最近、マンガの正義に変化が起きていると思いました。
以前、学校の課題図書で「『世界征服』は可能か?」という本を読みました。色々なアニメやマンガの悪者の「世界征服」の方法を参考にしながら、「本当に世界征服ってできるかな?」というのを考察しているもの。この本はすぐ読めちゃうし、面白いのでお勧めです。『空想科学読本』とか好きな人は、抑えておいた方がいいです笑
→
岡田斗司夫著「『世界征服』は可能か?」/ちくまプリマー新書(2007/06)→柳田理科雄著「空想科学読本」/メディアファクトリー(1999/07)
この本はビジネス書として読んでも学ぶところが多いのだが、特に面白いのは、世界征服を現実に考えてみると、「かつてのイメージで世界征服しても、あまりウマミがないよ~」ということが分かる、という項がある。ここがよかった。
ここで述べられていることは「支配とは何か?」ということで、簡単にまとめると「昔と今の豊かさが変わってしまい、今求められる豊かさは「人の支配下」では生まれえない。」ということが書かれているわけです。これについては本を読んでください。
この本からは、一面的な「世界征服したら、きっと幸せだろう」という考えをひっくり返す考えを学んだんだけれども、今週ジャンプで
NARUTOを読んだら、「敵対する正当な正義」について語っていて、面白いなと思ったわけです。主人公は攻めてくる敵と戦っている。主人公の目的は、「世界を平和にするため」。でも今週の話では、実は敵も「世界を平和にするため」に、主人公の国に攻め込んでいることが分かったわけです!
ロジックで二人の意見をぶつけていても互いに分かり合えないでしょうね。だって、二人ともロジック的には言ってること正しいんです。まあ互いの前提が違うんですが、二人とも似たような「正義」のために戦っている。これはそっくりそのままアメリカとイラクの形に映し出せると思います(マンガをしっかり読んでないんで、主人公と敵の背景まではカバーしてません。僕の読み方が浅いだけでしたらすみません)。以前ジャーナリストの野中章弘さんに、「二つの真実、一つの事実」という話を伺ったけど、マンガを読んで改めて思いだした。
経営者で
ONE PIEACEが好きな人は多いです。一人の経営者に「多様な強さと、絶対的強さを持ち合わせない主人公が、前を向いて困難に向かっていくのが面白い。あと感動するシーン。」と聞いたことがある。そういえば研究会の先輩が、「ドラゴンボールは強さを『戦闘力』に置き換えてしまったことが、失敗だった。」と言っていたのを思い出します。確かにドラゴンボールって、強さも一元的だし、悟空の戦う理由も明確で、悟空は必ず良い側(地球を守る)でしたよね。ドラゴンボールの敵なんてのは、やりたい放題のやつばっかだったし。
そう考えると、時代とともにマンガの在り方も変わっているんだなあと思った。まあ当たり前ですね。
このマンガの在り方の変化に敏感になったのは、前に哲学者の野矢さんに話を伺った時に、「マンガは紋切り型を教える」という話をしたからだと思います。「マンガを読むのって若い人が多い。子供も多い。彼らの思考はマンガに影響されるところが多いだろうから、マンガのメッセージというのは結構大切。」という話でしたが、それを踏まえると、今のマンガを読む子供は、一つの物事にも多様な真実があるってことを学んでいるのか。
なんか芋づる式にどんどん書きたいことが出てきてしまって、終わらなくなってしまったのでこの辺で強制終了。会津行きはもう明後日。
▼LINK-----
哲学者野矢茂樹さんのインタビュー。
→
野矢茂樹インタビュージャーナリスト野中章弘さんのインタビュー。
→
野中章弘さんインタビュー
ちょっと前のニュースになっちゃうんですけど、9.11の真相究明活動をしている人が、今年のノーベル平和賞にノミネートされていたそうです。知ってました?びっくりしました。
ここで英語のニュースが読めます。
→
9/11 Truth Norway: 9/11 Truth nominated for the Nobel Peace Prize 2008
デヴィッド・レイ・グリフィンという方がリーダーみたいで、このノミネートをノーベル平和賞委員会に推薦したのは、地元ノルウェーの国会議員や大学教授たちみたいです。ノミネートとかって、簡単に受理されるんですかね?
