと一緒に生活しながら支援をしたりする人)、競争をしながら差し伸べる人もいるわけで(一般的な生活の中で少しずつ支援をする人)、逆に言うと全ての人が同じ立場から手を差し伸べては、誰が社会に利益をもたらしていくのか?という話になる。だから全ての人が同じ立場に立って支援の手を差し伸べるのではなくて、全ての人がそれぞれの立場から、「偶有性を思って」くらい弱くて強いような拘束力を持つの考え方をすることで、それぞれの形で支援できる。結果としてそれは一番現実的で効果を上げられる形になる。
またその中でビッグイシューのように「雑誌を買う」という簡単な支援行為と面白い記事という自分にしっかりとした利益がもたらされる形は、さらに気軽な偶有性を思った結果の行為として取組みやすいでしょう、ということ。
僕は大学に行けない人が多くいる中で、大学に通わせてもらっている。僕は多少なりともホームレスの支援に興味はあるが、でも自分の生活は切り捨てられないと思っている。だから、さっきの単一的な考え方は僕の中にもあるので、いつも悩まされている。その中で、自分の偶有性を思いながら、「僕もこうなったかもしれないし、こうなるかもしれないから、自分と思って支援しよう」という考え方は、僕の立場を肯定できもするし、かつ支援の意欲や理由を失わずにいられるので、非常にいいものだと捉えている。また、それが自分の限界かとも思うのです。
そんなところで、茂木さんの話は面白かった。
また、新聞記者の大津和夫氏は自身がイギリスで調査をしたときの自治体による若者支援の形を紹介していた。その形は、若者を社会に取り込んでしまおうというもの。まさに「ソーシャル・インクルージョン(Social Inclusion)」!でも、僕はまだ「Social Inclusion」の定義や内容を詳しくは知らないので、ここでは話されていたことだけを記しておく。
イギリスでは、学校にいる間から若者を社会に取り込んでいこうという活動をしているらしく、コネクション・サービスというのがあって、学校に来なくなった若者の家やたまり場に行って、彼らを積極的に社会に取り込んでいこうとするのだそうだ。この取り込む先は学校ではなくて、社会活動とかそういうことになるんだろうね?だって学校に戻すというのだったら日本の先生だってやっているし。
また、スウェーデンの自治体では、若者が「ロック・コンサートを開きたい!」といった内容にも、お金を出すのだそうだ。それはなぜか?という問いに対しては、「若者は立派な市民の一人であり、どこに彼らの社会への参画を拒否する理由があるのか?」と逆に聞かれるほどだそうだ。日本だと、「ロックなんかに我々の税金を出すなんて何事だ!!」とかになりそうですよね(笑)
上記二つの取り組みは一定の成果を出しているのだそうだ。この二つの共通点は、「有り余った若者の力を、いい方向に持っていかせる土壌を作っている、もしくはある程度出来上がっている」ということなのだろうか。
「日本の若者は元気がない」といったイメージで語られることがよくあるが、そんなことはない。夜遅くまで起きて外を歩いていられる元気だってあるし、性欲だって昔と変わらずあるし。夜の街で力を有り余らせている若者は非常に多いと思う。その力をどういう風な方向で発散させたら社会にいいかを考えて、道筋を作れれば、結構いい結果が出ると思うのだが。もちろん文化的にとか思想的な限界は出てくるだろうけれどもね。
少し前のニュースで気になった記事があった。
「敷金・礼金・仲介手数料ゼロ」 その裏に潜むとんでもない事態
このスマイルサービスという不動産会社では「敷金・礼金・仲介料などはいただきません」を売りに住宅を提供をしているが、一日でも家賃を滞納すると、無断で鍵を変えられたり、「生存確認出張料」(すごい名前!)+家賃の10%分の違約金を払わされたりするらしい。
記 事の中の弁護士さんが、「契約を結んでいる人の多くは、把握している限りでは、若い人で収入が安定していない人、非正規雇用の人だ」と言っていた。このビ ジネスのターゲットは、お金を持っていない人、いわゆる「貧困層」である。考えてみれば、こういう条件に引き寄せられる人というのは、そこに払うお金を惜 しく思っている人、またはそこに払うお金がない人になると思う。このターゲット層に絞って展開するビジネスを『貧困ビジネス』と呼ばれるそうだ。
