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7月25日に横浜開港150周年記念テーマイベント「開国博Y150」の関連イベントでDANNAprojectについて話をしてきました。

テーマは「社会起業家」。自分が社会起業家だとか全く思わないけど、お願いされたのでやってみた。何事も経験です。一緒に登壇された東山さん(左)はツナミクラフトというスマトラ島沖大地震の被災地の復興活動をメインに、さまざまな取り組みをされている方でした。僕とは野中章弘さんや田中優さんと面識があるという点でつながりがあり、また紹介したプロジェクトの考え方において、特に「蓄積の継承」という部分で話が合い、非常に有意義で楽しい2時間のトークになりました。
イベントが大成功(笑)の内に終わり、東山さんと帰る電車の中で、「社会起業家って採算の見込めない仕事をするわけじゃないですか。採算の見込める仕事なら市場ができますから。それでやっていけるのってなんでですかね?」という質問をしてみた。前から疑問に思っていたことだった。
東山さんの答えは、「それは待っていられる環境があるからだね。」
何を待っていられるのかというと、「採算が合う時」をだそうだ。社会起業家にとって大切なことは、社会問題に取り組んでその活動をお金にしていけるプランニング能力もそうだが、同時に「お金が入ってこなくても生きていける環境を作る能力」も必要。以前田中優さんが「生活依存する対象を分散させれば怖くない」と言っていたけど、それに通じることだった。「お金が無くても食べさせてもらえるネットワークを構築すれば、お金が無くても『待っていられる』」わけですな。納得。東山さんは実際にその環境を持っているから説得力があった。僕の活動にもその要素を取り入れようと、前から少し思っていたけど改めてそう思った。その計画もあるんです。
一方、一応横浜市民の僕ですが、気づきもありました。
イベント会場に行ってみると、様々な取り組みが展開されていることに気づく。
地域振興の鉄則として「若者・バカ者・よそ者」という言葉があるけど、今一度「その土地の人間」として、自分の町を眺めてみるのも悪くないと思った。東山さんを含めて色々な地元のキーマンと話をしたけど、結構問題あるみたいよ~。この都市も。
▼LINK-----
東山さんが取り組まれるツナミクラフトの公式HP
>>ツナミクラフト
東山さんのブログ
>>STILL ALIVE
テーマは「社会起業家」。自分が社会起業家だとか全く思わないけど、お願いされたのでやってみた。何事も経験です。一緒に登壇された東山さん(左)はツナミクラフトというスマトラ島沖大地震の被災地の復興活動をメインに、さまざまな取り組みをされている方でした。僕とは野中章弘さんや田中優さんと面識があるという点でつながりがあり、また紹介したプロジェクトの考え方において、特に「蓄積の継承」という部分で話が合い、非常に有意義で楽しい2時間のトークになりました。
イベントが大成功(笑)の内に終わり、東山さんと帰る電車の中で、「社会起業家って採算の見込めない仕事をするわけじゃないですか。採算の見込める仕事なら市場ができますから。それでやっていけるのってなんでですかね?」という質問をしてみた。前から疑問に思っていたことだった。
東山さんの答えは、「それは待っていられる環境があるからだね。」
何を待っていられるのかというと、「採算が合う時」をだそうだ。社会起業家にとって大切なことは、社会問題に取り組んでその活動をお金にしていけるプランニング能力もそうだが、同時に「お金が入ってこなくても生きていける環境を作る能力」も必要。以前田中優さんが「生活依存する対象を分散させれば怖くない」と言っていたけど、それに通じることだった。「お金が無くても食べさせてもらえるネットワークを構築すれば、お金が無くても『待っていられる』」わけですな。納得。東山さんは実際にその環境を持っているから説得力があった。僕の活動にもその要素を取り入れようと、前から少し思っていたけど改めてそう思った。その計画もあるんです。
一方、一応横浜市民の僕ですが、気づきもありました。
イベント会場に行ってみると、様々な取り組みが展開されていることに気づく。
地域振興の鉄則として「若者・バカ者・よそ者」という言葉があるけど、今一度「その土地の人間」として、自分の町を眺めてみるのも悪くないと思った。東山さんを含めて色々な地元のキーマンと話をしたけど、結構問題あるみたいよ~。この都市も。
