My Acceptでタグ「恵み」が付けられているもの

これはマザーテレサの言葉。僕はこの言葉が書いてあるカードをしおり代わりに使っている。

マザーテレサはクリスチャンである僕の母親が最も尊敬している人。そんなわけで家の中にはマザーの写真やら本やらがいたるところに置いてある。マリア様の像だとか絵だとかも。小さい頃からそんな環境だし、まあ普通にマザーテレサという人間には親しみを感じていた。ただ、そこまで深い関心があったわけではない。顔を見ると「あ、この人知ってる!」という程度だった。


少し前に、母とマザーテレサのドキュメンタリー映画を見に行った。僕はそこで彼女に対する考え方が変わった。彼女の活動や行動は、常に彼女の目標である「貧しい人を救う」ということに一貫していた。またそのための志の高さ・意志の強さ、そして行動力がすごかった。僕は、彼女はキリスト教の信仰者で、多くの貧しい人を助けてあげた人としか知らなかった。しかし彼女はただ流れに任せて寄付を集めて貧しい人を養っていたわけではない。お金を集めることには創意工夫を凝らす。孤児や病人を世話する施設を作る場所には、各国政府と話をして決して町はずれのような場所に移させないなど、人を助けることにおいてしっかり計画を持って取り組んでいた人であった。僕が強く印象に残っているのは、ある国(アルゼンチンだった気がする)の市場を作ろうと計画していた場所に、施設を作れと主張して作らせたシーン。「この場所に施設を作らないのなら、私たちはこの国での活動を止めます。」と言っていたのを覚えている。平和活動で世界中に名を知られているマザーが、その国でだけ活動を止めたなんてのが知れ渡ったら、どんな批判を浴びるか分からない。反対していた政府側も、「じゃあ作ります。」という流れで、その場所に施設を作ることを決めた。外交的圧力を非常にうまく使っていたのに強く感銘を受けた。(あそこで政府に「意地でも作りません」と言われたら、本当にその国から出てってしまったのかな?とかもふと思ったり。)

映画を通して強く感じたことは、マザーテレサという女性はまさにアントレプレナーだったということ。ただ神のご加護を持って貧しい人たちを助けていたのではなく、自分が何をどうすれば、より多くの人を仲間に巻き込み、そしてより多くの人を救えるかを考えていた。そして彼女は考えていたことを現実化させ、実に多くの人が彼女によって一時の幸せを得ることができた。


その中で、彼女と僕の違いは何かを考えてみる。いろいろ思い当たる節がありすぎるけど、やはり一番は「信仰とそれによる自分と向き合っている時間の長さ」だと思う。彼女は37歳の時、電車の中で「貧しい人を助ける活動をしなさい」という神のお告げを聞いたという。そこから彼女はインドを中心に世界各地の貧しい人を助ける活動を始めた。

ここだけ抜粋して見ると、「やっぱ宗教家はそういうお告げがあるのかー」だとか、「信仰があったから行動に移せたんだな」とか思えるけど、でも彼女は「37歳になるまで」自分の人生を懸命に生きて、「自分は何をなすべきか」を考えたのだと思う。これは、そこに向き合っていたプロセスから逃げなかったために、彼女は神のお告げを得られたのだとも言える。仏陀も全く同じで苦行で自分を追い込み、自問自答を繰り返し続けた果てに、悟りを開いたわけだし。


それ考えると、今学生という立場を利用していろいろなことに興味を持ち、首を突っ込んでいる僕であるが、常に「自分は何をなすべきか・何をなしたいのか」という問いに向き合っていたいと思う。そこから目をそらさずに向き合っていれば、必ず自分の中に答えが芽生えてくると思うし、またそれを模索する日々としての一日一日を、「懸命さと大きな愛」で過ごしていきたいと思う。


ちなみに、マザーを批判する意見もたくさんあります。 
マザーテレサ、スーパー物乞い

ざっとしか読んでいないし僕自身マザーがどんな人だったか全然詳しくないので、反対意見は否定しません。(というかできない(笑))ただ、人生を通して「他人を助ける」という目標を掲げ、それに貢献し、結果を出した人と、その人の人生のプロセスを批判している人。こういう構図で見てしまうと、なんか後者はひがんでるみたいで寂しいですよね。だったら批判されるほど注目の集める前者でいたいと思います。

今日から、また会津に行ってきます。



奇跡

春休みに、友人と二人でトルコに行った。僕は海外はヨーロッパしか行ったことがなかったので、「初中東だ!」と思っていたが、トルコも一応はヨーロッパみたいですね。

この旅では、本当にいろいろな経験をした。自分の甘すぎる海外認識を改めさせてくれた。今回は「奇跡」にしぼって記しておく。

イスタンブールに着いたのは夜中だったと思う。僕は飛行機の着陸が嫌いで、すぐに気持ち悪くなる。飛行場に着いたらまずトイレに行った。


ちょっとぼけているが、トルコのトイレマークの写真。ちょっとりりしいのが気になり、撮ってみた。

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また、中では、こんな文字が。

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「Please help us」とまで書いてあったのに、ビックリ。日本のトイレの節水を呼びかけるレベルとは、ちょっと違うような気がした。


その後、色々と旅をする中で、聖母マリアの家というところに行った。この家は誰にも知られていない家だったのだが、アンナという人がいきなりその家についてを語り始め、調べてみたら本当にあったという話。ここで聖母マリアは亡くなったとされている。

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違和感を感じたのは、この後だった。聖水を飲んだり、聖母の像の前でお祈りをしたりしていた。そろそろ行くと言われたので、バスに乗る前にトイレに行こうと思い、トイレに向かった。なぜか僕は、誰にも言わずにトイレに向かった。

近くにカフェを出しているおじさんにトイレの場所を聞き、入ろうとしたときに、気がついた。



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りりしさが、ない!!


