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自分に新しい知見をもたらす出会いがあった。
今日は、11月に企画している就職活動イベントに企業経営者として出演していただきたいという御願いで、株式会社ユーズウェアの小川名剛彦社長にお会いさせていただいた。ユーズウェアは横浜にある企業で、様々な業務をサポートするアプリケーションを開発・運営を行う企業である。
→株式会社ユーズウェアWebsite
話をしている中で、小川名さんが農業に興味を持たれているという話になった。
小川名さんのご実家は、横浜で専業農家をされているらしい。横浜では多くが兼業農家として空いた時間で農業をやられる方が多い中で、小川名さんのご実家では専業農家として、ご両親が農家に誇りを持って取り組まれてきたそうだ。小川名さんは大学卒業後ソフトウェア製作の道に進み、現職に至られているが、両親が誇りを持って取り組まれている農業を、「自分が引き継いで次の世代に伝えていきたい」と考えられている。
僕も最近会津などで農業に触れる機会が多いので、とても話が盛り上がった。その話の中で特に興味を持ったことが、小川名さんは「自分の分野」で農業に貢献しようとされていることだった。それはつまり、「ソフトウェアを使って、農業に貢献していく」ということ。
それは単に「ソフトウェアで事業を効率化して云々」という話ではなく、「ソフトウェアの介入によって農業の問題の根本を解決していく」というレベルでの取り組み。現在行われているのは、アメリカ産の小麦・とうもろこしの価格が上昇し、家畜への飼料価格が高騰している中で、ソフトウェアの力によってそれを解決してやろうという取り組みで、もうすぐ試作品としてソフトが完成するそうだ(詳細は秘密。公開されたら情報をアップします)。
今日、家でテレビをつけたら、たまたまNHKスペシャルで「世界同時食糧危機(1)アメリカ頼みの"食"が破綻する」という番組がやっていた。今日小川名さんの話を聞いてきて、この番組がやっているという偶然に驚いた。番組は「なぜ、今食糧危機に陥ったのか」をクローズアップしたものだったが、食糧危機は具体的に日本に住む僕たちにも大きな問題として立ちはだかっていることを、改めて認識した。その上で、小川名さんの取り組みを改めてすごいなと思った。
IT技術を使って様々なサービスが出てきているが、既存の問題解決に対してITが役立てるという話はあまり聞いたことがない。食料危機の問題に絞って言えば、「自給率を高めてアメリカ依存から抜け出そう!」という話は耳にするが、「ITで解決しよう!」という話は聞いたことがない。そんな中で、「農業を自分の分野で、次の世代に伝えていく」という使命を持って取り組まれている小川名さんの姿に、非常に感銘を受けた。すごいと思いましたよ。
近頃、社会起業家についての本を読んだりします。そこで主に紹介されている方々というのは、皆が共通して問題だと思うこと(貧困・病気・環境)に対して、それをビジネスにしてしまって、結果、「社会構造を変えた」人たちというケースが多い。それは疑いなく素晴らしいことだし、「誰も改善出来なかったから放置されていた問題」に対してビジネスで改善してしまったという点で、まさしく「社会起業家」であるわけです。でも別に皆が問題だと思っていなくても(小川名さんが取り組まれていることは問題だと思われているけど)、何か目的を持って行動して、ビジネスを通して「社会を良い方向に変える」ことにつながるのであれば、それもまた「社会起業」であって、その人は「社会起業家」と呼ばれるべきなんじゃないかと思うのです。
ともあれ今日は、違うところ目的からとても興味のある取り組みをされている方と出会うことができた。
良い刺激と考える機会をいただけたし、この「出会い」を今後の何かの形につなげていきたいと思った。
今日は、11月に企画している就職活動イベントに企業経営者として出演していただきたいという御願いで、株式会社ユーズウェアの小川名剛彦社長にお会いさせていただいた。ユーズウェアは横浜にある企業で、様々な業務をサポートするアプリケーションを開発・運営を行う企業である。
→株式会社ユーズウェアWebsite
話をしている中で、小川名さんが農業に興味を持たれているという話になった。
小川名さんのご実家は、横浜で専業農家をされているらしい。横浜では多くが兼業農家として空いた時間で農業をやられる方が多い中で、小川名さんのご実家では専業農家として、ご両親が農家に誇りを持って取り組まれてきたそうだ。小川名さんは大学卒業後ソフトウェア製作の道に進み、現職に至られているが、両親が誇りを持って取り組まれている農業を、「自分が引き継いで次の世代に伝えていきたい」と考えられている。