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東山さんが取り組まれるツナミクラフトの公式HP
>>ツナミクラフト
東山さんのブログ
>>STILL ALIVE
先日、大学の研究室のメンバーでご飯を食べに行った。
皆、それぞれの分野で勉強している。知らない話を聞くのは、面白い。
そんな中、「自分たちの勉強領域ってなんだろうね~」という話になった。
一応僕の認識では、僕は"社会起業"というものをテーマに勉強しているものだと思っていた。
しかし、「社会起業化って何?」という定義に答えられない自分がここにいる。
これって、結構間抜けな話。
また企業が消費者と投資家に向いている存在であること、消費者と市民は違うという前提に立った時、「じゃあ社会起業の提供するサービスは、どれほどの影響力を持つものなの?」と問われたときに、逆に「僕が聞きたい」と思っていたのも事実であった。そんな人間が「社会起業を学んでる」と言えるのか。
それを研究会のメンバーに話したところ、「どちらかというと、僕らの領域はソリューションの提案だ」と言われた。ブレイクスルーでした。一気にピンときた。
そもそも、社会起業家とは「生き方」だと思う。生き方はその人の半径5mに影響を与え、その影響はじわじわと広がってくる。長いスパンで考えると、この生き方でも十分社会に対する働きかけを行っている。一方でソリューションは、その方法で社会に対し働きかける。短い時間でも大きな影響を及ぼすこともある。
ユヌスがノーベル平和賞を取ってから、テレビや雑誌などで一気に「社会起業家」という生き方が注目を集めるようになったが、僕が考えていた自分の活動領域は少し違った。「現状の問題を解決するソリューションをどう提案するか」は、ひとつ違った考え方で社会起業家も企業家も関係ない。注目すべきは、「問題があり、どんなソリューションを使えるか」になってくる。
と言っても、ソリューションという言葉の理解が浅いことが、書いていてよく分かる。。。
ハッとしたんだけどな~。まだまだ勉強が浅い。
ちょっと思うことがあるので、それは次の記事にまとめておこうっと。
皆、それぞれの分野で勉強している。知らない話を聞くのは、面白い。
そんな中、「自分たちの勉強領域ってなんだろうね~」という話になった。
一応僕の認識では、僕は"社会起業"というものをテーマに勉強しているものだと思っていた。
しかし、「社会起業化って何?」という定義に答えられない自分がここにいる。
これって、結構間抜けな話。
また企業が消費者と投資家に向いている存在であること、消費者と市民は違うという前提に立った時、「じゃあ社会起業の提供するサービスは、どれほどの影響力を持つものなの?」と問われたときに、逆に「僕が聞きたい」と思っていたのも事実であった。そんな人間が「社会起業を学んでる」と言えるのか。
それを研究会のメンバーに話したところ、「どちらかというと、僕らの領域はソリューションの提案だ」と言われた。ブレイクスルーでした。一気にピンときた。
そもそも、社会起業家とは「生き方」だと思う。生き方はその人の半径5mに影響を与え、その影響はじわじわと広がってくる。長いスパンで考えると、この生き方でも十分社会に対する働きかけを行っている。一方でソリューションは、その方法で社会に対し働きかける。短い時間でも大きな影響を及ぼすこともある。
ユヌスがノーベル平和賞を取ってから、テレビや雑誌などで一気に「社会起業家」という生き方が注目を集めるようになったが、僕が考えていた自分の活動領域は少し違った。「現状の問題を解決するソリューションをどう提案するか」は、ひとつ違った考え方で社会起業家も企業家も関係ない。注目すべきは、「問題があり、どんなソリューションを使えるか」になってくる。
と言っても、ソリューションという言葉の理解が浅いことが、書いていてよく分かる。。。
ハッとしたんだけどな~。まだまだ勉強が浅い。
ちょっと思うことがあるので、それは次の記事にまとめておこうっと。
昨日、高校の友達20人弱くらいで忘年会をした。とても楽しかった。
人ってどんどん成長していくものなので、中学・高校・大学と、その時々の自分の成熟度によって作るコミュニティとか人間関係というのは変わってくると思うんです。だから自然と、中学・高校・大学では、「ノリ」が違ってくる。