こ のサービスで問題として挙げられているのは、たった1日家賃を滞納しただけで上記のお金を取られるということである。この違約金の部分で利益を出そうとし ているんだろうか。まるでレンタルビデオ屋のビジネスモデルを連想させる。たとえ家賃が5万円だとしても、一日遅れれば5000円、二日遅れれば 10000円。そもそもこういうところで部屋を借りようとしているんだから、このお金が非常に貴重な人であることは間違いない。
このサービスに対しては、意見が大きく分けて二つあると思う。
一つは、この記事が述べているように、「こうした契約は違法だからやめろ!」という意見(訴えたくらいだから)
一つは、「家賃を期限内に返せば問題ないだろ?」という意見。
こ れに関してネットで色々と見てみたところ、結構「期限内に返せば問題ないだろ」という意見が多いように思えた。その理由としては、「そもそも敷金・礼金を 取っていない上に家賃も満足に払われないのは、家主側に負担が大きい」というものや、「家賃をしっかり払えば、いい条件で家を貸しているビジネス」という ものがあった。しかし、これらの意見に関して気になることは、全て問題は「自己の責任にある」と言っているところ。しかもこれは、お金と「溜め」がある人 には、気づかないところ。
ちょっと話がずれるかもしれないが、少し前に『貧困襲来』という本を読んだ。その中で著者の湯浅誠氏は、この「溜め」ということについてと、自己責任論で物事を片付けようとすることへの疑問を投げかけていた。
家 賃をしっかり返している人から見て、家賃をしっかり返していないことは、確かにその人がしっかり自分をマネジメント出来ていないからだと見えがちである。 しかし、問題の本質はそこにはないときもある。つまり、「ただ怠惰でマネジメント出来ていない」という状態ではなく、「そもそもマネジメント出来ない」状 態にあるというとき。湯浅さんはこの状態を「溜めがない」と表現している。この「溜め」というものを、湯浅さんは「金銭の溜め」「人間関係の溜め」「精神 の溜め」という三つに分類しているが、要はこれらが手元に十分にあることが、人間の精神状態を安定させたり、やる気を出させたりするということにつながる んだそうだ。貯蓄が全くなく、頼れる人がいなく、「自分はもうダメだ」とずっと思っている人が、ギリギリ日雇いのバイトで生活していたとする。そういう人 が何かのきっかけでお金が必要になってお金が手元に無くなったとき、その人はどう家賃を払えばいいのか。それを「自己責任だ」と言われてしまうのは、酷す ぎるのではないか。
また、「溜め」が全くない人ではなかったとしても、弁護士さんが言っている非正規雇用で働いている人で、怪我をしてい きなり仕事を休まなくちゃならなくなった!誰かにお金を借りようにも、時間がない!!ってときでも違約金を没収されてしまうんだろうか。もしそうだとした ら、企業経営の住宅とはいえ、その信頼関係のなさが寂しいですよね。「家賃は払うだろうから、待ってあげる」「待っててもらっているから、すぐに家賃は払 い、次は絶対に期限内に払う」っていう相互の信頼関係がない。(仮に遅れてもらうことで利益を上げようとしているのならば、そんなのあるはずがありません が。)
このサービスには利用しやすいという長所も、確かにある。実際大学の近くに部屋を探していて、敷金・礼金がない物件を一番 に探したりした。しかし、同時に短所もあるわけで、その短所に苦しむ人が溜めのある僕らと同じ感覚・状態で話ができない人であれば、その人たちの苦しみに 目を向けてあげる必要があるのではないか。「じゃあ同じ状況に陥ってみよう」と行動することは出来ないけれど、自分の出来る範囲でサポートをしてあげる。 そういう行動の積み重ねが、社会を良くしていく気がする。
『スマイルサービス』
「敷金・礼金・仲介手数料ゼロ」 その裏に潜むとんでもない事態
東 京・西新宿にある不動産会社スマイルサービスは「敷金・礼金・仲介手数料・リフォーム費用0円」をうたっているが、同社が家賃を滞納した際に無断で鍵を交 換し、「生存確認出張料」などと称した違約金を支払わされたとして、同社の物件に入居する男性らから提訴されることが2008年7月16日に明らかになっ た。~~~自分の家に帰って来たらいつの間にか鍵が交換され、荷物が部屋にあるのにネットカフェで過ごすことを余儀なくされたり、就寝中に突然部屋に侵入 してきて違約金を請求されるなどのケースがあった。一日でも滞納すると「生存確認出張料」と称した1万500円に加え、違約金として家賃の10%を請求さ れるという。(J-CASTニュース, 2008/7/17, 記事一部引用)