僕も最近会津などで農業に触れる機会が多いので、とても話が盛り上がった。その話の中で特に興味を持ったことが、小川名さんは「自分の分野」で農業に貢献しようとされていることだった。それはつまり、「ソフトウェアを使って、農業に貢献していく」ということ。
それは単に「ソフトウェアで事業を効率化して云々」という話ではなく、「ソフトウェアの介入によって農業の問題の根本を解決していく」というレベルでの取り組み。現在行われているのは、アメリカ産の小麦・とうもろこしの価格が上昇し、家畜への飼料価格が高騰している中で、ソフトウェアの力によってそれを解決してやろうという取り組みで、もうすぐ試作品としてソフトが完成するそうだ(詳細は秘密。公開されたら情報をアップします)。
今日、家でテレビをつけたら、たまたまNHKスペシャルで「世界同時食糧危機(1)アメリカ頼みの"食"が破綻する」という番組がやっていた。今日小川名さんの話を聞いてきて、この番組がやっているという偶然に驚いた。番組は「なぜ、今食糧危機に陥ったのか」をクローズアップしたものだったが、食糧危機は具体的に日本に住む僕たちにも大きな問題として立ちはだかっていることを、改めて認識した。その上で、小川名さんの取り組みを改めてすごいなと思った。
IT技術を使って様々なサービスが出てきているが、既存の問題解決に対してITが役立てるという話はあまり聞いたことがない。食料危機の問題に絞って言えば、「自給率を高めてアメリカ依存から抜け出そう!」という話は耳にするが、「ITで解決しよう!」という話は聞いたことがない。そんな中で、「農業を自分の分野で、次の世代に伝えていく」という使命を持って取り組まれている小川名さんの姿に、非常に感銘を受けた。すごいと思いましたよ。
近頃、社会起業家についての本を読んだりします。そこで主に紹介されている方々というのは、皆が共通して問題だと思うこと(貧困・病気・環境)に対して、それをビジネスにしてしまって、結果、「社会構造を変えた」人たちというケースが多い。それは疑いなく素晴らしいことだし、「誰も改善出来なかったから放置されていた問題」に対してビジネスで改善してしまったという点で、まさしく「社会起業家」であるわけです。でも別に皆が問題だと思っていなくても(小川名さんが取り組まれていることは問題だと思われているけど)、何か目的を持って行動して、ビジネスを通して「社会を良い方向に変える」ことにつながるのであれば、それもまた「社会起業」であって、その人は「社会起業家」と呼ばれるべきなんじゃないかと思うのです。
ともあれ今日は、違うところ目的からとても興味のある取り組みをされている方と出会うことができた。
良い刺激と考える機会をいただけたし、この「出会い」を今後の何かの形につなげていきたいと思った。
昨日は日経就職ナビのサマーカレッジ「自己分析プログラム」に行ってきた。(受講生ではなくサポーターとして参加した。)前に「仕事発見プログラム」に行ってきたが、それの姉妹版みたいなもの。(「仕事発見プログラム」のとき感じたことについては、以前の記事「自分の価値観を、のぞき見る」に書きました。)
この自己分析プログラムは、面談という場をイメージしながら「自分のことを、どれだけ相手に伝えられるか。」を考えてみるというもの。実際に話をしてみながら、それを分析していき、よりよく伝えるにはどうすればいいかを考えてみる。
最初にいきなり自己PRをお願いする。そうすると、大体が自分の実績や性格から自分を説明しようとする。しかし、そこから「私はこういう人間です」と話しても、5人も6人もが順々に話してしまっては、なかなか相手の印象が自分の中に残るものではない。それはなぜか?一つの答えとしては、「相手に興味・共感を持てないから。」だと思う。
相手を知らない中で、「私はこういう人間です」と説明されても、なかなかそれを理解することは難しい。長い時間をかけて付き合っていくのであればそれはそれでいいのかもしれないが、面談という短い時間で相手に強い印象を与えたいのであれば、相手に自分の強い印象を与えて、自分を理解させようとしなくてはならない。そのためには、「相手の経験と自分の経験が結びつく言葉で話し、相手を自分に共感させる」。これが今回のプログラムの骨子だった。
ではこの「相手の経験と自分の経験が結びつく言葉で話し、相手を自分に共感させる」というのは、どういうことで達成できるか。ここでは、「過去体験から、自分がどのような価値観を得て、今に至っているか」ということを説明できれば、相手と自分を結びつけられるとした。
どういうことかというと、「僕はこういう人間です」と話すよりも、「僕は昔、○○という経験をして、その時にこういった価値観を得ました。その経験を通して、僕はこういう価値観を大事にしている人間になりました。」と話したほうが、相手の自分に対する理解が深まるということ。前者も後者も、「自分はこうい う人間です」と話していることに変わりはないが、後者は「こういう価値観を持っているから、こういう人間です」と説明している。まずこれだけで、前者よりも相手の自分に対する理解が深まる。さらには、「こういう体験を経て、こういう価値観を持つに至った」と説明している。これを説明すれば、相手は「この人 はこういう体験をしてきた人なんだな」という理解もできるし、また相手が「自身の体験からその人の体験を聞き、その人を知れる。」ということにつながる。 これが非常に大切。