また、その時の友達と会うと、当時の自分が戻ってくる(内面から浮き上がってくる?)感じがする。別にその自分を押し殺しているわけではないんだけど、勝手に自分が成長しちゃってるので忘れてしまっているのかもしれない。でも、その時々に自分がいたコミュニティの環境に囲まれると、その時の自分が戻ってくる。高校時代の友達との人間関係の中では、高校の時のノリの自分が表面化してくるので、大学生の自分の普通とは少し違ってくるわけです。普段とは別の楽しみがそこにあり、非常に楽しみました。友達っていいなって思いました。
当時の自分を振り返り、留学を経て大学に入って、今に至る。僕は現在社会起業だとかに興味を持つようになったけど、その「社会」って何を指すんだ?と考えたとき、やっぱりこうした友達だとか自分の周りを指していたい。その延長線、つまり「友達の友達」とか、「知人の知人」といったつながりで存在してくるものが、大きな意味での社会になるのだと思う。「社会のため」「他人のため」という言葉はマクロなものに見てしまいがちだけど、ただ友達との関係を自分が大切にしていきたいと思った時に、自分だけでなく他人のためも含めた生き方・働き方というものが、自分の選択するべきものになってきて、それが「社会起業」とか呼ばれるものになってくるのかなと思います。
今、ピーターセンゲが書いている『出現する未来』という本を読んでいる。内容は「物事を分断して考える既存の考え方から脱却して、『自分と他人』『自分と世界』を融合させて考えられるようになろう」みたいな感じなんだけど(まとめられるほど理解していないんです。。。)、ここでセンゲが言う『自分と他人を融合させた考え』というのが、まさに昨日感じたことなのかなと思いました。つまり、自分が大切だと思うもの(友達)があって、それを大切にしたいと思うと色々なこと(友達が大切だと思う事とか、コミュニティ環境のように、自分には直接関係なさそうな要因)を大切にしなければいけない。でもそれらを大切にすることは、結局は自分のためである、みたいに。これは簡単に言うと「みんなのため」ということになるんだろうけど、それをわざわざ自分との対比における「みんな」としないで、全てのものを融合させて考えようというのが、センゲの言いたいことなのかなあと思ったりしました。まとまりがなくてすみません。
→『出現する未来』/ピーターセンゲ、C・オットー・シャーマー、ジョセフ・ジャウォースキー、ベティー・スー・フラワーズ著 野中郁次郎監訳 高遠裕子訳/講談社BIZ
今回の忘年会は、女性人が突っ走ってくれて盛り上げてくれたので、「次は僕が」という気持ちに溢れています。負けらんない。
またやりたいな。
人ってどんどん成長していくものなので、中学・高校・大学と、その時々の自分の成熟度によって作るコミュニティとか人間関係というのは変わってくると思うんです。だから自然と、中学・高校・大学では、「ノリ」が違ってくる。
また、その時の友達と会うと、当時の自分が戻ってくる(内面から浮き上がってくる?)感じがする。別にその自分を押し殺しているわけではないんだけど、勝手に自分が成長しちゃってるので忘れてしまっているのかもしれない。でも、その時々に自分がいたコミュニティの環境に囲まれると、その時の自分が戻ってくる。高校時代の友達との人間関係の中では、高校の時のノリの自分が表面化してくるので、大学生の自分の普通とは少し違ってくるわけです。普段とは別の楽しみがそこにあり、非常に楽しみました。友達っていいなって思いました。
当時の自分を振り返り、留学を経て大学に入って、今に至る。僕は現在社会起業だとかに興味を持つようになったけど、その「社会」って何を指すんだ?と考えたとき、やっぱりこうした友達だとか自分の周りを指していたい。その延長線、つまり「友達の友達」とか、「知人の知人」といったつながりで存在してくるものが、大きな意味での社会になるのだと思う。「社会のため」「他人のため」という言葉はマクロなものに見てしまいがちだけど、ただ友達との関係を自分が大切にしていきたいと思った時に、自分だけでなく他人のためも含めた生き方・働き方というものが、自分の選択するべきものになってきて、それが「社会起業」とか呼ばれるものになってくるのかなと思います。