聖母の前では、みな子供であるということなのでしょうか。お茶目ですよね。この旅で色々回ったけど、僕がこんなにトイレ行きたそうな看板を目にしたのは、ここだけでした。


それはいいとして、本当に奇跡を感じたのは、ココ。

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その土地にある美しさを感じました。こんな写真では伝えきれなくて残念ですが、四方それぞれが違う表情を見せ、その中に包み込まれているように、飲みこまれているように自分が立っている。全く知らず、言葉も通じない土地いる自分が、圧倒的な自然の存在感の中で心を癒すことができる。あの状況で美しさを感じられない人は、いないと思う。

『MASTERキートン』というマンガに、「自分は、自分が抱える世界からは脱することができず、自分と他者がまったく同じことを感じることはできない」と考える学者みたいな人が、あるオーロラを見て「ここにいる全てのものが、この瞬間、同じことを考えている」と確信するシーンがあるのですが(めっちゃ分かりにくてすみません(笑))、何が言いたいのかというと、美しさみたいに個人が評価するものに対して、万人が同じ美しさを感じ「てしまう」というのは、これこそ人が逆らえない力であり、「奇跡」と呼ぶものなんじゃないかなと思うのです。

ちなみにこの場所は、カッパドキアでバギー屋をやっている店があり、バギーでそこの少年に連れて行ってもらった場所です。このコースはリピーター率が高いんだとか(笑) 確かにそうだろうなー。また行きたいもの。



恵みの空

昨日、なりけんのバンドを見に行った。

なりけんは、24時間リレーマラソンで、僕らが5時間以上遅れた中で、その間一人で走ってくれていた人。彼がいたから他のチームと競争できるという段階にまでいられることができたし、何よりモチベーションを高めてくれた。その根性や人間性が本当に尊敬できる人。

そのなりけんが音楽をやっているということが判明したので、彼のライブがあった昨日、彼の勇士を見に行ったわけです。


めっちゃ、感動でした。


彼のグループ、天国民(TENGOKUMIN)は、ゴスペルを演奏する。ここのリーダーのMarreという人が、結構変わった経歴を持っていて、牧師やら作家やらと様々な顔を持つ人らしい。
Marre Official Site


昨日の最後の曲は、おなじみの「Amazing Grace」。その曲ができた背景から、Marreさんはこんなことを言っていた。

「Grace。全ての人にそそぐ神の恵みですよね。大切なのは、この恵みは分け隔てなく、全ての人に注がれているということです。宗教家であろうとなかろうと、何かを信じていようと信じていなかろうと、この恵みは全ての人に、あなたにそそがれているわけです。じゃあこの恵みとは何かというと、空気や水、太陽。土とか木もそうです。つまり、あなたが生きる為に、必要とされているもの。これらは当たり前のようにあなたが生まれる前から存在しているけれども、あなたはこれらによって支えられているということに気づいてほしい。」

確かにそうだと思った。僕が生き続けるためには空気や水、太陽の光など僕の力ではどうしようもないものによって、支えられている。これが存在することは今まで当たり前だと思っていたけど、実はそうでもない。自分にはどうしようもないものが勝手に滅んでくれたら、僕も一緒になって滅ぶんだな。そう思うと、それが神の恵みかどうかは人それぞれ考えればいいが、「それ自体」には、本当に感謝すべきことじゃないか。


今日は良い天気だった。歩いていたら昨日の話を思い出したので、ふと空を見た。

人工物で構成される僕の町は、いつでも変わらない町を見せている。けれども一度空を気にしてみたら、それを含めた町の姿は、凝り固まったいつもの町とは違う姿を見せていた。空は雨を降らしたり太陽光をもたらすので「恵み」だと言われるが、こうした部分も恵みの一面になるのかね。


下記のはなんでもない空の写真。でも、今日の僕にはとても良く取れた写真に思えた。明日もそう思っていられたらいいが(笑) なんにせよ、気持ちいい日だ。



CIMG3509.JPGのサムネール画像


プロフィール
  • name/林 賢司
  • birth/1986/04/18
  • belong/WINPEACE LLP
  • theme/「良さ」の追求
  • "My Accept"/自分の経験から目を背けずに、「その時の自分なりに」受け止めていくこと。
  • purpose/「その時の自分なり」の解釈・観察・感情の蓄積。
  • contact/kenji[at]monoraltype.com

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