My Acceptでタグ「豊かさ」が付けられているもの
今日、大学でアショカのビル・ドレイトン氏とのインターネット対談を行った。
(このネット対談について書いた記事→「社会起業家の父と何話そうか。」)
自分にとって非常に意義深い対談であった。ドレイトン氏が大学のテレビに映った時には、非常に興奮した。
「こういう話がある」と先生方に持ってきていただいてから3か月。いろいろ大変なこともあったけれど、
2009年1月20日、アメリカと日本をインターネットでつないで、一つのテーマについて話し合うことができたことは、自分にとっても感慨深いことであるし、何より自信になった。
このネット対談の中で、僕はドレイトン氏にプレゼンテーションをする機会を得た。
そこで僕は、会津で行っている地域振興プロジェクトについて話をした。
その中でテーマとして掲げたのは、「自分に志を持つ」ということ。
僕は会津という地域の振興プロジェクトに携わって、「自分の志を持つということの重要性」に気づいた。そこでは、志を持つことが自分の人生を豊かにすることだと気づかされた。「自分が何のために生きているのか」なんて問いには、結局自分の決断以外は答えられないということなんですね。
その中でとても面白いことが起きた。僕がドレイトン氏に話をしたのは、「昔の武士は、15才で志を立てることを求められていた。今の日本人にも、志を立てるということは求められることだと思う。」ということだった。
(志に関して書いた記事→「志を立てるということ(会津の教え四)」)
この意見に対して、ドレイトン氏は「私もそう思う。」と同意をした上で、「15歳という年齢で志を立てるということは非常に重要で、武士はとても良い習慣を持っていた」と話されていた。
ドレイトン氏が「自分の志」として世界中に広めようとしていることが、「チェンジメーカー」という生き方である。これは、「現在社会が抱える問題を変えていく行動を起こす人になる生き方」である。これは何も「社会を変えるために起業したり、NPOに参加したりしなければならない」ということではなく、「自分の日々の生活を振り返り、その生活の一部と社会のどれかの問題をつなぎ合わせて、その問題を解決に導くような行動を起こしていこう」というもの。このチェンジメーカーという言葉は世界に広がってきているし、今日の対談でも何度もドレイトン氏から「チェンジメーカー」という言葉を聞いたが、この「チェンジメーカー」になるには、「志」が必要であり、人に志を持たせるには、「15歳」という年齢が重要であるそうだ。
その後対談が続き、ディスカッションなどが続く中でも、「15歳という年齢の時に、人生についてを考えさせたり、志について考えさせることは非常に重要」ということを何度も言われた。
「15歳で志を立てさせる」という「立志式」は、世界や時代を超えても、支持されるものなのかと驚いた。この立志式という文化はいつ始まったのかは知らないが、文化として引き継がれ、後世に残されていくものは、途中で淘汰されるプロセスを経て残るのだから、無駄なモノはないのかもなあと思った。そう考えると、「文化から学ぶこと」もまた、大きな意味を持つことになるのだろうな。
ドレイトン氏とのセッションは、映像で録画しました。編集してアップしたいと思っていますので、その時にはまた、記したいと思う。
追記
チームドレイトンの事実上のリーダー、チャックが、ブログにセッション当日の様子をアップしてくれました!→1月20日 ドレイトンさんとのセッション当日
▼LINK-----
ドレイトン氏とネット対談するプロジェクトの中心チーム、「チームドレイトン」のblogです。このblogで、ミーティングで話し合ってきた議論や今後のプロジェクトの最新情報をアップしていきます。
→Everyone A Changemaker
アショカの公式ウェブサイトです。
→ASHOKA Innovators for the Public
(このネット対談について書いた記事→「社会起業家の父と何話そうか。」)
自分にとって非常に意義深い対談であった。ドレイトン氏が大学のテレビに映った時には、非常に興奮した。