今、ピーターセンゲが書いている『出現する未来』という本を読んでいる。内容は「物事を分断して考える既存の考え方から脱却して、『自分と他人』『自分と世界』を融合させて考えられるようになろう」みたいな感じなんだけど(まとめられるほど理解していないんです。。。)、ここでセンゲが言う『自分と他人を融合させた考え』というのが、まさに昨日感じたことなのかなと思いました。つまり、自分が大切だと思うもの(友達)があって、それを大切にしたいと思うと色々なこと(友達が大切だと思う事とか、コミュニティ環境のように、自分には直接関係なさそうな要因)を大切にしなければいけない。でもそれらを大切にすることは、結局は自分のためである、みたいに。これは簡単に言うと「みんなのため」ということになるんだろうけど、それをわざわざ自分との対比における「みんな」としないで、全てのものを融合させて考えようというのが、センゲの言いたいことなのかなあと思ったりしました。まとまりがなくてすみません。
→『出現する未来』/ピーターセンゲ、C・オットー・シャーマー、ジョセフ・ジャウォースキー、ベティー・スー・フラワーズ著 野中郁次郎監訳 高遠裕子訳/講談社BIZ
今回の忘年会は、女性人が突っ走ってくれて盛り上げてくれたので、「次は僕が」という気持ちに溢れています。負けらんない。
またやりたいな。
近頃バタバタしています。いろいろとため込んでいることがあるんだけど、それを表に出せていない僕です。まあそれでも別にいいんだけど、僕としてはなんかダメだと思う。これといった理由は見当たらないけど。
今一番バタバタしているのが、社会起業家の父、ビル・ドレイトン氏とのインターネット対談プロジェクトである。
ビル・ドレイトン氏は、世界に「社会起業家」という概念を作った人。1980年頃に社会起業家の支援組織「アショカ(Ashoka)」を立ち上げた。アショカは今日、アジア、アフリカ、南北アメリカ、ヨーロッパの46ヵ国で活動している。これまでに支援した社会起業家は1400人にもなり、合計で4000万ドル近くを提供しており、また専門的なアドバイスなども行っている。今では「社会起業家」と言えば、「ビジネスを通して社会にいいことをしようとしているんだな」くらいに考えられるような認知度が広がっているものの、ドレイトン氏がアショカを立ち上げたのは、まだそんなのは胡散臭い時代。それでも氏は、世界で世間に白い目で見られながらも忍耐強く活動している「ビジネスを通して社会にいいことをしている人たち」を後押しする組織を立ち上げようとした。その努力の日々は『世界を変える人たち』に詳しいので、そちらを読んでください。
→『世界を変える人たち』/デービッド・ボーンステイン著 井上英之監訳 有賀裕子訳/ダイヤモンド社
そのドレイトン氏と、大学の研究会のつながりでインターネット対談をすることになった。僕はそのプロジェクト作りに携わっている。対談についてはすでにドレイトン氏に快諾をいただいており、当日プログラムの準備も着々と進んでいる。タイトルは「何話そうか」としたけど、話すことはほぼ決まっている。日本の問題を「心の豊かさの欠如」と捉え、その原因は「つながりの喪失」にあるとしてプログラムを進めようと思っている。
このネット対談が実現する背景には、ドレイトン氏が「日本の学生と話をしたい」と言ってくれたからだった。そうすると日本の社会問題の研究者ではない僕たちは、やはり「自分たちの実感ベースの視点で、今の日本の問題を捉える」ことが大切ではないかと考えた。
日本は自殺問題やうつ病患者の増加をはじめ様々な問題を抱えていると思う。そうしたものを一つひとつ見ていく中で、僕らは日本の問題の根底には「経済的に豊かになった反面、心の豊かさが欠けてきた」のではないかとを考えた。その中で、僕らの実感ベースで共通して感じる心の豊かさが欠けてきた原因は、「つながりが失われていっている」からであった。例えば「自分の住む家の隣に誰が住んでいるかが分からなく、何か怖い目にあっても助けを求められない」「親子や世代間のつながりが希薄になっていて、公共のマナーや思いやりの心が受け渡されていない」など、自分と他人とのつながりが非常に弱くなってきていると感じる。
これは特別日本の問題ではないと思う。都会であればどこの国でもそうかもしれない。ただ経済的に発展して人が一部に集まるようになると、どこの国でも様々なつながりが無くなり、それがそこに住む人が「問題だ」と感じるようなことであれば、これを改善しないと住みよい世界や社会が作れない。
ドレイトン氏とのネット対談は、プログラムを一部と二部に分ける。一部では日本の学生による「つながりの喪失から今の日本の問題」と題したプレゼンテーションを行い、二部では一部の問題提起も受けた上で、「未来における若者の役割って何だ?」をテーマに、ドレイトン氏を含めてディスカッションをする予定である。