例えば、「自分は25m泳ぐことができなかった。しかし、そこで先生から「人には長所も短所もあるもの。」と言われた。それから私は自分の長所・短所を見分けられるようになるととも、例え最初に他人の悪い面を見たとしても、その人のいい面を探せる人になった。」と言ったとする。そうすると、それを伝えられた僕は、自分の短所を露呈した経験を思い返しながら、その先生が言ってくれたアドバイスを自分へのメッセージとして 置き換えて、かつその人が「そういう風に成長した人なんだな」と思いながら、その人を認識できるようになる。僕は25mを泳ぐことはできます。ただ、懸垂を何回もすることができないので、留学していた時、体力測定で友人らに冷やかされた経験があります。僕はこの話の「短所」という言葉では、それをイメージします。その中で先生の「長所・短所がある」という言葉を受けて、「そうだそうだ。僕は腕立て伏せなら友人らよりも出来たんだ。」と思いました。(体力測定における)僕の長所は「腕立て伏せ」で、短所は「懸垂」だったわけです。その上で、「私は相手のいい面・悪い面を見れる人だ」と言われると、「なるほど。そういう経験を経てるから、この人はいい面・悪い面を見られる人なんだな」と理解でき、相手の印象が自分の中に強く残る。
さらに、ここでその時どんな感情だったかや、それを受けた前と後の自分の変化なども一緒に話すとより深く広範にわたって自分を説明できるようになる。
また、話をする中では、「数字」「ストーリー」「立ち振る舞い」「意外性」というものを含めると、より話が相手に伝わりやすくなる。特に数字なんて、世代や価値観を超えて共通認識を持てる言葉ですからね。これを含めると含めないとでは、相手に間違った印象を与える与えないの話までになる。
プログラム全般を通すと、1日に3回も自分のPRをすることになる。その中で、自分の価値観を掘り起こし、それを身につけた経験を思い出して、より相手にわかりやすくストーリーや数字を含めて、話をしてみる、というのを繰り返す。すると、結構相手にわかりやすく話せるようになるんですね。もちろんこれが最善の方法で、自分の全てを説明できるようになるとかそういうことではないわけだけれど、でも間違いなく相手に強い印象を残す話し方ではあると思う。
これから話をする時に、少し大事にしてみようかな。
この自己分析プログラムは、面談という場をイメージしながら「自分のことを、どれだけ相手に伝えられるか。」を考えてみるというもの。実際に話をしてみながら、それを分析していき、よりよく伝えるにはどうすればいいかを考えてみる。
最初にいきなり自己PRをお願いする。そうすると、大体が自分の実績や性格から自分を説明しようとする。しかし、そこから「私はこういう人間です」と話しても、5人も6人もが順々に話してしまっては、なかなか相手の印象が自分の中に残るものではない。それはなぜか?一つの答えとしては、「相手に興味・共感を持てないから。」だと思う。
相手を知らない中で、「私はこういう人間です」と説明されても、なかなかそれを理解することは難しい。長い時間をかけて付き合っていくのであればそれはそれでいいのかもしれないが、面談という短い時間で相手に強い印象を与えたいのであれば、相手に自分の強い印象を与えて、自分を理解させようとしなくてはならない。そのためには、「相手の経験と自分の経験が結びつく言葉で話し、相手を自分に共感させる」。これが今回のプログラムの骨子だった。
ではこの「相手の経験と自分の経験が結びつく言葉で話し、相手を自分に共感させる」というのは、どういうことで達成できるか。ここでは、「過去体験から、自分がどのような価値観を得て、今に至っているか」ということを説明できれば、相手と自分を結びつけられるとした。
どういうことかというと、「僕はこういう人間です」と話すよりも、「僕は昔、○○という経験をして、その時にこういった価値観を得ました。その経験を通して、僕はこういう価値観を大事にしている人間になりました。」と話したほうが、相手の自分に対する理解が深まるということ。前者も後者も、「自分はこうい う人間です」と話していることに変わりはないが、後者は「こういう価値観を持っているから、こういう人間です」と説明している。まずこれだけで、前者よりも相手の自分に対する理解が深まる。さらには、「こういう体験を経て、こういう価値観を持つに至った」と説明している。これを説明すれば、相手は「この人 はこういう体験をしてきた人なんだな」という理解もできるし、また相手が「自身の体験からその人の体験を聞き、その人を知れる。」ということにつながる。 これが非常に大切。