「こういう話がある」と先生方に持ってきていただいてから3か月。いろいろ大変なこともあったけれど、
2009年1月20日、アメリカと日本をインターネットでつないで、一つのテーマについて話し合うことができたことは、自分にとっても感慨深いことであるし、何より自信になった。
このネット対談の中で、僕はドレイトン氏にプレゼンテーションをする機会を得た。
そこで僕は、会津で行っている地域振興プロジェクトについて話をした。
その中でテーマとして掲げたのは、「自分に志を持つ」ということ。
僕は会津という地域の振興プロジェクトに携わって、「自分の志を持つということの重要性」に気づいた。そこでは、志を持つことが自分の人生を豊かにすることだと気づかされた。「自分が何のために生きているのか」なんて問いには、結局自分の決断以外は答えられないということなんですね。
その中でとても面白いことが起きた。僕がドレイトン氏に話をしたのは、「昔の武士は、15才で志を立てることを求められていた。今の日本人にも、志を立てるということは求められることだと思う。」ということだった。
(志に関して書いた記事→「志を立てるということ(会津の教え四)」)
この意見に対して、ドレイトン氏は「私もそう思う。」と同意をした上で、「15歳という年齢で志を立てるということは非常に重要で、武士はとても良い習慣を持っていた」と話されていた。
ドレイトン氏が「自分の志」として世界中に広めようとしていることが、「チェンジメーカー」という生き方である。これは、「現在社会が抱える問題を変えていく行動を起こす人になる生き方」である。これは何も「社会を変えるために起業したり、NPOに参加したりしなければならない」ということではなく、「自分の日々の生活を振り返り、その生活の一部と社会のどれかの問題をつなぎ合わせて、その問題を解決に導くような行動を起こしていこう」というもの。このチェンジメーカーという言葉は世界に広がってきているし、今日の対談でも何度もドレイトン氏から「チェンジメーカー」という言葉を聞いたが、この「チェンジメーカー」になるには、「志」が必要であり、人に志を持たせるには、「15歳」という年齢が重要であるそうだ。
その後対談が続き、ディスカッションなどが続く中でも、「15歳という年齢の時に、人生についてを考えさせたり、志について考えさせることは非常に重要」ということを何度も言われた。
「15歳で志を立てさせる」という「立志式」は、世界や時代を超えても、支持されるものなのかと驚いた。この立志式という文化はいつ始まったのかは知らないが、文化として引き継がれ、後世に残されていくものは、途中で淘汰されるプロセスを経て残るのだから、無駄なモノはないのかもなあと思った。そう考えると、「文化から学ぶこと」もまた、大きな意味を持つことになるのだろうな。
ドレイトン氏とのセッションは、映像で録画しました。編集してアップしたいと思っていますので、その時にはまた、記したいと思う。
追記
チームドレイトンの事実上のリーダー、チャックが、ブログにセッション当日の様子をアップしてくれました!→1月20日 ドレイトンさんとのセッション当日
▼LINK-----
ドレイトン氏とネット対談するプロジェクトの中心チーム、「チームドレイトン」のblogです。このblogで、ミーティングで話し合ってきた議論や今後のプロジェクトの最新情報をアップしていきます。
→Everyone A Changemaker
アショカの公式ウェブサイトです。
→ASHOKA Innovators for the Public
昨日報道ステーションで、「ドバイのバブル崩壊」をやっていた。1年前、友人と海外旅行の計画をしていたとき、「ドバイに行って世界の大富豪を目の当たりにしてみるのもいいね」と話していたのを思い出した。もちろん番組編集のせいもあるだろうが、テレビの中のドバイは完全に色あせていた。
そんなのを見ると、僕なんかは、「豊かな人生って何なんだろうな~」とか思ってしまうわけです。