詳細が決まっていき次第、こつこつ書き記しておこうと思う。自分が一番楽しめて勉強になって、かつドレイトン氏が楽しめて勉強になる会にしたい。楽しみたい。
▼LINK-----
ドレイトン氏とネット対談するプロジェクトの中心チーム、「チームドレイトン」のblogです。このblogで、ミーティングで話し合ってきた議論や今後のプロジェクトの最新情報をアップしていきます。
→Everyone A Changemaker
アショカの公式ウェブサイトです。
→ASHOKA Innovators for the Public
今一番バタバタしているのが、社会起業家の父、ビル・ドレイトン氏とのインターネット対談プロジェクトである。
ビル・ドレイトン氏は、世界に「社会起業家」という概念を作った人。1980年頃に社会起業家の支援組織「アショカ(Ashoka)」を立ち上げた。アショカは今日、アジア、アフリカ、南北アメリカ、ヨーロッパの46ヵ国で活動している。これまでに支援した社会起業家は1400人にもなり、合計で4000万ドル近くを提供しており、また専門的なアドバイスなども行っている。今では「社会起業家」と言えば、「ビジネスを通して社会にいいことをしようとしているんだな」くらいに考えられるような認知度が広がっているものの、ドレイトン氏がアショカを立ち上げたのは、まだそんなのは胡散臭い時代。それでも氏は、世界で世間に白い目で見られながらも忍耐強く活動している「ビジネスを通して社会にいいことをしている人たち」を後押しする組織を立ち上げようとした。その努力の日々は『世界を変える人たち』に詳しいので、そちらを読んでください。
→『世界を変える人たち』/デービッド・ボーンステイン著 井上英之監訳 有賀裕子訳/ダイヤモンド社
そのドレイトン氏と、大学の研究会のつながりでインターネット対談をすることになった。僕はそのプロジェクト作りに携わっている。対談についてはすでにドレイトン氏に快諾をいただいており、当日プログラムの準備も着々と進んでいる。タイトルは「何話そうか」としたけど、話すことはほぼ決まっている。日本の問題を「心の豊かさの欠如」と捉え、その原因は「つながりの喪失」にあるとしてプログラムを進めようと思っている。
このネット対談が実現する背景には、ドレイトン氏が「日本の学生と話をしたい」と言ってくれたからだった。そうすると日本の社会問題の研究者ではない僕たちは、やはり「自分たちの実感ベースの視点で、今の日本の問題を捉える」ことが大切ではないかと考えた。
日本は自殺問題やうつ病患者の増加をはじめ様々な問題を抱えていると思う。そうしたものを一つひとつ見ていく中で、僕らは日本の問題の根底には「経済的に豊かになった反面、心の豊かさが欠けてきた」のではないかとを考えた。その中で、僕らの実感ベースで共通して感じる心の豊かさが欠けてきた原因は、「つながりが失われていっている」からであった。例えば「自分の住む家の隣に誰が住んでいるかが分からなく、何か怖い目にあっても助けを求められない」「親子や世代間のつながりが希薄になっていて、公共のマナーや思いやりの心が受け渡されていない」など、自分と他人とのつながりが非常に弱くなってきていると感じる。
これは特別日本の問題ではないと思う。都会であればどこの国でもそうかもしれない。ただ経済的に発展して人が一部に集まるようになると、どこの国でも様々なつながりが無くなり、それがそこに住む人が「問題だ」と感じるようなことであれば、これを改善しないと住みよい世界や社会が作れない。
ドレイトン氏とのネット対談は、プログラムを一部と二部に分ける。一部では日本の学生による「つながりの喪失から今の日本の問題」と題したプレゼンテーションを行い、二部では一部の問題提起も受けた上で、「未来における若者の役割って何だ?」をテーマに、ドレイトン氏を含めてディスカッションをする予定である。
詳細が決まっていき次第、こつこつ書き記しておこうと思う。自分が一番楽しめて勉強になって、かつドレイトン氏が楽しめて勉強になる会にしたい。楽しみたい。
▼LINK-----
ドレイトン氏とネット対談するプロジェクトの中心チーム、「チームドレイトン」のblogです。このblogで、ミーティングで話し合ってきた議論や今後のプロジェクトの最新情報をアップしていきます。
→Everyone A Changemaker
アショカの公式ウェブサイトです。
→ASHOKA Innovators for the Public