例えば、「自分は25m泳ぐことができなかった。しかし、そこで先生から「人には長所も短所もあるもの。」と言われた。それから私は自分の長所・短所を見分けられるようになるととも、例え最初に他人の悪い面を見たとしても、その人のいい面を探せる人になった。」と言ったとする。そうすると、それを伝えられた僕は、自分の短所を露呈した経験を思い返しながら、その先生が言ってくれたアドバイスを自分へのメッセージとして 置き換えて、かつその人が「そういう風に成長した人なんだな」と思いながら、その人を認識できるようになる。僕は25mを泳ぐことはできます。ただ、懸垂を何回もすることができないので、留学していた時、体力測定で友人らに冷やかされた経験があります。僕はこの話の「短所」という言葉では、それをイメージします。その中で先生の「長所・短所がある」という言葉を受けて、「そうだそうだ。僕は腕立て伏せなら友人らよりも出来たんだ。」と思いました。(体力測定における)僕の長所は「腕立て伏せ」で、短所は「懸垂」だったわけです。その上で、「私は相手のいい面・悪い面を見れる人だ」と言われると、「なるほど。そういう経験を経てるから、この人はいい面・悪い面を見られる人なんだな」と理解でき、相手の印象が自分の中に強く残る。
さらに、ここでその時どんな感情だったかや、それを受けた前と後の自分の変化なども一緒に話すとより深く広範にわたって自分を説明できるようになる。
また、話をする中では、「数字」「ストーリー」「立ち振る舞い」「意外性」というものを含めると、より話が相手に伝わりやすくなる。特に数字なんて、世代や価値観を超えて共通認識を持てる言葉ですからね。これを含めると含めないとでは、相手に間違った印象を与える与えないの話までになる。
プログラム全般を通すと、1日に3回も自分のPRをすることになる。その中で、自分の価値観を掘り起こし、それを身につけた経験を思い出して、より相手にわかりやすくストーリーや数字を含めて、話をしてみる、というのを繰り返す。すると、結構相手にわかりやすく話せるようになるんですね。もちろんこれが最善の方法で、自分の全てを説明できるようになるとかそういうことではないわけだけれど、でも間違いなく相手に強い印象を残す話し方ではあると思う。
これから話をする時に、少し大事にしてみようかな。
前の記事を書いていて感じたことは、学生期とは大いに「内省を繰り返す時期」なのではないかということ。自分の中にある価値観や感性というものを覗きこむように努める。
自分の中の価値観だなんてそう簡単に見えてくるものではないし、どこまで行ったら「見えた」と言えるのか分からないものではある。しかしそのプロセスを経ることこそが昔の会津の人が志を立てる際に行ったことであり、彼らが元服の前、つまり昔の成人になる前に行ったのであれば、現代では社会に出る前の僕らの学生期こそ、それを繰り返すべき時期になるんだなと思ったわけです。
大学に入った際、「学生期は、社会に出る前の心残りを無くしておくための、遊びの時期だ」と言っていた先輩がいたが、それも一つの学生期の捉え方であり、これもまた一つの捉え方。
ちなみにだが、「内省って何だろう?」と思ってググってみたら、筑波大学付属高校の校長先生の終業式での挨拶が出てきた。内省と反省について。これ、すごく面白いです。「なるほど」と思います。読んでみてください。
→平成14(2002)年度終業式 学校長挨拶
自分の中の価値観だなんてそう簡単に見えてくるものではないし、どこまで行ったら「見えた」と言えるのか分からないものではある。しかしそのプロセスを経ることこそが昔の会津の人が志を立てる際に行ったことであり、彼らが元服の前、つまり昔の成人になる前に行ったのであれば、現代では社会に出る前の僕らの学生期こそ、それを繰り返すべき時期になるんだなと思ったわけです。
大学に入った際、「学生期は、社会に出る前の心残りを無くしておくための、遊びの時期だ」と言っていた先輩がいたが、それも一つの学生期の捉え方であり、これもまた一つの捉え方。
ちなみにだが、「内省って何だろう?」と思ってググってみたら、筑波大学付属高校の校長先生の終業式での挨拶が出てきた。内省と反省について。これ、すごく面白いです。「なるほど」と思います。読んでみてください。
→平成14(2002)年度終業式 学校長挨拶
8月23日から24日にかけて、また会津を訪問した。今回の訪問では、「東京に必要な会津の精神性」をキーワードに、何かに「懸命な人」にインタビューをしてきた。ここでもまた、本当に素敵な考え方、ものの見方をいただくことができた。
今回は二日で5人の方々にインタビューをさせていただいた。その中の一人で、今回唯一の農家さんであったのが、米農家をやられている新田義則さん。 → 新田さんについて
