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知の編集工学

松岡正剛氏の「知の編集工学」を読んだ。
松岡正剛著『知の編集工学』(朝日文庫)

この本は「編集」についての著者の考え方が分かるというもので、どちらかというと「編集そのものがどういうものか」についてを語っていた本であった。僕は、「目的達成のための一つのツール・考え方」としてどのように「編集」というものは捉えられるのかということに興味があったので(どういうところに気を使って編集は行っていくべきかとか。)、若干イメージとは違う内容ではあった。
でも、面白かった。


この本では、「編集とは人間の活動にひそむ最も基本的な情報技術である」としている。その中で、松岡氏は情報の基本的な動向について、「情報は生きている」「情報はひとりでいられない」「情報は途方にくれている」という三つの見方を持っている。この三つの動向をまとめると、「情報は関係し合おうとしている」ということになるそうで、その関係性を見出すことが、「編集」なのだと松岡氏は言う。その中の「情報はひとりでいられない」というのに、なるほど~と思った。これを説明する例えに、連想ゲームを挙げている。

詳細は本を読んでもらうとして、例えば「リンゴ→赤→血→吸血鬼」とか連想が続くとする。ではこれはなぜ起こりうるか?それは、「リンゴ」という情報には「赤」という情報が常に付きまとっているからである。それ以外にも「果物」だとか「ニュートン」だとか「MAC」だとか。そういう意味で、情報はひとりではいられず、「ひとつの情報が多様な情報を持ち合わせている」ということが言える(これには本当はもう一つ前提があるそうで、本の中では<単語の目録>と<イメージ辞書>と<ルール群>というので説明をされていたが、話が逸れていくので省略)。

この情報連鎖が編集の大事な要素の一つであるそうだが、これというのは広告とかプレゼンとか「情報を発信する行為」でも大事になりますよね。つまり、発信した情報で相手に情報連鎖を起こさせることができれば、短い時間やセンテンスで多くのことを伝えられるわけです。とすると、広告にもプレゼンにも、「編集」が大事になるんですね。当たり前に思えるけど、編集がただ情報を整理整頓するという意味ではなく、その先にあるもののための編集だということを再確認。


また、松岡氏は、人は頭の中で常に「編集作業」を行っていると指摘する。

これは何となく分かりますよね。一日24時間ある中で、昨日のことを思い出そうとしてもほんの数分分しか思い出せない。これは24時間の経験を数分にまとめちゃっているということで、これを編集作業をしていると言っている。で、この編集作業で「まとめらる」か「まとめられないか」の瀬戸際で大切になるのが、「注意を向ける」ということなのだそうだ。そこに注意が払われて初めて、「編集作業」が始まるのだそう。また、情報には性質として「情報の地」と「情報の図」というものがある。情報の地とは情報の背景にあるもので、情報の図とは背景に乗っている情報の図柄を指す。例えば「コップ」に注意を払ったとしたとき、情報の図は「コップ」で、情報の背景は「コップが乗っているテーブル」になる。このとき私たちは「コップ」しか覚えられないだろう。つまり私たちは「図」にのみ注意を払って日常生活をしていると言ってよい。

これを読んで思い出したのは、一緒に団体活動をしているデザイナーのjpの注意の払い方。彼は少なくとも僕よりは、「図」にも「地」にも注意を払って生活する癖がついている。例えば同じものを見た時も、僕が「図」として見ている「そのもの」よりも「地」を含めた広範を、jpは「図」として見れている。だからjpが「あれ面白かったよね」と言ったとしても、僕の眼には飛び込んできていなかったりするんですよね。「どれ?そんなのあったっけ?」みたいに。もちろんこれには個々人の性格とか視点とか興味とかにもつながってくる話だし、「注意力」というのはどこに入ってくるのかとかも思うが、常日頃から人の頭は編集を行っていて、注意を払ったものだけが「見えていて、頭に残るもの」になると自覚しておくことは、物を見る上で大切になる。これも考えてみると当たり前。
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この本で一番興味深かったことは、松岡氏が「自分がどのように編集しているのか」を考えているところ。そういや、自分は何を持って編集しているのだろうか?

上記したように一日を過ごす中で、人は日々を「編集」している。また、今僕がこのブログを書くにしても、まさに「編集行為」を行っているわけですね。350ページの本を読んで、自分の体験とか考えをちょこちょこ加えて、書いている。でもこれというのは、何を持って編集しているのだろうか?本を読んだときに、僕はどのように自分が引っかかった言葉を選んできて、頭に残すんだろうか。でも自分が引っかかった言葉(情報)と、相手が発信したい言葉(情報)って、重なるんだろうか?重ならないと思うんですよ。この本の中にもあるけれど、情報のやりとりというのは「相互作用」に依存するので、メールのように発信すれば、必ずその通りに受信されるわけではない(これは白土さんも同じことを言われていたルールをどう破るか ~相手に伝えるコツ~)。相手が伝えたい情報と自分が引っかかる情報を、どう相互作用をし合って、「編集」していけばいいんだろう?


本の中で「自由な編集状態」でいるということを勧めていたけど、僕にはよく分からなかった(笑) ここが結構知りたいところだったのだけれど。まあそこは、「自分なりに受け取って、それをシェアすればいいではないか」とは思う。

相手が発信している情報を、相手の意のままに受け取ることは相手の背景だとかを知った上でしかできないと思うので、そうではなくて自分なりに引っかかった情報というのを、自分の中でまとめてみて、それをシェアすればいい。一つの情報でも、それぞれの興味や経験から見ると多様な情報がくっついてるのが見えてくるだろうから、それをシェアした方がより広い情報を得られるということになるわけですね。


そうすると、僕が受け取る情報というのも、僕が成長して視点が変われば、変わってくるのだろうか。そしたら「編集」というのも、決して固定されたものではないということですね。これもまた当たり前か。



プロフィール
  • name/林 賢司
  • birth/1986/04/18
  • belong/WINPEACE LLP
  • theme/「良さ」の追求
  • "My Accept"/自分の経験から目を背けずに、「その時の自分なりに」受け止めていくこと。
  • purpose/「その時の自分なり」の解釈・観察・感情の蓄積。
  • contact/kenji[at]monoraltype.com

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