で、いろいろネットで見てみたら、国会議員の藤田幸久参議院議員という方はしきりに、9.11の真相についてを国会で質問しているみたいですね。そんなネタになりそうな話でも、全くマスコミは取り上げない。まあ、そういうことなんでしょうね。
11月3日(月)に、このデヴィッドさんがいらして第2回911真相究明国際会議というのが開かれるのだとか。どんな話をするんだろう。行ってみよかな。
→
第2回911真相究明国際会議
新宿にある
平和祈念展示資料館に行ってきた。東京近郊に住んでいる人は水木しげるさんの書かれたポスターの絵を知っていると思う。僕も電車でよく目にするポスターだったので気にはなっていたのだが、行けてはいなかった。今日、友人が誘ってくれたので行ってみた。
資料館全体を通して、戦争が始まった導入から戦中の被害、そして終戦後には強制抑留でシベリアまで連れて行かれた人たちの悲惨な日々が、まさに刻みつけてあった。
最初に記されていたのは、この戦いはかつ見込みのなかった戦いであったということ。日本の10倍以上の生産力を誇るアメリカ。対抗するためには天然資源の獲得が必要。そのためには、いずれは補給が困難になることが分かる地域でも部隊を派遣する。その後ミッドウェーの海戦での敗北で守りの要所を失うと、ゲリラ戦、特攻隊など作戦が移行していき、事態が泥沼化していく。
印象に残っているのは、出発前の特攻隊の記録を取っていた人が「涙があふれてシャッターを押せなかった」と言っていたこと。死にに行く仲間の記録を取るなんてのは、どれだけ辛いことだったろうか。
また、自分を射殺してもらうという集団自決を図り、親は銃弾を受けて死んだものの自分は死にきれず、それから孤児として生き残ったという人の話もあった。今でも親の顎に銃弾が当たった音を覚えているそうだ。
さらに、強制抑留でシベリアに連れて行かれた人の過酷な労働と厳しい寒さ、そして飢えに耐えながら、日本に帰ることを切望していたことが書かれていたことも強く印象に残っている。
シベリアでは、マイナス30~40度の中を「これでやったの!?」というくらいの薄い上着だけで働かされていた。また収容所での食事は、一日350gのパンと少量のスープ。朝起きると隣で親友が冷たく硬くなっていたという状況が、よく見られたそうだ。
戦争の解釈には様々な立場と見方があるが、この事実があったということに立場や見方は関係ない。戦争を大局で語ると色々言えるのかもしれないが、実際にそこにあったのは「悲惨な状況」だけだった。
今、ロシアとアメリカが口喧嘩を始めていますね。中学の頃、好きだった社会の先生に「戦争は必ず繰り返す。もしかしたら、お前たちが生きている最中に戦争が起こるかもしれないよ。」と言っていたのを思い出した。
今回僕が一番強く感じたことは、「僕は、戦争体験をしたくない」ということ。これだけは、絶対に嫌です。そう思うから、それを避けるために自分ができることを考え、行動したいと思った。
一方資料館に対して思うことは、独立行政法人を立てて税金で資料館を運営するのであれば、もっと人に気づかせる場所に移すなりしてほしい。新宿の行きにくいところにある、しかも48階の資料館だなんて行こうと思わないと行けない。あれだけ色々な電車で広告を目にするのだから、お金をかけているのだろう。だったらそのお金で表参道沿いにとかに資料館を作って、フラリと人が入ってこれるようにしてほしい。それでこそ「多くの人に戦争の悲惨さを伝える」という目的を果たせると思うんですよ。