新田さんは、「日本のコメが、日本を救う。世界を救う。」と主張する。これだけを聞くと、「まあ、米農家だからね。そういう意気込みで作るよね。」とか思わ れるだろう。僕もそう思った。ところがどっこい。新田さんのすごいところは、「なぜ」を探求し、その解決策を思案し、実行に移す農家さんであるというこ と。
新田さんが「日本のコメが世界を救う。」という観点から取り組まれていることについてはひとまずは置いておいて、新田さんのインタビューの中から、特に僕が感動し、「やばい!オレどうしよう!!!」と思ったことを一つ紹介。
それは、「志を立てる」ということ。
論語の中に、「我、十有五にして学に志す」という言葉があるそうです。孔子は15歳の時に、学問で生きていこうと決心したということらしい。その中で、孔子 の教えを藩校で教えていた会津藩は、子供が15歳になった時に、自分の今後の人生を決めるという意味合いで「志を立たせる」ということで、「立志式」を行った。(その式の名前を「元服」という。)子供には立志式を行う前までに、「自分は何のために生まれ、今後の人生で何をなすべきか」を繰り返し自問し、一つの答えを導き出すことが求められていた。昔は世襲制だったので仕事は決まっていた。そのため、その仕事には一生関わっていかなければならないので、その仕事を通して何をなすべきかという ことは、非常に大切なことだったのだろう。それは今でも変わらないのではないか。
そしてその志を一度立てると、後はそれを懸命に貫き通すことが大切であった。新田さん曰く、以前の記事に書いた会津の「什の教え」の中の「ならぬものはならぬ」という言葉の中には、「一度決めたことを覆すこと」は「ならぬ」という意味も含まれていたという。「自分で掲げた志を覆すことは絶対にならぬ。ならぬものは、ならぬことだ。」という、否定を否定する肯定的な意味も含んでいたのだそうだ。
もちろん現代社会は世襲制ではないので、自分がすることを一度決めたら覆してはいけないなんてことは、どだい無理な考えだと思う。今の時代にとって様々な経験を通して、自分に必要なことや大事に思うことを模索することは、とても重要なことだ。しかし、この話を通して僕が「やばい!」と思ったの は、昔と同じだけの「自問自答を行えているか」ということである。
当時の会津の人は(他の藩の人は知らない。ここで「武士は」と言わないところがミソ。これについては別記事で。)、それだけ自分の人生について、一生懸命考えていた。孔子が15歳で人生を決めてしまったとばっちりを受けてか、会津の子供たちも自分の人生の大筋を15歳までに決めなくてはならないことになった。しかし、それまでに一生懸命自分にとって大切なことを考える。人であるために大切なことを考えた上で、それでは自分が何をなせるかを考えた。では今の時代の、15よりも7つも上の僕は、「自分の人生の今後」について 一生懸命に考えられているだろうか。
今の社会は変化が光速だし、志を明確にしてしまうには選択肢や考えるべき立場がたくさんあるし、自分のやりたいことや達成したい目標なんてのは二転三転するし、、、などと色々な当時との違いが思いつくが、大切なのは「その考えるプロセスから逃げないこと」であると思う。色々な検討材料はあるけれども、とりあえず自分が生まれた理由は何か。自分が成し遂げたいことは何か。それを考える。また、人間 にとって大切なことは何か。自分にとって大切で、他人にとって大切なことは何か。そういったことも少しずつ含めながら、考える。それを考えていく上で考慮 しなければならないことに出会ったら、それを含めた上でまた考え直す。そのプロセスをふむ重要性は、昔も今も変わらないと思う。
じゃあなぜ志を立てることの意味は何か。自分なりに考えてみた。
今の僕の答えは、志を立てるにあたり、自問して考えるプロセスを踏むことで、「自分だけの目標」を見出すことができる。目標が見いだせれば、人生に意味が生まれ、日々が楽しくなる。だから、志を立てる。これです。
「志」 という言葉は知っていたけど、それを立てることがこんなに大切なことであったとは、初めて知った。僕の場合、「自分を幸せにするために、他人を幸せにする」と言うけれど、それは具体的にどんなことをイメージしているのか、何をしたらそれが達成できると思っているのか。それを通した社会を、僕はどう想像し ているのか。色々考えることあるな~。
少しずつ答えを磨いていこう。とりあえず今は、寝よかな。
今回は二日で5人の方々にインタビューをさせていただいた。その中の一人で、今回唯一の農家さんであったのが、米農家をやられている新田義則さん。 → 新田さんについて
新田さんは、「日本のコメが、日本を救う。世界を救う。」と主張する。これだけを聞くと、「まあ、米農家だからね。そういう意気込みで作るよね。」とか思わ れるだろう。僕もそう思った。ところがどっこい。新田さんのすごいところは、「なぜ」を探求し、その解決策を思案し、実行に移す農家さんであるというこ と。