確かに1年前に存在していた「豊かな人生のゴール地点」は、完全にその色を失っていた。それを目にすると、今まで自分の内にあった「豊かさ」の意味に疑問を感じる。今でも僕は「豊かな人生」を望んでいる。だけど、その意味は1年前と変わってきている。
そういえば、近頃「勝ち組」「成功」「幸せ」の言葉が目に入らなくなった。もしかしたら「豊かさ」の意味を問い直しているのは、僕だけじゃないのかも。もしくは、今まで自分の中にあった「勝ち組」「成功」「幸せ」の意味が変わってきているから、それらの刺激・情報に反応していた僕のセンサーが反応を示さなくなったのか。
そんな中、近頃安岡正篤の「小学」を読んでいる。
→『人物を創る 人間学講和「大学」「小学」』/安岡正篤著
この「小学」というのは、中国の宋代の儒学者である朱子が先達の偉大な人たちの残したものから範となるものを編集して、書物としたものだそうだ。この小学には、「体現・体得を重んじた知行合一の学問」が記されており、また人間が人間として生きる上で大切なことは何かという示唆が書かれている。
小学では、豊かさを「自分の内に探すよう」にと言っている。今の僕には、この考え方は結構しっくりくる。まあ自分の頭や心が「今の自分は豊かか豊かでないか」を決めているのだから、心を常に豊かな状態にしておけば、外の世界はどんなだろうと関係ないというのも、考えとしてはよく分かる。
でもそれ以上に、僕は外の世界においても豊かでいられ、かつ自分の心にも豊かでいられる答えというのも、やはり自分の内にあるんじゃないかと思います。そんなメッセージを小学から受けている。
社会に出る準備をしている時期に、自分の考え方・価値観を問い直す機会が訪れたのは、ある意味幸運かもしれない。もうちょい自分が安易に使っている「豊かさ」について、考えてみたいと思う。
ちなみに、小学の中にある僕の好きな言葉で、「知識ばかり覚えてはいけない。ただ知識を覚えるためだけに学問をして人間を損なうのであれば、そんなものはしないほうがよろしい。」というものがある。ごもっともだと思う。
そんなのを見ると、僕なんかは、「豊かな人生って何なんだろうな~」とか思ってしまうわけです。
確かに1年前に存在していた「豊かな人生のゴール地点」は、完全にその色を失っていた。それを目にすると、今まで自分の内にあった「豊かさ」の意味に疑問を感じる。今でも僕は「豊かな人生」を望んでいる。だけど、その意味は1年前と変わってきている。
そういえば、近頃「勝ち組」「成功」「幸せ」の言葉が目に入らなくなった。もしかしたら「豊かさ」の意味を問い直しているのは、僕だけじゃないのかも。もしくは、今まで自分の中にあった「勝ち組」「成功」「幸せ」の意味が変わってきているから、それらの刺激・情報に反応していた僕のセンサーが反応を示さなくなったのか。
そんな中、近頃安岡正篤の「小学」を読んでいる。
→『人物を創る 人間学講和「大学」「小学」』/安岡正篤著
この「小学」というのは、中国の宋代の儒学者である朱子が先達の偉大な人たちの残したものから範となるものを編集して、書物としたものだそうだ。この小学には、「体現・体得を重んじた知行合一の学問」が記されており、また人間が人間として生きる上で大切なことは何かという示唆が書かれている。
小学では、豊かさを「自分の内に探すよう」にと言っている。今の僕には、この考え方は結構しっくりくる。まあ自分の頭や心が「今の自分は豊かか豊かでないか」を決めているのだから、心を常に豊かな状態にしておけば、外の世界はどんなだろうと関係ないというのも、考えとしてはよく分かる。
でもそれ以上に、僕は外の世界においても豊かでいられ、かつ自分の心にも豊かでいられる答えというのも、やはり自分の内にあるんじゃないかと思います。そんなメッセージを小学から受けている。
社会に出る準備をしている時期に、自分の考え方・価値観を問い直す機会が訪れたのは、ある意味幸運かもしれない。もうちょい自分が安易に使っている「豊かさ」について、考えてみたいと思う。
ちなみに、小学の中にある僕の好きな言葉で、「知識ばかり覚えてはいけない。ただ知識を覚えるためだけに学問をして人間を損なうのであれば、そんなものはしないほうがよろしい。」というものがある。ごもっともだと思う。