このスマイルサービスという不動産会社では「敷金・礼金・仲介料などはいただきません」を売りに住宅を提供をしているが、一日でも家賃を滞納すると、無断で鍵を変えられたり、「生存確認出張料」(すごい名前!)+家賃の10%分の違約金を払わされたりするらしい。
記 事の中の弁護士さんが、「契約を結んでいる人の多くは、把握している限りでは、若い人で収入が安定していない人、非正規雇用の人だ」と言っていた。このビ ジネスのターゲットは、お金を持っていない人、いわゆる「貧困層」である。考えてみれば、こういう条件に引き寄せられる人というのは、そこに払うお金を惜 しく思っている人、またはそこに払うお金がない人になると思う。このターゲット層に絞って展開するビジネスを『貧困ビジネス』と呼ばれるそうだ。
こ のサービスで問題として挙げられているのは、たった1日家賃を滞納しただけで上記のお金を取られるということである。この違約金の部分で利益を出そうとし ているんだろうか。まるでレンタルビデオ屋のビジネスモデルを連想させる。たとえ家賃が5万円だとしても、一日遅れれば5000円、二日遅れれば 10000円。そもそもこういうところで部屋を借りようとしているんだから、このお金が非常に貴重な人であることは間違いない。
このサービスに対しては、意見が大きく分けて二つあると思う。
一つは、この記事が述べているように、「こうした契約は違法だからやめろ!」という意見(訴えたくらいだから)
一つは、「家賃を期限内に返せば問題ないだろ?」という意見。
こ れに関してネットで色々と見てみたところ、結構「期限内に返せば問題ないだろ」という意見が多いように思えた。その理由としては、「そもそも敷金・礼金を 取っていない上に家賃も満足に払われないのは、家主側に負担が大きい」というものや、「家賃をしっかり払えば、いい条件で家を貸しているビジネス」という ものがあった。しかし、これらの意見に関して気になることは、全て問題は「自己の責任にある」と言っているところ。しかもこれは、お金と「溜め」がある人 には、気づかないところ。
ちょっと話がずれるかもしれないが、少し前に『貧困襲来』という本を読んだ。その中で著者の湯浅誠氏は、この「溜め」ということについてと、自己責任論で物事を片付けようとすることへの疑問を投げかけていた。
家 賃をしっかり返している人から見て、家賃をしっかり返していないことは、確かにその人がしっかり自分をマネジメント出来ていないからだと見えがちである。 しかし、問題の本質はそこにはないときもある。つまり、「ただ怠惰でマネジメント出来ていない」という状態ではなく、「そもそもマネジメント出来ない」状 態にあるというとき。湯浅さんはこの状態を「溜めがない」と表現している。この「溜め」というものを、湯浅さんは「金銭の溜め」「人間関係の溜め」「精神 の溜め」という三つに分類しているが、要はこれらが手元に十分にあることが、人間の精神状態を安定させたり、やる気を出させたりするということにつながる んだそうだ。貯蓄が全くなく、頼れる人がいなく、「自分はもうダメだ」とずっと思っている人が、ギリギリ日雇いのバイトで生活していたとする。そういう人 が何かのきっかけでお金が必要になってお金が手元に無くなったとき、その人はどう家賃を払えばいいのか。それを「自己責任だ」と言われてしまうのは、酷す ぎるのではないか。
また、「溜め」が全くない人ではなかったとしても、弁護士さんが言っている非正規雇用で働いている人で、怪我をしてい きなり仕事を休まなくちゃならなくなった!誰かにお金を借りようにも、時間がない!!ってときでも違約金を没収されてしまうんだろうか。もしそうだとした ら、企業経営の住宅とはいえ、その信頼関係のなさが寂しいですよね。「家賃は払うだろうから、待ってあげる」「待っててもらっているから、すぐに家賃は払 い、次は絶対に期限内に払う」っていう相互の信頼関係がない。(仮に遅れてもらうことで利益を上げようとしているのならば、そんなのあるはずがありません が。)
このサービスには利用しやすいという長所も、確かにある。実際大学の近くに部屋を探していて、敷金・礼金がない物件を一番 に探したりした。しかし、同時に短所もあるわけで、その短所に苦しむ人が溜めのある僕らと同じ感覚・状態で話ができない人であれば、その人たちの苦しみに 目を向けてあげる必要があるのではないか。「じゃあ同じ状況に陥ってみよう」と行動することは出来ないけれど、自分の出来る範囲でサポートをしてあげる。 そういう行動の積み重ねが、社会を良くしていく気がする。
『スマイルサービス』