新田さんが「日本のコメが世界を救う。」という観点から取り組まれていることについてはひとまずは置いておいて、新田さんのインタビューの中から、特に僕が感動し、「やばい!オレどうしよう!!!」と思ったことを一つ紹介。
それは、「志を立てる」ということ。
論語の中に、「我、十有五にして学に志す」という言葉があるそうです。孔子は15歳の時に、学問で生きていこうと決心したということらしい。その中で、孔子 の教えを藩校で教えていた会津藩は、子供が15歳になった時に、自分の今後の人生を決めるという意味合いで「志を立たせる」ということで、「立志式」を行った。(その式の名前を「元服」という。)子供には立志式を行う前までに、「自分は何のために生まれ、今後の人生で何をなすべきか」を繰り返し自問し、一つの答えを導き出すことが求められていた。昔は世襲制だったので仕事は決まっていた。そのため、その仕事には一生関わっていかなければならないので、その仕事を通して何をなすべきかという ことは、非常に大切なことだったのだろう。それは今でも変わらないのではないか。
そしてその志を一度立てると、後はそれを懸命に貫き通すことが大切であった。新田さん曰く、以前の記事に書いた会津の「什の教え」の中の「ならぬものはならぬ」という言葉の中には、「一度決めたことを覆すこと」は「ならぬ」という意味も含まれていたという。「自分で掲げた志を覆すことは絶対にならぬ。ならぬものは、ならぬことだ。」という、否定を否定する肯定的な意味も含んでいたのだそうだ。
もちろん現代社会は世襲制ではないので、自分がすることを一度決めたら覆してはいけないなんてことは、どだい無理な考えだと思う。今の時代にとって様々な経験を通して、自分に必要なことや大事に思うことを模索することは、とても重要なことだ。しかし、この話を通して僕が「やばい!」と思ったの は、昔と同じだけの「自問自答を行えているか」ということである。
当時の会津の人は(他の藩の人は知らない。ここで「武士は」と言わないところがミソ。これについては別記事で。)、それだけ自分の人生について、一生懸命考えていた。孔子が15歳で人生を決めてしまったとばっちりを受けてか、会津の子供たちも自分の人生の大筋を15歳までに決めなくてはならないことになった。しかし、それまでに一生懸命自分にとって大切なことを考える。人であるために大切なことを考えた上で、それでは自分が何をなせるかを考えた。では今の時代の、15よりも7つも上の僕は、「自分の人生の今後」について 一生懸命に考えられているだろうか。
今の社会は変化が光速だし、志を明確にしてしまうには選択肢や考えるべき立場がたくさんあるし、自分のやりたいことや達成したい目標なんてのは二転三転するし、、、などと色々な当時との違いが思いつくが、大切なのは「その考えるプロセスから逃げないこと」であると思う。色々な検討材料はあるけれども、とりあえず自分が生まれた理由は何か。自分が成し遂げたいことは何か。それを考える。また、人間 にとって大切なことは何か。自分にとって大切で、他人にとって大切なことは何か。そういったことも少しずつ含めながら、考える。それを考えていく上で考慮 しなければならないことに出会ったら、それを含めた上でまた考え直す。そのプロセスをふむ重要性は、昔も今も変わらないと思う。
じゃあなぜ志を立てることの意味は何か。自分なりに考えてみた。
今の僕の答えは、志を立てるにあたり、自問して考えるプロセスを踏むことで、「自分だけの目標」を見出すことができる。目標が見いだせれば、人生に意味が生まれ、日々が楽しくなる。だから、志を立てる。これです。
「志」 という言葉は知っていたけど、それを立てることがこんなに大切なことであったとは、初めて知った。僕の場合、「自分を幸せにするために、他人を幸せにする」と言うけれど、それは具体的にどんなことをイメージしているのか、何をしたらそれが達成できると思っているのか。それを通した社会を、僕はどう想像し ているのか。色々考えることあるな~。
少しずつ答えを磨いていこう。とりあえず今は、寝よかな。
今日は朝から、日経就職ナビサマーカレッジの「仕事発見プログラム」に参加してきた。
多 くの大学3年生が、「自分の仕事を発見しよう!!」という意気込みでやってきていた。もちろんこんなところで自分に最適の仕事なんて見つけられるものではない。このプログラムのゴールは、「じゃあ、自分に最適な仕事を探すのは、どうやんの?」という質問に対する一つの答えを示すことだった。
ここで示した一つの答えとは、「自分の価値観こそが、自分にとって最適な仕事を見つけてくれる」というものだった。
今、 日本には100万社とも言われる数の株式会社があるらしい。その中では様々な仕事が行われ、それら一つ一つが僕らの生活を支えている。その中で、もし仮に「自分にとって、この中から最高の会社を見つけたい!」と思っているとしたら、この星の数ほどの会社を一社一社つぶさに観察し、自分にとってどの会社が最高かを考えなくてはならない。でも、それは無理よね。100万だもの。
そうすると、自分の中である程度の判断軸を持つ必要が出てくる。すなわち会社を選ぶ基準であるが、今の時代ではこれが往々にして「人気企業」「有名企業」「高収入企業」「安定度抜群企業」などになってくる。今の多くの就活生はこの軸を参考にして、100万社のうちから自然と会社を選んでいって、その中から「自分に合った最高の企業」を探してしていく(とりあえず大手企業は大人気)。では、その選び方は上手くいってるのか。これも上手くいってない。なぜなら、3年で30%~40%の人が仕事を辞めているから。
「なぜ3年で仕事を辞めるのか」を調べている人によると、今は以前に比べて「元々辞めるつもりで入社した」「入ってみたはいいものの、自分が求めていた企業ではなかった」という人がすごく多いらしい。「元々辞めるつもりだった」組の人たちは、一度企業に入ってみて、企業とはどんなところかを経験したうえで、 「自分にとっての最高の仕事を探そう!」と思っているのだそうだ。でも、それじゃあ君にとっての就職活動は何だったのか?と問いたくなる。個人的には、大学卒だとすれば学生生活で何をしていたのか。学生生活をどういう風に捉えて過ごしていたのかが気になるところ。だって、別に企業に入ってそんなことしないでも、大学生活の内にそれをやってしまえばよかったわけだし。
また、「入ってみたはいいものの、自分が求めていた企業ではなかった」組も同様で、就職活動で何をしていたのだろうと思う。「自分が求めていた企業ではなかった」のに、入ってしまったわけで。
その中で、自分も就活生として思うことは、就職して3年で辞めてしまう人が3割もいるのは、就職活動は上手く出来ていないんじゃないかということ(もちろんキャリアアップのための転職や、意味のあるステップアップとして辞職している人も含まれているはず。彼らが会社を辞めることは否定すべきことではないが、どれくらいいるかという数字が分からないのでここでは無視)。ではどこに原因があるのかというと、やっぱり就職活動を始める最初の段階の、100万社の企業の前での、「【この中から】自分にとって最高の企業を見つけたい!」という発想と、それを選ぶ基準をみんなが持つ基準で選ぶことがが間違っているのではないかと思うのです。理由は、自分の志や価値観を実現する「仕事の場所」として会社を選べていないから。
仕事をする上で必要なことは、「自分は何を成すか。」になると思う。まずそれを学生期で考えることは前提になるが、その考えるプロセスを経ると、自分は社会に出るにあたり「何を成すために、何をしたいのか」の答えがぼんやりと出てくる。(もちろん答えは一つじゃないし、そんなに明確にはならないと思うので、ずっと悩み続けると思うが。)そこまできて、初めて「じゃあ自分がしたいことのできる企業はどんなところがあるのか。」と会社を探せるようになると思うんです。それがなければ、起業してしまえばいいし。
「じゃあ自分は何を成すか。」と考えた時に、何がそれを導き出してくれるのか。それが「価値観」だと思う。
結局、みんながみんな同じことが大切だとは思わないわけです。じゃあ何が個人にそれを大切だと思わせるのかというと、その個人が積み上げてきた経験や、受けてきた教育・考え方→まさに「価値観」になる。だから、それを無視してみんなが一様の基準で会社を計ったとしても、それがその個人にとって最適の計り方だとは限らない。「人気企業」だとか「高収入企業」だとかはとても魅力的だけど、『今の僕にとっては』そこで40年働いていくには、その基準で計るだけじゃ足りないわけです。今の僕にとってそこで働くには、「社会にどんな貢献をしたビジネスをしているのか」だとか、「この会社は環境問題を改善してく方向で利益を上げる仕事をしているのか」だとか、そういう基準で計ることが必要になる。この基準は僕が考えるプロセスを経た上で、僕の「価値観」がもたらしたものであり、僕以外の人には全く重要ではないかもしれない。でも、個人個人がその基準を見つけて判断してこそ、「【自分にとっての】最高の仕事」を見つけられるのではないかと思うのです。
今回のプログラムで行った「価値観発見ワーク」では、今の僕の重要な価値観は「自分のために、他人を幸せにすること」「責任・こだわり」「目的」だった。前にやったときとちょっと違ったけれども、やってみて今の自分を表してるなとすごく思った。
長々と思っていることを書いたが、とはいっても最終的に自分の将来を決めるのには、非常に強いエネルギーが必要なんだろうな~と感じる。だって怖いもの。決めてしまうということは。じゃあどうすりゃ自分の最終決定に自信を持てるようになるだろうかね。やっぱ自分自身に、自信をつけることかね?
多 くの大学3年生が、「自分の仕事を発見しよう!!」という意気込みでやってきていた。もちろんこんなところで自分に最適の仕事なんて見つけられるものではない。このプログラムのゴールは、「じゃあ、自分に最適な仕事を探すのは、どうやんの?」という質問に対する一つの答えを示すことだった。
ここで示した一つの答えとは、「自分の価値観こそが、自分にとって最適な仕事を見つけてくれる」というものだった。
今、 日本には100万社とも言われる数の株式会社があるらしい。その中では様々な仕事が行われ、それら一つ一つが僕らの生活を支えている。その中で、もし仮に「自分にとって、この中から最高の会社を見つけたい!」と思っているとしたら、この星の数ほどの会社を一社一社つぶさに観察し、自分にとってどの会社が最高かを考えなくてはならない。でも、それは無理よね。100万だもの。
そうすると、自分の中である程度の判断軸を持つ必要が出てくる。すなわち会社を選ぶ基準であるが、今の時代ではこれが往々にして「人気企業」「有名企業」「高収入企業」「安定度抜群企業」などになってくる。今の多くの就活生はこの軸を参考にして、100万社のうちから自然と会社を選んでいって、その中から「自分に合った最高の企業」を探してしていく(とりあえず大手企業は大人気)。では、その選び方は上手くいってるのか。これも上手くいってない。なぜなら、3年で30%~40%の人が仕事を辞めているから。
「なぜ3年で仕事を辞めるのか」を調べている人によると、今は以前に比べて「元々辞めるつもりで入社した」「入ってみたはいいものの、自分が求めていた企業ではなかった」という人がすごく多いらしい。「元々辞めるつもりだった」組の人たちは、一度企業に入ってみて、企業とはどんなところかを経験したうえで、 「自分にとっての最高の仕事を探そう!」と思っているのだそうだ。でも、それじゃあ君にとっての就職活動は何だったのか?と問いたくなる。個人的には、大学卒だとすれば学生生活で何をしていたのか。学生生活をどういう風に捉えて過ごしていたのかが気になるところ。だって、別に企業に入ってそんなことしないでも、大学生活の内にそれをやってしまえばよかったわけだし。
また、「入ってみたはいいものの、自分が求めていた企業ではなかった」組も同様で、就職活動で何をしていたのだろうと思う。「自分が求めていた企業ではなかった」のに、入ってしまったわけで。
その中で、自分も就活生として思うことは、就職して3年で辞めてしまう人が3割もいるのは、就職活動は上手く出来ていないんじゃないかということ(もちろんキャリアアップのための転職や、意味のあるステップアップとして辞職している人も含まれているはず。彼らが会社を辞めることは否定すべきことではないが、どれくらいいるかという数字が分からないのでここでは無視)。ではどこに原因があるのかというと、やっぱり就職活動を始める最初の段階の、100万社の企業の前での、「【この中から】自分にとって最高の企業を見つけたい!」という発想と、それを選ぶ基準をみんなが持つ基準で選ぶことがが間違っているのではないかと思うのです。理由は、自分の志や価値観を実現する「仕事の場所」として会社を選べていないから。
仕事をする上で必要なことは、「自分は何を成すか。」になると思う。まずそれを学生期で考えることは前提になるが、その考えるプロセスを経ると、自分は社会に出るにあたり「何を成すために、何をしたいのか」の答えがぼんやりと出てくる。(もちろん答えは一つじゃないし、そんなに明確にはならないと思うので、ずっと悩み続けると思うが。)そこまできて、初めて「じゃあ自分がしたいことのできる企業はどんなところがあるのか。」と会社を探せるようになると思うんです。それがなければ、起業してしまえばいいし。
「じゃあ自分は何を成すか。」と考えた時に、何がそれを導き出してくれるのか。それが「価値観」だと思う。
結局、みんながみんな同じことが大切だとは思わないわけです。じゃあ何が個人にそれを大切だと思わせるのかというと、その個人が積み上げてきた経験や、受けてきた教育・考え方→まさに「価値観」になる。だから、それを無視してみんなが一様の基準で会社を計ったとしても、それがその個人にとって最適の計り方だとは限らない。「人気企業」だとか「高収入企業」だとかはとても魅力的だけど、『今の僕にとっては』そこで40年働いていくには、その基準で計るだけじゃ足りないわけです。今の僕にとってそこで働くには、「社会にどんな貢献をしたビジネスをしているのか」だとか、「この会社は環境問題を改善してく方向で利益を上げる仕事をしているのか」だとか、そういう基準で計ることが必要になる。この基準は僕が考えるプロセスを経た上で、僕の「価値観」がもたらしたものであり、僕以外の人には全く重要ではないかもしれない。でも、個人個人がその基準を見つけて判断してこそ、「【自分にとっての】最高の仕事」を見つけられるのではないかと思うのです。
今回のプログラムで行った「価値観発見ワーク」では、今の僕の重要な価値観は「自分のために、他人を幸せにすること」「責任・こだわり」「目的」だった。前にやったときとちょっと違ったけれども、やってみて今の自分を表してるなとすごく思った。
長々と思っていることを書いたが、とはいっても最終的に自分の将来を決めるのには、非常に強いエネルギーが必要なんだろうな~と感じる。だって怖いもの。決めてしまうということは。じゃあどうすりゃ自分の最終決定に自信を持てるようになるだろうかね。やっぱ自分自身に、自信をつけることかね?

